「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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なーんか腑に落ちない…。

2005-12-17 | ●介護録(~2015.2月)
昨日のデイで母は入浴し着替えて帰ってきた。そしてタイツじゃなくスパッツというのかズボン下っていうのか、綿タイツ地で足首から下のないモノはいて帰ってきた。
私は「???」なのだ。
だって、普通のタイツを持たせたはずだから。(母はいつもスカート)
でも、母のバックから出して渡したとスタッフが言うので、100%の自信が持てない私は、よく分からないまま「じゃ、うちのだということで」と一応その場を終わらせた。

けど、どう考えても、母のではないゾ。
よく見るとセシールの商品だ。ということは私が注文しない限り母が購入することはあり得ない。100%あり得ない。病気になる前から母は通販はしない人だ。
私はセシールで下着を買うけれど、スパッツのようなソレを買ったことはない。断じてない。

でもね~~間違いなく、母のバックの中、下着を入れている袋の中から出して手渡したのがソレだった、と言われてしまうとね……。

母の下着全てに名前を書かないとダメかな。
めざとく見つけられると不審に思っていろいろ突っ込まれるんだけど



B・マニロウ『Because it's a Christmas』

2005-12-16 | ■Music・Book・Movie

好みはあるだろうけど、この人の声や歌、徹底的に「キライ」という人は少ないのでは?
耳なじみがヨイというか、すんなり入ってくるというか、心地よい。

クリスマスソングを特に意識したわけじゃないけど、なんとなく買ってみた。アルバムは90年のもの。

彼のアルバムは一時ずっと買っていたのだけど、いつの頃からかサウンドがジャズになっていったので、ご無沙汰していた。
最近になってジャズも聴けるようになってきたけど…。

ところで…これ、輸入盤なんだけど、中のディスクと背表紙は確かに「Because~」だったけど、ジャケット冊子が『Ultimate Manilow』のものだった。2、3ページの中身は英語でよくわからないけど、曲紹介タイトルはクリスマスソングではなく、彼のヒット曲だから間違いなくベスト盤のもの。こんなことってあり???


ちょっとブツブツ…

2005-12-16 | ●介護録(~2015.2月)

母の血圧の薬を取りに行く日をズルズル先延ばしにしてしまい、ついに今日なくなりました。精神科にも行かなくてならないのに…今日は病院のはしご。自分でまいたタネだから自分で刈らなきゃな~
正直、とっーーーても面倒。
……そうだ、ケーキの予約、ケーキの予約と唱ながら出かけることにしよう。

昨日の記事にも書いたけど、介護サービスの請求額が先月と今月あまりに違うので、ケアプランや過去の請求書、領収書に目を通している。見れば見るほど、分からない。この数字はどこから出てくるの?やはり聞いて見なきゃどうにもならないわ。

母の通うデイは年中無休。そう!年末年始もお休みナシ。大晦日も母にはデイに行って貰おうと思う。買い物も出来るし。三が日くらいはお休みにしようかな~~いや、三日はデイの予定日だからこの日から言って貰おうかな~。


どういうこと???

2005-12-15 | ●介護録(~2015.2月)
11月分の請求がきた。
10月と、特に介護サービス内容がかわったわけじゃない。週四回のデイと週二回各2時間のヘルパー訪問。
なのに、ヘルパーさんを頼んでいるアイリスの請求が10月と一桁違うっていうのはどういうことだろう?

10月から改正になって、自己負担が増え10月分がこれまでの倍になっていた。
ケアプランをよーく見て、ちょっと調べて、でも、正直、よくわからないままだったけど、ケアマネもかなり高くなると言っていたので、こういうものかと思っていた。
でも減らせないなーと、少し様子をみることにしたんたけど、11月分は、その倍に跳ね上がった請求が一桁少ない額。

どういうこと?

利用回数は月によってばらつきがあるけど、1桁違うなんてことあるのかな?

老老介護と老親介護

2005-12-14 | ●介護録(~2015.2月)
ローカル番組で介護を取り上げていた。話は「老老介護の大変さ」に焦点を当てて締めくくられた。

「老老介護」は確かに大変だと思う。体力も気力も。ネットで誰かと繋がることも、情報集めも出来ないかもしれない。それに、ある程度の年代の方は、公的サービスを受けることに抵抗を感じる人もいる。

でも、ひねくれ者の私はあまりに「老老」と言われると、「老親介護」はどうでもいいのかーと突っ込みたくなる。
まだ若いから、体力あるから、親を看るのは当たり前だからガマンしなさいと言いたいの?「子供が面倒を見てくれる要介護者は、とりあえず、ヨシとしよう」っていう国の魂胆?

いくら親とはいえ、壮年期と言われる年齢層が介護につくということは、仕事をやめ、家庭を犠牲にし、自分の人生変えなきゃならない場合が多くなる。
働き盛り、子育て盛りで、介護が優先される生き方を強いられる。その後の人生まで賭けることになるかもしれない。
中には、20代で介護をしている人だっている。親を通り越して祖父母を看ている人もいる。

もしや、主婦が、嫁が、娘が、女が(男性介護者もたくさんいますが)家事の延長として介護するのは当たり前…なんて思ってる?
在宅介護推進の向こう側には(二世帯住宅プッシュも)出来ることは家族で地域でやりなさいというささやき。その中心を担うのは誰?

番組中、コメンテーターが「介護者の人権」という言葉を使った。そのことに深く触れなかったので、主旨はよく分からなかった。
「介護者のケア」という言葉はよく聞くようになったけど、「介護者の人権」という言葉、今後出てくるようになるのだろうか…。

K・リーブス『Constantine』

2005-12-14 | ■Music・Book・Movie

やっと見ました。キアヌはやっぱりヨイです。短髪に黒いスーツ。

ストーリーは悪魔払いのお話で、マンガかアニメでも見ているような気がしましたが、堕天使ルシファーと大天使ガブリエルが出てくる、この悪魔と天使の戦いという構図、私は苦手。

とりあえず、キアヌなので◎です。
男優は、ある程度年齢を重ねなければ出来ない役があり、キアヌも、誰かに導かれてどうこうする…という役回りから、主導権をとって立ち回る役をする年代になったかな~と思いつつ見ていました。


インコを飼うとPCが欲しくなる?!

2005-12-13 | ▼ユルユル日常
「インコを飼おう~」という気持ち、だんだんと膨らんでいる。飼った経験はあるので問題は母。

母は時々「インコちゃんたちどうしたの?」とあの世に行ってしまったインコのことを口にする。だから、新しいインコを以前からいたように受け入れるかもしれない。
でも「このインコはどうしたの?返して来なきゃ」とならない保証もない。そんなことを毎晩やられるのもたまらない。

写真は母方の祖母と長男「クック」。昼間家にいた母にべったり。寂しいんだろうと二ヶ月後に次男「ピッピ」を迎え入れた。
クックは我が家のインコ軍団のボスとなり、ピッピはボスのパシリ状態。
クックはスタイルも顔つきもシャープで性格もチャキチャキの江戸っ子みたいで、ピッピは外見も性格もまったりのほほん系…だからパシリになったのか…。
この二羽に嫁を取り、メスが子育て上手だったので何度も卵をかえし、もらわれていった子が出戻って、その子にも嫁を迎え……また卵がかえり…と、多いときには10羽くらいの軍団になっていた。

当時はほとんど写真を撮っていなかった。今度飼ったらデジカメでバシバシ撮ろう!ううん、ビデオが欲しいかも~~。
あっ、でも私のPCはDVDが作れない…ってことはPCも買い換え?!
最近不安定だし、キーボードの文字も消えかかってるし丁度いいかな?!
どうやらインコを飼うとあれこれお金がかかるみたい…うーん。
まだ寒いから(あんまり関係ないが…)春までゆっくり考えようか。

富士山での忘れ物

2005-12-12 | ●介護録(~2015.2月)
先日のTVで、千円札に描かれた富士山と同じ景色を捜してくるという放送があった。
美しい富士の風景を見ながら母が言った。

母「そういえば富士山の頂上に靴をおいてきたんだったわ」
私「富士山に靴を忘れてきたの?じゃ、裸足で下山したわけ?」
母「そうなんだ~。あの靴どうしただろ」

「富士山にポツンと揃えて置かれた靴」を思い浮かべた…。

脳トレと認知症って?

2005-12-10 | ●介護録(~2015.2月)
最近は、脳を鍛えて認知症を予防しようと言う。
この間、ラジオの宣伝で、脳トレであなたも一生認知症とは無縁です!って言い切っていた。こういうの聞くと…マジ?って思う。

ここでいう認知症は、私個人的には、加齢によって自然に起こる「ボケ」の範囲のことと理解し、それを、少しでも遅くしようってことなんだと思うことにしている。
だってそう考えなくては「なぜ、母は認知症になったの?」という疑問が湧くから。

手先を使っているとポケにくいという。常に社会と関わってイキイキ生活しているとボケにくいともいう。
例えば、配偶者に先立たれて子供夫婦と同居し家事もしなくなるとボケるとか、仕事を引退した結果何もしなくなってボケた…という話がある。役割を失ったことがボケに繋がったわけだから、そうならないように脳を使って、生きがいも持って…ということになる。

母はどうよ?配偶者は失ったけど急に子供夫婦と同居したでもなく、私との変わらない生活。家事労働を奪ってもないし、買い物にも行き料理もしていた。洋裁だってずっとしていた。
考え方によっては、夫がいなくなって、娘と二人しっかり生きてこう!っておもってもいいはず。あるいは、気兼ねする人がいなくなったから、友人と楽しもうと思っても良かった。
でも認知症になった。(引っ越しがわるかったのか?)

加齢による認知症と病気としての認知症は違うんじゃないのかしら。おおざっぱに「認知症」でくくるのって危険じゃないのかな。

筋トレして健脚になっても、関節や腰の病気になれば歩けないように、脳トレしても「病気としての認知症」には勝てないんじゃないのかな…なんて私は思っているのだけど…素人ですからわかりませんけど。

不安なのかな。

2005-12-09 | ●介護録(~2015.2月)
ある日のデイの帰り、「この人が送ってくれたの」と母は涙ぐんだ。
この人というのはいつものスタッフなのだけど「この人がいなかったらどうなっていたか」という気分のようだ。特に何があったわけでもない。

で、私の推測。

日の暮れるのが早いので外は暗い。母は車に乗っているうちに(ほんの10分程度だけど)「家に帰る」ということを忘れ、暗い車の中、どこに連れて行かれるのだろうという不安を抱くのではないか。
スタッフはいつものメンバーの誰かなのだけど、車中の暗さでよくわからないのかもしれない。

その結果、家に着いたところで、二つのパターンが生じる。
一つは、冒頭に書いたように【とても不安だったけど、この人が優しく送ってくれた、ありがたい】と言う気持ちになって、丁寧にお礼をするパターン。

もう一つは【とりあえず家には着いたけど、この人が自分をどうにかしようとしていたに違いない。ああ、恐かった、イヤな思いをした。この人なんて大嫌い】というような感情になって「あなたの顔なんて二度と見たくない」と言うパターン。
(でも、これ、実はある特定のスタッフにだけなので、これまた私の推測だけど、無口なタイプの彼なので、車中で話さないのでは?と思う。だからコワイ人になるのでは?)

日の暮れが早いうちはこのどちらかが続くのではないかと予想。
それとも、日が長くなっても「家に帰る」ということが分からなくなってやはり不安になるのか…神のみぞ知る、ですね。