「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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毒抜き―〈介護〉

2006-09-04 | ●介護録(~2015.2月)
昨日の夜は、イスをどこかにもっていかねばならんと、しつこく絡む母。
持っていく必要はないと、あれこれ言っても収まらず、いつしか、私に学校へ行けと言う話に転化。
卒業したと言っても、「そんなはずはない」という。
「本人が学校へは言ってないというのだから問題ない」といえば、「信じられない」とブンムクレ。
「いいのね?行かなくていいのね?どうなっても知らない、なんて人なの」とブヅフツ言う母。
「なんて人なの」はこっちのセリフだ。

ああーーーー腹が立った

夜中起きてはガタガタゴソゴソ。玄関の靴をどこかに片づけている。
さらに早朝、またガタガタゴソゴソ。もううんざり。

朝、起きて私の仕事は、箱ティッシュ、テレビのリモコン、玄関の靴、湯飲みさがしから始まった。

ああーーーーーもういやだ毎日毎日こんなことばっかり。
なぜ、こんなにモノを片づけたいんだろう?
元に戻しても、またどこかに持って行かれるんだから、そのままにしておこうか…って、それはそれで生活に困るし……。

友達からお花を貰いました。学生時代の友人とひさしぶりに会い、短い時間だったけど懐かしいオシャベリに心がホッ。この花みたいに元気をださなくっちゃ。

「ヤカナ」ってなんだ―〈介護〉

2006-09-03 | ●介護録(~2015.2月)
昨夜、お魚焼きを母に頼んでみた。
フライパンで焼いたんだけど(サカナも入れて準備万端、菜箸を渡した)、そこで母がー

「ヤカナ、入れなくていいの?」と言った。
意味不明
様子を見ると、フライパンにあと一切れ入るくらいの空きをつくってある。
どうやら、その空きにもう一切れ入れて焼かなくていいのか?ってことらしい。

「ヤカナ」っていうのは「サカナ」と「焼く」が合成された言葉と解釈。

私はわざと「えっ?」と何度か聞き返してみたけど、言葉が訂正されることはなく、ずっと「ヤカナ」のままだった。

認知症は字も読めなくなるし、言葉おかしくなるというから、その兆候なんでしよう。


札幌のデパートでも、ハンカチ王子人気を見込んで青いハンカチを並べたそうだけど、まったく売れなかったって。
それはそうでしよ……。北海道は「マーくん」よ

技術が残っているけれど―〈介護〉

2006-09-02 | ●介護録(~2015.2月)
母の場合、あんなに見当識障害が激しいのに、技術的な能力は残っている…時もある。(最近は五分五分か)

だから、みじん切り、小口切り、スライスして…などが通じる場合もある。

昨夜も調子は良かったので、ネギの小口切りを頼んだ。
「ネギ、切ってくれる?」
「どうやって切るの」
「小口切りでいいよ、切ったら鍋に入れてね」

その次に母がなんと言うかと思ったら
「小口切りといってもいろいろあるでしょ。幅どのくらい?こんな細いのも、こーんなに大きいのも小口切りは小口切りよ」……だって

本気の屁理屈のような、半分ジョークのような、微妙な話しぶり。

まあ、いいけどね~~~
他人なら、オモシロイはね~と言えるかもしれないけど、身内だと、ちよっとイライラ

脱仏壇!―〈雑談〉

2006-09-01 | ▼ユルユル日常
いかにも…という感じの仏壇、いやだな~と思っていたけど、家具調仏壇は高いし仕方ないと思っていた。
でも、この間「四角い仏壇自体をやめちゃえばいいんだ」と考えた。

写真と位牌とトラグッズとお花を飾る(仏花じゃなくて)。リンは鳴らさないので、坊さんが来るときだけ用意。
以前、網みたいなトレイに寝かせておく線香置き?を見たことがある。あれは楽そうだった。でも、ホントはお線香の匂いが苦手。出来ればパスしたいけど。

そして、インテリアの一部みたいにローボードの上にでも置きたい。(今んとこ、そんな場所は確保できてないけど

仏壇で検索。
ミニ仏壇という30センチ程度の高さのものがあったので、これにお位牌をいれて置けばいい感じ。LED式の線香もある
さらに検索。
「現代仏壇」というのが出てきた。モダンですがお高い。イタリアシリーズだとか、イロイロある
線香立てを見てみた。グラスみたいだったり、とても仏具にはみえません。

つまり、なんでもいいってことかーと結論。
生きてる人間が勝手に決めてるんだし、私が気に入ったモノを使えばいいんだわ。

問題は、そういう目新しいことをした場合、母が、ことあるごとにそれを(写真とかお供えを)どこかに片づけてしまいそうってこと。

今でさえ、仏壇の写真立てが行方不明…この計画はムリか