「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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意識して「そう」の活用―〈介護〉

2006-09-12 | ●介護録(~2015.2月)
「そう」「そうなの」「それで」「それから」……「そう」の活用。共感的手法(トラコさんより)というんだそうだ。そして、これはコーチングの技術(ak6254さんより)でもあるらしい。
ネットは勉強になるなぁ~

心理学なんていうものの単位も取ったっけね~大昔。

ここのところ、なるべくそれを意識して母につきあおうという努力だけはしている。
夕食後の毎日の日課。必ず始まるよく分からない妄想・作り話・思いこみ。
正直、毎日それに向き合うのはかなり忍耐がいる。おそらく、その気分は顔に出ているのでは…と思うのだけど、母はもうそこまでの観察力はないみたい。
ある意味、自分の世界にドップリとはまっているのか?

当然のことながら、「努力はしているつもりレベル」の私は、その技術をうまく使えるはずもなく、頭に描いたシチュエーションでなら「そうなの」と切り返せるのだけど、思いもしない質問、話の展開には、「そう」の活用も浮かばないワ。
固まる……
まあ、そんなにカンタンに出来ることじゃないよね~

このところ、徘徊がとまっているので、それだけでもかなり楽(でも玄関から出て外を眺めるという行為は何度もあるので気は抜けない)
そして、もうすぐショートです
今日は妙に眠いです……


西武と直接対決だ~―〈雑談〉

2006-09-12 | ■ファイターズ
パリーグ1.5差に3チーム。今日から西武戦。どうしよう~どうしよう~…って、どうにもできないんたけど、どうしよう~。
そしてセリーグも、もうすぐトラドラ。こっちもどうしよう~~。

解説者はテキトーなことを言う。
「この時期下位球団は目的をうしなってるから」コワクないと言うかと思えば
「プレッシャーがないから」かえってコワイと言う。どっちなんだよ!!

新庄番記者のプログに、ハムが日本シリーズ出場してその相手が阪神だったらドラマチック…みたいなコトが書かれていた。もしほんとにそうなったら野球の神様がいるのかも?って気になるワ。


ハングル検定の願書を取ってきた。予定してなかったけど、地元で受験出来るので申し込むことにした。札幌へ行くことを思えば三回くらい受験出来ちゃう。
今年から帯広も「準会場」が出来た。バス路線からはハズレ、歩いて行けないこともなく。けど試験前に歩く距離としては遠い…という微妙な場所…というより11月だから雪降ってたりして…。


キアヌとS・ブロックの「イルマーレ」。二人とも好きな俳優なので見てみたい。
でも、これ韓国映画のあの「イルマーレ」。あの映画…ロマンチックではあったけど、よくわかんない~。
多分、わかんないままでいいのよね。あのわからない加減が素敵なラブストーリーなのよね。
ハリウッドの二人が演じたほうがロマンチック度は増すかもしれないし、ありえなーいこともOKな気分になるかも。
映像はキレイ、内容が分かっているから、どうだろう?

「認知症の介護のために知っておきたい大切なこと」2

2006-09-11 | ●介護録(~2015.2月)

この本が「優しい」と思ったのはなぜかなーと考えてみた。
言っていることは、被介護者の視点にたって、こういう風に介護すればいいのよ~ってことだから、大抵の場合、よくある本のように、「介護者に救い」がないって感想になりそうなものなんだけど、(そういう側面もないとはいえないけど)どことなく受け入れやすいのは?

多分、文章の形態ではないかなーと思う。
例えば介護本は「○○の時は、△△してあげましよう」という言い回しが多い。
だけど、この本は「○○の時は、△△なのです。」というニュアンス。そして、その後に○○しましょう。○○させてください。と続くんだけど、「してあげなさい」という強い調子とは違って聞こえる。
そして、「そうすることでお互いが幸せなのです」という締めがくる。

日本は福祉後進国。キリストの慈悲の精神から発達していった社会福祉ってものを考えると、福祉や介護の中で「お互いの幸せ」的な発想って、日本人的感覚にはないんじゃないか……。

そして、実際のケースがたくさん紹介されている。それを評価するというより、事実を伝えているという感じがするので、例えば、ケアの仕事についたばかりの人が、介護者としてあるべき態度、成すべき対応を、理屈を教えられるのではなくそれを読むことで自然と理解出来るような流れを感じた。

当然、家族介護者の場合、割れきれない感情もあるので、パニックになっているときに、これを読んでも受け入れられないかも…と、ちょっとそんな感じもあり。

●「介護者と被介護者が一緒に出来ることのリストを作ろう」という提案
原則は十分にやりがいのあることで、種類が多いこと。
多分、私たちは誰に教えられることなく、自然とそういうことを考えていると思う。それは、何かで時間を使えば徘徊防止になるとか、安定してくれるだろうとか、自分が楽になるための手段でもある。ただ、家族がこれをやり続けるのはかなりの忍耐がいることは間違いない。
そして、どんどん褒めようという。しかし、これは加減がムズカシイそう。

●「ケアは協力」
たとえ出来ることが少なくても、私だけが行い、母がなにもしなければ、結局母は役立たずだと感じることになりかねない。
だから「最高のケアは一種の協力」なんだそうだ。

現実に「母と一緒に」と想像すると、家族に対して出る本能的なワガママや甘えが必ずジャマをするだろうと思える。 うちの場合はとくにその傾向は強そう。

●問題行動に関して
基本はやはり、それを受け止めること。この本では、「それは本当に問題行動ですか?」という問いかけから始まる。
そして、徘徊、妄想など、それぞれについて、どういう不安状態からそうしてしまうかが述べられ、(例えば物をしまい込むのは、物が…自分の一部が…失われていく不安からこれ以上失われないように物をしまい込むのではないか、など)それを受け止めていこうというのが基本。
―<問題ではなく、その人に目を向けて、望みを果たせる方法をさがしてみてください。魔法の言葉や特別なイロハありまんし、解決せずに残る問題もあるでしょう。ですが、あなたの全体的アプローチが問題に焦点をあてたものではなくその人に焦点をあてたものなら、あなたが介護する人も、あなたも今よりずっと幸せになれるでしょう>―

認知症の介護のために知っておきたい大切なこと―パーソンセンタードケア入門

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あと二回くらいこの本のこと書きます…長々と…


風邪をひくのはな~んだ?―〈介護〉

2006-09-10 | ●介護録(~2015.2月)
昨日の夕食作り、冷凍ブロッコリーをレンジでチンし、母にレンジから出して~と頼んだ。

レンジがピンとこないから、「クルッと後ろを向いて」「目の前の四角いモノ」「その扉をひっぱって」…などと言わなきゃならない。
自分で行ったほうが早いよね~

「出来てる?」と聞く。
「まだ冷たいとこがある」と母。でも、サラダには十分だったので「OK」に。
すると………

「風邪ひかないかしら?」と母。なにが?って、プロッコリーが。

「ブロッコリーは野菜だから風邪はひかないと思うよ」と言ったけど、通じてないみたい。

これって、幼児の発想みたいだな。
小さな子が言えばカワイイけど、70過ぎたオババでは………

先ほど叔母からが来た。話し終わった母、プープーなっているのだけど…と言いに来た。切らなくてはならないことは分かっているけど、受話器をどうすればいいのか分からないみたい。

脱仏壇・その2―〈雑談〉

2006-09-10 | ▼ユルユル日常
うちから歩いて10分程度のところに「仏壇屋さん」という店がある。
ネットでみた、コンパクト仏壇とかミニ仏壇、それにモダン仏具などはないだろうかと思い行ってみた。

店員に声を掛けられたので、おもうところを話してみたら………。

「ソレは邪道」と、居丈高にバシバシと言われちやったよ~。
仏壇屋の立場で私の考えを(住職を無視して)容認出来ないという主旨。でも言い方ってのがあるよなーと思う。あの接客態度はよくないワ。

仏壇はご先祖サマや亡くなった人(位牌)に屋根を与えるということなので、屋根のないメモリアルスタンドは適してないって。家の中でさらに仏壇という家?
別に屋外に捨て置くわけじゃないのになー

十勝は檀家制度がしっかりあるから好き勝手はいかんということで、市内のどの仏壇屋にいっても、そのようなモノ(コンパクト仏壇とかモダン仏具)は売ってないでしょう…といわれた。

最後にこの店員「ペット用なら小さいものが売っているんじゃないですか」だって。
いくらなんでもペット用なんて……そういうこと言う?
メモリアルスタンドモダン仏具の一例

「認知症の介護のために知っておきたい大切なこと」

2006-09-09 | ●介護録(~2015.2月)
認知症の介護のために知っておきたい大切なこと―パーソンセンタードケア入門

筒井書房

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図書館で借りました。これは翻訳本です。著者はイギリスの先生。

文体がとても優しい。これは翻訳者の個性なのでしょうか?
平易な文章でわかりやすく、あたたか~い感じ。

で、内容はどうなのか…
介護者の心理をとてもよく分かっている。
でも、視点は「被介護者を中心にしたケア」で、認知症者を一人の人間として受け入れようという姿勢。介護者としては「それはとてもよく分かるのたけど…」という側面も多々ある。
しかし、確かに、そのように対応していけば、問題行動の軽減もあるだろうと納得もする。(個人的なことをいうなら今は読めるけど、介護初期だったらより落ち込んだかも。)

そんな感じでした。

興味深い記述もあったので、これから何度かに分けて書いてみようかな~と思います。

「パーソンセンタードケア」というのは、「その人(認知症者本人)を中心とした介護」という意味。
各章に、時々「家族介護者へ」と「ケアワーカーヘ」という見出しがあり、二つの立場にわけて書かれているのも初めて見る形。

まず、前書きで家族介護者に向けて書かれた部分を引用します。
…なんでこんなに私の心が分かるの~?…と思う部分でした。


―<もしあなたが家族介護者なら、これまでの人生のなかで今がいちばん困難で動揺し、消耗する時期かもしれません。現実的な仕事、それも大いに忍耐と技を必要とする仕事をかかえているのですから。日々の日課をこなしながらも、変化していくことに対応し続けなければいけないのですから、今以上の支援を必要とする気持ちもわかりますし、おそらく自分が直面していることを理解してくれる人がいないと感じていることでしょう。あなたと、あなたが介護する人との関係は、今では以前とは違うものになりましたし、これからもまた変わっていくでしょう。もしかしたら、あなたは昔を振り返ってすべてが穏やかだった日々を懐かしみ、それでいてそんな日々はもう戻らないと気づいているかもしれません。こんなにも多くを与えているのにあまりにも見返りが少ないと感じる日々もあるでしょう。大事な意志決定をしなければいけないのに、ときには何が正しいのかわからないこともあるでしょう。これらのすべてに直面しながら、それでもあなたは最善をつくそうとしているのです。>―



母が私を認知しなくなった時

2006-09-08 | ●介護録(~2015.2月)
一般的には重度になってからと言われるけど、母は介護度1で、私(娘)を他人と思うようになった。(24時間ではない)
あきこさんのお母様はその辺の症状がうちの母と同じ。二人の脳萎縮には何か共通項があるのでしょうか…?

母に、最初のその症状が出たのはスーパーでのこと。
「スキなの買って持って帰るといいわ」と母がいった
「○○ちゃん(母の一番下の妹)と間違ってない?」と言うと、「あら、ほんとだ、何いってるんだろ」と我に返った。

それからある時、一緒に茶の間にいた母が、急に私の部屋に行き電気をつけ、なにか探しはじめた
しばらくして「どうしたの?」と声をかけると
「よかった、帰ってたの。女の人がいるんたけど、誰だか分からないから、アンタの友達だろうと思って、何か手かがりはないか探していたの」といった。

さらにある日「あなた、○さん(父の名前)とどういう関係になるの?系図をかいてちょうだい」と言われた。後で書くから…といっているうちに何事もなかった感じに。

こんなふうに、はじめはいつも数分で元に戻っていた。
アヤシイナと思ったら、ちよっと席を外して戻る。それで母は「あら、いたのね」と落ち着いたのだ。

……「あなたは誰?」と言われ「とうとう来たか」と思った……という話を見たり聞いたりする。
そんなとき、「そうやって心の準備が出来ただけマシよ~」なんて思う。
私には「とうとう…」なんて思う余裕はなかったから。

でも逆に「いつか…」と思う不安から解放されているのかもしれない。
もう、母にとっての何者になろうと同じことサ…っていうのはちよっと強がりかなぁ~


夜中に起きた時―〈介護〉

2006-09-07 | ●介護録(~2015.2月)
夕飯を終えて、早いと8時頃には寝てしまう母は、12時を過ぎると起きてしまうことがある。

トイレを済ませて、また布団の中ってこともあるけど、しっかり朝モードになって、布団も片づけ、ゴソゴソし出すこともある。
とはいえ、結局は、電気をつけたままに茶の間のソファでウトウトする場合が多い。

昨夜もそうだったので、「これから寝る風」を装って、パシャマ姿の私か
「そろそろ寝ようか」と声をかけてみた。
「うん、寝るわ」と母。
布団はもう一度敷き直してあるし、このまま寝てくれたら安心。
だけど…一筋縄ではいかないのが母である。

「布団に入ったら」という誘いは拒否。
「やることがある」と言う。なのに「もう寝るよ」と返事はする。
「じゃ、茶の間の電気は消すよ、寝ようね」というと、「なんで?あなたスキに寝て。私はやることがある」と言い張る。

騒ぐわけではないから、この程度のやりとりであきらめるけど、私は、布団に入ってくれた方が安心。

この感じはしばらく続きそう。外に出て行かないなら、まあいいさ…ってところですね。

今日は肩がコリコリです。うーーん、肩をえぐり取りたいよ~~

やっぱり今夜も―〈介護〉

2006-09-06 | ●介護録(~2015.2月)
出ました~夕飯後の「お出かけ態勢そしてキャンセル」

「あの子たちにリボン付けなきゃダメよね?」が始まり。
あの子って?リボンって?……とりあえず「そうだね」と返事。
「どうやって付ければいい?」と母。
この手の質問は困る。母の中でどんなイメージがわいているのかまったくつかめないから、どのような答えが適当なんだか~~~

母はファスナー(洋裁をやっていた母は新品ファスナーをいくつも持っている)でリボンの形を作り、これをもって行かなくてはならないと私に言った。
結局は、どこに行けばいいか分からないというので「じゃ、今日はムリだよ」と言ってしまう私の毎回の失敗。

分かっているのに毎度毎度言ってしまいます~~ああ~~
で、ちょびっとフキゲンになった母を無視してしばし部屋にこもる。

ほとぼりが冷めた頃、茶の間に戻りテレビをつけたら「さんま御殿」。母の意識がそれに集中してメデタシ、メデタシ。

この夜は久しぶりにパジャマに着替えてくれた。最近、着替えに関してはどうにもならない状態。服のまま睡眠が継続、寝るときにはブラをとり、翌朝、私はソレを知らないまま母をデイに送り出していたり、アレコレアレコレ。
でも、私が手を出すことはあきらめ半分なすがまま

すると、デイの連絡帳に「そろそろ涼しくなってきたのでシャツを一枚着たほうがいいのでは?」の文字。
ハイハイハイ…わかってます!思うように出来ないんだからそんなに急がせないでよ~
デイの人に悪気はない。でも、時にそれがプレッシャーになることもあるのよね~

あきこさんも関西人であることが判明しました。
北海道人の私のブログは関西人増殖中~~~ヘ(・.ヘ)(ノ.・)ノ←ダンス中

毎晩のお約束―〈介護〉

2006-09-05 | ●介護録(~2015.2月)
昨夜の理屈は「道路の脇の穴をうめる」?…というよくわかんない話で着替えまでしてお出かけモード。

もはや毎晩のお約束という雰囲気の、夕飯後の外出態勢。実際に出て行く確率、最近は半分以下
(推測の範囲だけど、ひよっとすると、ショート後に徘徊モードがキツクなっているかも)

ただ、とにかく「毎晩」デス。食事後「さぁ、そろそろ行こうか」と始まる。
理由は葬式だったり、病院だったり、学校だったり、誰かとの約束だったり、千差万別(←恥ずかしながら、ずっと「せんさまんべつ」だと思っていた)

昨夜は「一緒に行って」といわれ、カギとサイフを用意してずっーーと待機。しかしいつまでたっても母の動きがない。着替えまでした母なのに。みれば茶の間で新聞を見ている(字は読める。内容理解に至っているかはアヤシイ)
今夜のお出かけはナシと安堵。
でも、時に、しばらくして母が「待っていたのに」と文句を言い出すこともあるので要注意

最近思うけど、案外「毎晩」のパターンになって、気が楽になっているかな?って。しかも、話だけで実際出て行かない事も多いので、「また言い出した、言わせておこう。そのうち寝ちゃうだろう」と予測が出来る。

「行こう」とか「いかなきゃならないよね」と言われるのでどうしても「行く必要がない」という方向で返事をしてしまうけど、これは効果がない…というより、逆効果……と分かっているのに口が…口が…
何か効果的な一言ってないかしら?
黙ってたほうが無難だけど無視していると言われるし…。