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偶然とは何か、という本を読もうとしている。著者自身のレジュメによると、確率論の導入によって『偶然』は克服されたというのは、自然の認識としても、あるいは人間の生き方としても正しくない、というのがこの本の主張であるらしい。
このレジュメを逆読みすると偶然と思える事象を確率で表すのは間違っている、ということになる。もう何十年も会っていない男と女がある交差点の歩道でぱったり出会う、これを偶然と言わずしてどういうか。滅多にないことだがありうることで確率で表せば0.31×10~-6です、等と言ってもバカかと一笑にふされそうだ。上乗りして、あの条件が変わると出会う確率はグゥーンと上がって倍になりますよ、というのは説得力がありそうだが、いやそうじゃない!と作者にいわれそうだ。しかし、確率で偶然をとらえなかったら、どうするか。ひょっとして、詭弁の世界に引きづり込んで偶然を説明しようというのだろうか。あるのかないのかよくわからない偶然だが、あまり真剣に考えると頭の中がスパゲッティ状態になるので退散する。
p.s.
昨日チリでは33人が救出され、日本では下校途中の女生徒が撤去予定の塀の下敷きななり圧死した。なぜこの人の身にという無念がぬぐえない。
偶然とは何か、という本を読もうとしている。著者自身のレジュメによると、確率論の導入によって『偶然』は克服されたというのは、自然の認識としても、あるいは人間の生き方としても正しくない、というのがこの本の主張であるらしい。
このレジュメを逆読みすると偶然と思える事象を確率で表すのは間違っている、ということになる。もう何十年も会っていない男と女がある交差点の歩道でぱったり出会う、これを偶然と言わずしてどういうか。滅多にないことだがありうることで確率で表せば0.31×10~-6です、等と言ってもバカかと一笑にふされそうだ。上乗りして、あの条件が変わると出会う確率はグゥーンと上がって倍になりますよ、というのは説得力がありそうだが、いやそうじゃない!と作者にいわれそうだ。しかし、確率で偶然をとらえなかったら、どうするか。ひょっとして、詭弁の世界に引きづり込んで偶然を説明しようというのだろうか。あるのかないのかよくわからない偶然だが、あまり真剣に考えると頭の中がスパゲッティ状態になるので退散する。
p.s.
昨日チリでは33人が救出され、日本では下校途中の女生徒が撤去予定の塀の下敷きななり圧死した。なぜこの人の身にという無念がぬぐえない。