20015/02/19
「天皇は皇太子呼び問いたまう兄と弟どちらが可愛い(大山守と大雀を呼んで質問)」
「問いたるは宇遅若郎子に天下治めさせたく思われたから()」
「答えるに大山守は『上の子の方かわゆく思う』と答う()」
「大雀父の御心知りたまい『年端のいかぬ弟の方』と()」
「わが思い大雀の言う通りだと皇子三人に役目を分ける
(1:大山守は海・山を管理
/2:大雀は天下の政治を執り行って天皇に奏上
/3:宇遅若郎子は天下を治めよ)」
「かく決まり大雀命天皇のご命令にはそむかざりしか(わざわざ言うのには後日談がありそう)」
2015/02/20
BS世界のドキュメンタリー『シェイクスピアの正体』をじっくり見た。
昔からシェイクスピア別人説があって、このドキュメンタリーでは当時17世オクスフォード伯、エドワード・ド・ヴィーア(1550-1604)がその人であるといっている。
オクスフォード伯は11歳頃に父の屋敷に来たエリザベス女王(1533-1603)と会っていて、それ以降、彼女から可愛がられる。1570年20歳頃に貴族の最高位である伯爵に叙せられ1586年には年金も100万ポンド、今の金で言うと5億円ほどもらっている。
当時の劇作家は、政治との関連で結構際どい商売であったらしい。当時劇場で上演される演劇が、歴史事実や政治事件等について原作者の見解を聞く場であったらしく、メディアとしての機能を持っていた。『ハムレット』や『リチャード2世』等は宮廷内部の政争や出来事の内容を知る危険な演劇であった。彼はエリザベス女王から目をかけられていて、お咎めはなかったし、彼自身もエリザベス女王の後継者であると思っていたらしく、彼は自署するときにサインに王冠と7世を意味するチェックマークを7つ入れていたらしい。ただこのサインは、エリザベス女王が死亡したときからは使わず、もとに戻したという。オクスフォード伯は、エリザベス女王が亡くなった翌年の1604年に亡くなるが、同年に『ハムレット』が王室の紋章付きで発刊される。王室の紋章がどういう意味を持っているのか、これからの課題であるが、ハムレットがオクスフォード伯のモデルであり、この作品で自分の多くをハムレットに語らせているという。また、154篇のソネットには、恋愛・美・政治・死などが語られているが、81篇の中に『やがて、わたしの名前は忘れられる』という言葉がある。ここでいう『私』はオクスフォード伯であり、決してシェイクスピアではない。いまやシェイクスピアは雨散霧消し別の世界が浮かび上がってきた。つまり、オクスフォード伯、彼の作品群、エリザベス女王、ウィリアム・セシルとロバート・セシル親子、エセックス伯とサウザンプトン伯、オクスフォード伯の娘婿等が織り成す世界が浮かび上がってくる。この世界は、今までのシェイクスピア世界とは、色艶が全く違った世界になるだろう。