2017/01/05
「澄みわたる正月五日の庭の梅凛々としてひとつひらきぬ(鳥海明子)」
「花言葉『澄んだ心』は如何にして誰が決めるか気になり出した()」
「梅ならば菅公慕う飛梅がたぶん女と下衆は思えり(菅原道真)」
「わが家には家紋ありたり梅鉢の先祖辿れど江戸で不明に()」
「新たなる麦の芽雪下で顔出だす新春初めはたくましき日々
(正月1〜5日を『雪下麦を出だす』)」
「人の手にはや古りそめぬ初暦(M28)」
「初暦五日頃には色々と書き込みも増え古りそむるかな
(古くなり始めるところが人それぞれで面白いのか)」
「初暦ぺタンク句歌会古りそむる()」
「ぺタンクやかじかめる身でいそしめり()」
「初試合かじかむ手にてブール投ぐ()」
「初投げに冷えるブールの気合いかな()」
2017/01/05
『子規は何を葬ったのか〜空白の俳句史百年』今泉恂之介著を読んで興味を覚えた。
空白の百年とは一茶から子規の活躍した狭間は大体百年であり、その間の俳人、俳句が闇になっている、というものである。
なぜ空白ができたかと言うと、一つには子規の論争テクニックで『卑俗陳腐』と切り捨てたこと、二つ目には『俳句分類』が間に合わなかったこと、等があげられる。
実際はどうだったのかと言うと、それなりの俳人も出ており、俳句も『卑俗陳腐』と一刀両断すべきものでもないらしい。
どんな俳人がどんな俳句を作ったかは本に譲ることになるが、最近は子規も罪作りなことをしたもんだと言うのが正直なところである。