がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

戦利品(きとねいちにて)

2009年04月30日 | ・手ぬぐいコレクション
こちらが「きとねいち」での戦利品です♪

手ぬぐいを販売している方は結構いらっしゃったのですが
さすがにプリント(シルクスクリーン?)が主で
注染手拭を扱っている方はいませんでした(^-^;)

そんな中購入したのがこちらの4点。

うこん染め+消しゴムはんこの手ぬぐい *400円*
ブルーベリー&藍染め+消しゴムはんこの手ぬぐい *400円*
紅型工房の型染め手ぬぐい *1000円*
セリユキヲの季刊小冊子「Salvia②-京都 木版画・散華のできるまで-」 *500円*

広げた状態のはまたいずれご紹介しますね。



手つくり市、いいですね♪

ワタシも色々つくってみたくなりました。



実はこの日、まだまだ出会いがあったのです。

その続きはまた明日。


(つづく)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春のきとねいち

2009年04月30日 | ・琉球/沖縄、徒然日記
町家カフェ鎌倉を出て北上。

途中本屋によりつつ、
次に向かったのは読谷村のむら咲きむらで開催された
「きとねいち」へ!

きとねいちは手作り市みたいなので
食べ物とかお菓子とか雑貨とかの市。
以前雑誌で紹介されてて興味あったので行ってミマシタ。

 

むら咲きむらの駐車場は今まで見たことないくらい混んでました(驚)

ちなみにむら咲きむらは約20年くらい前の大河ドラマ「琉球の風」のスタジオパークで、
今は工芸体験の観光施設となっています。
その点、先日紹介した玉泉洞と似てますね。(鍾乳洞がない分負けてるけど(^-^;))
シューガクリョコーセーがよく来てます。

なので内部は琉球王国時代の城下町のイメージ。

 

「めんそ~れ~」



奥の広場まで抜けると…

 

たくさんの人でにぎやかに催されていた春のきとねいちです! 



音楽ステージもあったりして。

 


ガジュマルの下の青空ショップ。

晴れてよかったね(^-^)



手作り市ということで普段変えないものばかりなので興味津々♪

会場を2周、3周して、
買いました!

掘り出し物!



(つづく) 
そろそろ手ぬぐいのコトがでてきます(笑)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

町家カフェ鎌倉

2009年04月30日 | ・沖縄のcafe、お食事処


お昼はコチラ!

町家カフェ鎌倉。

いえ、知っていたお店ではなかったのですが
車から「町家カフェ」というのが飛びこんできたので急カーブしました(^-^;)

浦添市役所向いのお店です。



中はこんな感じ♪

店員さんも皆浴衣で沖縄では初めて見る本格和カフェです。

あ~、でも聞いたことあるかも!
和スイーツのカフェが浦添にあるって。

ここのことだったのかな?

お客さんも結構入っていたよ。



頼んだのはしょうが焼き定食。

他にも和っぽい魚定食とかあったんだけど
肉が食べたかったので(^-^;)

すっごいやわらかくておいしかったですよ♪

筍を煮たの(?)が歯ごたえがあっておいしかった♡


食後にデザートで冷やしわらびもちを注文しようと思っていたけど
お食事注文の人にはドリンクとわらびもちのサービスがあった!



これなら別注文しなくてもいいかも…
ということで満足★

また今度スイーツメインで来ようっと♪


酒まんじゅうをお持ち帰り注文してお店をあとに。


(つづく)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浦添ようどれ

2009年04月30日 | ・琉球史散策/第二尚氏

昨日の記事の続き。

中途半端に終わったままなので(^-^;)

当山の石畳を中心に周辺を散策しても
やっぱりたどり着けない浦添城跡と浦添ようどれ。

近くに来ているのはわかるし、
それらしきものが向こう側に見えるんだけど。

でも実は先日もチャレンジしてたどり着けなくて諦めて帰った、
という経緯があるのでなんかちょっと意地になって探しました(笑)

そしたら、
本来大通りから曲がるはずのすーじぐわぁ~(小道)が工事をしていて
いかにも通行止めっぽくなっていたけど
実は一方通行で通れる、ということが発覚。


……なんだ!
ここさっきも通ったじゃん!(涙)

すーじぐわぁ~(小道)にも案内板があると助かるな(^-^;)



で、とりあえず史跡に行く前に
「浦添グスク・浦添ようどれ館」という小さな資料館へ。

小さな資料館だったけど、映像資料とか
浦添ようどれの内部を実物大復元したものとかあって
規模の割には濃い学びができる資料館でした♪
パンフレットも充実しているし★

資料館を後にして、いざ、浦添ようどれへ!



浦添ようどれ、というのは
琉球王朝最初の王統である英祖(えいそ)王(在位1260-1299)と
第2尚氏王統7代目王となった尚寧(しょう・ねい)王(在位1589-1620)のお墓です。

ちなみに、尚寧王はもちろん首里城に住んでいたわけですが
なぜ歴代の王の墓(玉陵(たまうどぅん))ではなくここ浦添ようどれに葬られたかというと、
浦添出身の尚寧がこのようどれを修復したから、というのもありますが、
尚寧王の時代、今からちょうど400年前の1609年に薩摩侵略を受けたから、
というのもあります。
(歴代の王達と同じ墓には申し訳がたたん、というヤツです。
もちろん本人の希望だったのか周りがそうしたのかは不明。)



↑はお墓に行く前にある暗シン御門(くらしんうじょう)。

あれっ?
聞いたことあるぞ?

テンペストで真鶴が寧温として脱出するときに使ったルートの名前では?

お、そうか。
暗いトンネル状の通路(門)を総じてそう読んでいたのね。

↑は岩の上部が沖縄戦で破壊されてしまい
今はトンネル状であった当時の姿は写真でしか見ることはできません。

この世からあの世へ通じる門、
浮き世と聖地との境目として存在していたらしいです。



これが復元された浦添ようどれ。

右側が英祖王、左が尚寧王のお墓です。



今でもここで御願(うがん)をささげる人が多いのでしょう。
こんな看板が…(^-^;)

「ウチカビ」の記述がまさに沖縄らしい。
(あの世のお金こと。燃やしてあの世へ送る。)

 

左端に注目。

 「はぁ~、きょういい天気やっさぁ~

とでも言っているかのようなシーサーがいました。

イマイチ王の墓前を守ってるような威厳はないなぁ~(笑)




ようどれではワタシひとりだったので
寂しいくらいただただひっそりと静かでした。

帰りの登り階段にふりそそぐ木漏れ日がとても穏やかでした。


浦添城址は他のグスクみたいに大きな城壁があるわけでもなく石碑があるだけっぽく、
ちょっとようどれから歩く距離だったので
お腹もすいたし、足も痛くなってきたので退散することに。
(ちなみに同じエリア内には沖縄学の父、伊波普猷のお墓も)


(つづく)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする