がじゅまるの樹の下で。

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琉球HEROS-牧志朝忠-

2011年04月09日 | ・琉球史散策/第二尚氏

ううぅ…
琉球史ネタの記事がなかなか書けぬままで申し訳ない…

まだまだ時間に余裕ができそうもないので、
しばらくは「ちむドンフェスタ」での琉球偉人パネル用に描いたイラストを使い回しします…。
以前にもっと小さいサイズで全種類UPしているのですが…)

 

まずは、牧志(板良敷)朝忠。

琉球王国末期に活躍した、王府の通事、外交官。

ペリー提督と交渉し、
その能力の高さに諸外国でも名をとどろかせたスゴイ人。

前回も記事にしていますが、テンペストの主人公・孫寧温のモデルとなった人物です。

寧温君と同様、朝忠は薩摩の島津斉彬にも目をかけられ、
日帳主取にまで大出世します。

が、1858年、斉彬の死によって起こった「牧志・恩河事件」で失脚。

投獄の後、釈放されて鹿児島に向かう途中、
海に身を投げた、といいます。

 

牧志・恩河事件なんかも「テンペスト」にも出てきますよね。

 

島津斉彬逝去の報せ聞いて千載一遇のチャンスと立ち上がったのは朝薫だ。

朝薫が率いる向一族が反撃の狼煙をあげた。

「朝倉殿は王宮から出て行かれよ。ここは我らの城だ」

朝薫は大与座の役人達に命じた。

「薩摩から賄賂を受けた役人たちを直ちに連行しろ。
証拠はあがっている。
軍艦購入に賛成した役人達も全員取調べる」

島津斉彬の急死は琉球最大の疑獄事件をもたらすことになった。

刀を持たない士族達の反乱に雅博はたじろぐ。

感情を爆発させた朝薫は怒声を叩きつけた。

「島津斉彬公のご逝去、心からお悔やみ申し上げる。
斉彬公への手向けとして薩摩への忠義に厚い役人達を殉職させよう」

 

「テンペスト(下) 302-」より(池上永一著/角川書店)

 

そんな牧志朝忠ですが、
彼の肖像画が残っていまして、
東南アジアの人みたいなこゆ~い顔をしています
(笑)

ちゃんとその横顔を踏まえて、
濃い感じのイラストにしてみましたよ。

 

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コメント (4)
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