がじゅまるの樹の下で。

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琉球の兜

2012年12月17日 | ・琉球史散策/第一尚氏

肝高の阿麻和利パンフレット描き下ろしイラストより

 

今日は肝高の阿麻和利のロゴマークにもなっている
向立(こうだて)の話。

向立とは、組踊の衣装であるかぶり物についている角飾りのこと。

組踊では「按司」などの役柄を表すために
頭巾にこの向立のついたかぶり物を身につけています。

では、この頭巾に向立とは元は一体なんぞや。

 

それは「兜」です。

つまり、向立は兜の鍬形(前立)に当たる部分。

「琉球戦国列伝」描く時に監修の上里さんに鎧兜講座をしてもらったのですが
構造やパーツを知れば知るほど、
組踊の頭巾+向立が兜を模していることが分かります。

っていうか、よくぞここまでうまく簡略化したもんだと感心したほど。
(サイドの布の折り返しや向立の接着部分、後ろに垂れる布部分までうまくできてる)

 

古琉球の時代、按司たちは日本式の鎧甲冑で戦っていた。

…というのはこのブログではもうおなじみですね。

実際に鎧兜のパーツもたくさん出土してますし。
(県立博物館でも見れますよ☆)

特筆すべきが兜の中心である鍬形のデザイン。

五月人形で見られるような
日本の鍬形をベースにしながら
琉球独自でアレンジデザインした鍬形もあります。

 

こんなんとか↓

 

 

首里城の京の内から出土した鍬形部分。

丸い部分は琉球の権力者の象徴である「太陽」。
(復元図では中心にもう1つ大きな丸文がある)

昆虫のカブトムシやクワガタムシにとっても
角は相手を威嚇したり自分を誇示する立派な武器。

琉球の鍬形も兜としての機能性云々というより
そのような意味合いはあったのでしょうね。


身につけた兜の鍬形に
実際に太陽の光を反射させて

ペカーーッッ

ってやってたかもしれない尚巴志(※150cm未満)を想像してみる…。

ぷぷ、ウケる(笑)

 

ちなみに、実は「琉球戦国列伝」の尚巴志ラフでは
この鍬形デザインで描いてました。

途中で変更になったけど。

 

もう一つのポイントは、このような鎧兜の類が
神事を司る京の内からも結構出土してるってこと。

宗教的儀式にも使われていた?

以前、鎧装備の聞得大君の記事を書きましたが
月清も鎧だけでなくこのような兜もかぶっていた…かも。

 


これは組踊「二童敵討」の阿麻和利。2009年の中秋の宴過去記事より


ちなみに肝高の阿麻和利の向立は真ん中で繋がってますが
実際にこのような真ん中で繋がる鍬形が琉球にあった、
というより、

おそらくこれは肝高の阿麻和利の活動理念を表した
オリジナルのロゴデザイン。

このロゴができる前までは衣装の向立も繋がってなかったしね。

(で、それを実際に鎧兜仕立てにしてみたのが、このイラスト

なので肝高の阿麻和利のイラスト描くときは
こだわってこの真ん中繋がりの向立で描いてますヨ。

 

権威のシンボル「鍬形」=「向立」

地域に伝わる伝統芸能や組踊の向立デザインも
どんな形でどんな意味がありそうか
想像してみると面白いかもしれません

 

参「日本の美術No533 琉球の金工」

 


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(日本の)戦国時代の変わり兜もデザイン面白いよねー。
ってかギャグ?みたいな(笑)


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