今日は肝高の阿麻和利のロゴマークにもなっている
向立(こうだて)の話。
向立とは、組踊の衣装であるかぶり物についている角飾りのこと。
組踊では「按司」などの役柄を表すために
頭巾にこの向立のついたかぶり物を身につけています。
では、この頭巾に向立とは元は一体なんぞや。
それは「兜」です。
つまり、向立は兜の鍬形(前立)に当たる部分。
「琉球戦国列伝」描く時に監修の上里さんに鎧兜講座をしてもらったのですが
構造やパーツを知れば知るほど、
組踊の頭巾+向立が兜を模していることが分かります。
っていうか、よくぞここまでうまく簡略化したもんだと感心したほど。
(サイドの布の折り返しや向立の接着部分、後ろに垂れる布部分までうまくできてる)
古琉球の時代、按司たちは日本式の鎧甲冑で戦っていた。
…というのはこのブログではもうおなじみですね。
実際に鎧兜のパーツもたくさん出土してますし。
(県立博物館でも見れますよ☆)
特筆すべきが兜の中心である鍬形のデザイン。
五月人形で見られるような
日本の鍬形をベースにしながら
琉球独自でアレンジデザインした鍬形もあります。
こんなんとか↓
首里城の京の内から出土した鍬形部分。
丸い部分は琉球の権力者の象徴である「太陽」。
(復元図では中心にもう1つ大きな丸文がある)
昆虫のカブトムシやクワガタムシにとっても
角は相手を威嚇したり自分を誇示する立派な武器。
琉球の鍬形も兜としての機能性云々というより
そのような意味合いはあったのでしょうね。
身につけた兜の鍬形に
実際に太陽の光を反射させて
ペカーーッッ
ってやってたかもしれない尚巴志(※150cm未満)を想像してみる…。
ぷぷ、ウケる(笑)
ちなみに、実は「琉球戦国列伝」の尚巴志ラフでは
この鍬形デザインで描いてました。
途中で変更になったけど。
もう一つのポイントは、このような鎧兜の類が
神事を司る京の内からも結構出土してるってこと。
宗教的儀式にも使われていた?
以前、鎧装備の聞得大君の記事を書きましたが
月清も鎧だけでなくこのような兜もかぶっていた…かも。
これは組踊「二童敵討」の阿麻和利。2009年の中秋の宴過去記事より
ちなみに肝高の阿麻和利の向立は真ん中で繋がってますが
実際にこのような真ん中で繋がる鍬形が琉球にあった、
というより、
おそらくこれは肝高の阿麻和利の活動理念を表した
オリジナルのロゴデザイン。
このロゴができる前までは衣装の向立も繋がってなかったしね。
(で、それを実際に鎧兜仕立てにしてみたのが、このイラスト)
なので肝高の阿麻和利のイラスト描くときは
こだわってこの真ん中繋がりの向立で描いてますヨ。
権威のシンボル「鍬形」=「向立」
地域に伝わる伝統芸能や組踊の向立デザインも
どんな形でどんな意味がありそうか
想像してみると面白いかもしれません
参「日本の美術No533 琉球の金工」
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(日本の)戦国時代の変わり兜もデザイン面白いよねー。
ってかギャグ?みたいな(笑)