よく“琉球は軍隊や武器を持たない平和な国だった”とか言われますが
それはそのまま言葉通りに単純に捉える事ができないということは
ちょっと勉強したら分かること。
このブログでも散々書いてるように、
琉球にも血なまぐさい戦国時代があったし
軍事組織や設備もあったし
先島や奄美への侵攻もしてる。
でも後の時代(近世)になって薩摩の傘下に入り
琉球が自国の政治外交の手段として
これまでのような軍事力を持てなくなったというのも確か。
海外貿易も衰退して国力としての富もしぼんでいきます。
そんな中、清国と大和、2つの大国の狭間にあって、
琉球が琉球という国として存在し続けていくためには
どうすればいいか。
何を国の「力」にすればいいのか。
「ウチナー紀聞大いなる遺産シリーズ」第5話に
とても分かりやすいフレーズとインタビューがあったので
抜粋して紹介します↓
軍事的にも資源的にも国力の弱い小国・琉球は、
王府の工芸技術を高めることで国の価値を高め、
不利な状況を補おうとしました。
*
「例えば、原料である金とかを(他国へ)持っていくのであれば
そこには高度な技術や知識はいらないわけなんです。
工芸品を持っていくということは、
"我々はこれだけの力がありますよ"
ということを示すことになりますので
"あ、それだけの力を持った国なんだ、じゃあ侮れないな"
とか
"軽んずることはできないな”
という意識が働いたと思うんですよね。
武器とかそういったものを持って国を守るのか
それとも文化の高さをもって国の威信を高めるのか、
どちらがいいか。
琉球人は後者を選んで工芸技術に力を加えて、
現在の工芸王国につながるような文化の基礎を作ったわけです。」
県立博物館・美術館学芸員/平川信幸さん談
つまり「文化力」。
文化を国作りの柱としたわけです。
安里進先生(現:県立博物館・美術館館長)の言葉を借りれば、
「琉球のソフトパワー」。
この文化力に関しては『黙示録』(池上永一著/角川書店)でも
尚敬王と蔡温の印象的な台詞がありました。
過去レビューでも紹介しているのですが再掲載。
「誰も武力で張り合おうなどとは申しておりません。
国力とは戦をするだけの力ではございません」
「では琉球は何で清国と戦うのだ。
幕府を何で黙らせるのだ」
「優雅さ、憧れ、人の心を惹きつけてやまない芸術でございます。
美は大砲千門に値する武器になるとお心得ください。
人は美しいものの前には畏まります」
(P65-66)
今日は6月23日、慰霊の日。
平和について考える日。
沖縄戦の悲惨さだけでなく
ちょっと違った角度で平和について考えてみるのも
いいかもしれません。