先月記事にした、
首里城美福門そばの御嶽の件。
もしかしたら見学会の時に説明があったかもしれませんが
(もしそうだったら聞きそびれていたんだはず)
どうやらこれが押明森の御嶽のようです。
(内閣府関連サイトの中の、
首里城植栽計画にまつわるPDF資料の中に明記発見!)
そしてこの一帯が押明森。
首里城完成予想図↓を見てもわかるように、
美福門の周りは緑豊かなエリア。
第一尚氏時代は城壁は美福門ラインまで(内郭)だったでしょうから、
森は外郭を超えてもっと広がっていたのでしょうか。
ほんで、その押明森の御嶽、
百十踏揚の自殺未遂現場
…と書くと何やらおどろおどろしいですが。
以前も記事にしたことがありますが、
大城賢雄と百十踏揚が勝連を脱出し、
夜中に首里城の門を叩いたのが美福門。
事態を呑み込めず門を閉ざした尚泰久王に絶望し、
首を吊ろうとした百十踏揚。
その場所が押明森の御嶽です。
※「毛氏先祖由来伝」より。
「夏姓太宗由来記」では単に押明森の樹となってます。
それを止めに入った賢雄が神歌を謳い、
キンマモンを下したのが押明森の南方とされるから
崎山とかその辺のことかな?
こうやってその場所のドラマ(出来事)を知ると、
また違って見えてきますよね♪