がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

百十踏揚の自殺未遂現場

2016年01月17日 | ・琉球史散策/第一尚氏

 

先月記事にした、
首里城美福門そばの御嶽の件。

もしかしたら見学会の時に説明があったかもしれませんが
(もしそうだったら聞きそびれていたんだはず
どうやらこれが押明森の御嶽のようです。

(内閣府関連サイトの中の、
首里城植栽計画にまつわるPDF資料の中に明記発見!)

 

そしてこの一帯が押明森。

首里城完成予想図↓を見てもわかるように、
美福門の周りは緑豊かなエリア。

第一尚氏時代は城壁は美福門ラインまで(内郭)だったでしょうから、
森は外郭を超えてもっと広がっていたのでしょうか。

 

 

ほんで、その押明森の御嶽、

 

百十踏揚の自殺未遂現場

 

…と書くと何やらおどろおどろしいですが。

 

以前も記事にしたことがありますが、
大城賢雄と百十踏揚が勝連を脱出し、
夜中に首里城の門を叩いたのが美福門。

事態を呑み込めず門を閉ざした尚泰久王に絶望し、
首を吊ろうとした百十踏揚。

その場所が押明森の御嶽です。

 

※「毛氏先祖由来伝」より。
「夏姓太宗由来記」では単に押明森の樹となってます。

 

それを止めに入った賢雄が神歌を謳い、
キンマモンを下したのが押明森の南方とされるから
崎山とかその辺のことかな?

 

こうやってその場所のドラマ(出来事)を知ると、
また違って見えてきますよね♪

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする