那覇市にある崇元寺(跡)。
ここには代々の王様の位牌が祀られており
冊封使が来琉した時は
まずここで先王の葬儀(諭祭)を行ったという
由緒ただしい寺院、国廟でした。
現在は石門のみが残されています。
その崇元寺が建てられたのははっきりとはわかっていませんが
第二尚氏になってから、1500年代(1527年頃)とされているようです。
さて、
今回はその崇元寺ができる前の話。
以前にも記事にしたことがあるのですが、
もともとここは
霊験あらたかな場所だったようで
あの安里大親(清信)がお告げをうけて
ここに家を建て、悠々自適な生活をしていた
…という場所でもあります。
(一部再掲載↓)
ある日、清信が安里橋の東側を通り過ぎようとすると、
白髪の老人に出会った。
一礼すると、老人もそれにこたえ、
自分の家へと招いた。
それは林の中にあり
それはそれは素晴らしい建物で
まるで蓬莱島のようであった。
そこには二人の老人が碁をし、
子どもが茶を沸かしていた。
清信は不思議に思って
礼を言ってそこを去る時
印として馬の鞭を置いて行った。
翌日、再びそこに行ってみると
何もなく、誰もいなかった。
ただ、林の中に鞭が置かれているだけなのだ。
清信はただただ神秘を感じ
そこを去った。
後日、月の美しい夜にそこを通ると
またあの老人に出会った。
そして別れる時、
老人は清信に金塊を与えて言った。
「あなたとは不思議な縁がある。
ここを開拓して家を建てなさい」
老人はそういう言い残すと
風のように消え去った。
清信がその土地を改めて見てみると
とても良い場所であったので
家を建て、竹の垣根を作った。
そして悠々自適の生活を送った。
その名残がこちら。
崇元寺公園のすぐそばにある、
その名も
馬鞭の御嶽
(または崇元寺御嶽)
そうです。
安里大親が不審に思って
目印に馬の鞭を置いていったという話に
由来する御嶽です。
つまりはここに安里大親が住んでいて
金丸にアプローチをし(そしてドン引きさせ)、
足首にある金のアザを見たという、
その場所ということになるのです。
参『門中拝所巡りの手引き』(月刊沖縄社/1986)
ところで、
拝みをしてる人と遭遇することはよくあるのですが
この時は男性の方々が拝みをしていて
(拝みセットを携えた本格的なやつ)
それは珍しいな、と思いました。
安里大親=男性の霊能者
という所縁もあってのことだったりして…?