『新編 琉球三国志(上下)』
与並岳生 著/新星出版
12月に購入していた2冊ですが、
読み始めは年末年始、途中中断しつつ
やっとこさ先日読了しました。
与並さんの琉球史題材の小説は割と読んでいる方で
与並さんならではの作風も把握済み。
うんちくが多いものの、
各人物たちの描写、思惑、動機、関係性などの解釈が
「なるほど!」と思わされたりしちゃうのです。
(それを私は「与並節」と呼んでいます)
今回の小説は源為朝から尚巴志が没するまでの
琉球史の流れを小説仕立てにしたもの。
与並さん独特の歴史・史料解説は
時々言い切ってしまっている所もあるので
まるでこれが真実かのように思ってしまいがちですが、
あくまで小説(創作)であるということを念頭に置いて、
史料解釈は一つの材料・考えにとどめておくということはお忘れなく。
(与並さんに限らずどの歴史小説にも言えることですが)
そもそも天孫氏→利勇や、源為朝来琉は伝説の枠を超えていません。
でもああも詳しく、しかも裏付けのように断言気味で歴史的解説が入ると
つい歴史的真実のように思っちゃいますね。
もちろんこれは小説におけるリアリティ演出としての面もあるので
読む側の姿勢・意識の問題なのですが。
為朝・舜天~英祖~察度間の各王たち、
これまで比較的あまり小説仕立てで描かれてこなかった人たちが
読めたのはなかなか貴重でした。
やはり、創作と言えども小説仕立てだと
その人物が生身の人間として生き生きととらえられますからね。
でも、個人的には今回はあまり
膝を打つような与並節は感じなかったかな…?
個人的には下巻の他魯毎、攀安知の初登場シーンで
(王に推された)他魯毎はまだ17、8。
紅顔の美少年だった。
攀安知は背が高く、色白で、整った顔立ちの、貴公子然とした風貌で
若い頃は城中の女たちの胸をときめかせていたそうだが、
妃を置いてからは品行も正しく、妃との仲は人もうらやむほどに睦まじかった。
ってあったのを読んだ時、
これまでとは一味違った他魯毎像、攀安知像が見れるか!?
来い!与並節!!!
と期待していたのですが…
他魯毎は結局これまでのイメージ通り暗愚の王として自滅し、
攀安知はたいしたセリフも主体性もなく(本部がメインで裏切りもなし)、
影がうっすいままで終わったのには不服でした…。
(なお、統一順は北山→南山)
むぅ……。
策士の一面はありつつも基本優等生な尚巴志が、
淫逆無道では「全くない」北山(むしろ中山にビビッて遠慮している)を、
話し合いで平和裏に統合する道もありながら
なぜその方向に行かなかったのかもイマイチ腑に落ちない。
武力にモノを言わせたいギラギラした
尚巴志像というのならわかるけど、
そうでもないから余計に。
結局攀安知の妃と子供はどうなったのかもわからないし…。
期待しちゃってた分、
正直、肩透かしを食らった印象は否めませんでした。
『琉球三国志』といえば、
加藤真司著(1995)の『琉球三国志』ですが、
尚巴志時代の部分は、
ワタシはこちらのほうに軍配をあげたいですね。
(人物がみんな泥臭い。でも他魯毎はなかなかかっこいいのよ~)
機会があれば読み比べてみるのもおすすめします♪
ワタシもこれを機会に久々に再読しようかな?