阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

いじめを受けた経験(1)

2007年01月25日 23時59分29秒 | 日常
 先日、道を歩いていたら5年生ぐらいの男の子が、数人の子供たちに小突かれていて、半泣きになりながらもされるがままになっている様子を目撃しました。何か言ってあげるべきと思いながらも、その背景を知っているわけでもなく、躊躇しているうちにタイミングを逃してしまいました。ちょうど同じ頃、自分もいじめにあっていたことを思い出し、胸が痛くなりました。

 小学校5年生の時、私は新潟県長岡市から兵庫県尼崎市に転校しました。それまではのんびり育った田舎の優等生で、必ず学級委員などを務める積極的な子だったのですが、都会の学校ということもあってレベルが違い、成績は一気に落ちてしまいました。また、背が伸びるのが遅かったこともあり、大きくなっていく同級生にコンプレックスを持つ目立たない存在になっていきました。偶然座った席が、体が大きなクラスの番長グループ的な子たちの真ん中だったせいもあり、やがてふざけて小突かれたり、からかわれたりするようになりました。今にして思うとさほど陰湿ないじめだったわけではありません。しかし、私の反応が面白かったのかどうか、少しずついじめっ子グループの欲求不満の捌け口になっていき、また、そうなると、クラスの中でも強い疎外感を感じるようになりました。

 転校した最初から、当時の担任の先生は肝臓病で入院されていて、他の先生が交代しながら教える変則的な体制でした。クラス担任は教頭先生が代行していましたが、多忙のためあまり来ることができず、自習の時間などいじめっ子はやりたい放題でした。先生が復帰された時は本当に救われた思いでした。

 しかし、いじめはなくなりませんでした。ご自分の体調に不安があったせいかもしれませんが、授業をするのが精一杯の様子でした。カバンや勉強道具を隠されたり、落書きされたり授業中も全く集中できませんでした。

 ある日、先生が教室に入ってきて黒板にいきなり「おしゃべりマシーン」と書いたのです。何のことだろうと思っていたら、「私は誰にもあだ名をつけるのは好きではないけれど、授業の時に私の話を聞かない人は許しません。これからは阪口君のことを「おしゃべりマシーン」と呼びなさい!」と言って、みんなの前で私を攻撃したのです。青天の霹靂というか、全く何のことか分かりませんでしたが、いじめに対処するべく授業中にガサガサしていたことが気に入らなかったらしく、先生からもいじめのお墨付きをもらってしまったのでした。とにかく悲しく、そして口惜しく目の前が真っ暗になりました。いじめっ子たちの攻撃がエスカレートしたのは言うまでもありません。

小さな世界の中に生きている子供にとって学校生活の苦痛ほど辛いものはありません。朝起きた時から学校に行くのが苦痛で苦痛で仕方がなく、もう、このままどこかに行ってしまいたいと思うようにもなりました。


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