阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

いじめを受けた経験(2)

2007年01月26日 18時48分57秒 | 政治
 話し合いの解決などは望むべくもなく、ましてや先生は全く頼りにならないとすれば、実力行使で解決するしかありません。私は意を決して柔道の道場に通い始め、また、独学で空手の練習も始めました。絶対に勝たねばならぬ。悲壮な決意で運命の瞬間に備えました。

 いつものように小突かれたある日、決死の思いで拳を固め、いじめっ子に飛びかかりました。意表を突かれた相手を倒し、ヘッドロックで締め上げました。そんな私をクラスメートも応援してくれ「柔道殺法や!」などと応援する友人の声が私を後押ししてくれました。ついにいじめっ子が泣き出し、私は勝利しました。

 もっとも相手は私の反撃に対して納得しておらず、「俺にも殴らせろ!」と泣きながら訴えてきました。「殴ったらええやないか」と差し出した頬に反動をつけたパンチはかなりの衝撃でしたが(その衝撃でアゴがズレたらしく、今でも時々カクッと鳴ったりするほどです・・・)勝利感は確固たるものになりました。一年近く自分を苦しめていた心の傷が、一気に癒された気分でした。

 子供なりに自分の全てを賭けて闘いに挑んだ結果、その子が行っていた「弱い者いじめ」自体がなくなったように思います。また、その子ともかなり仲良くなって、その後はプロレスごっこなどをして一緒に遊ぶようになりました。

 決死の反撃によって自分の居場所、尊厳を守ったことには満足していますが、しかし、それがベストの方法だったかどうか、今でもわかりません。もし勝てなかったら、もし、相手に怪我を負わせていたらと思うと、幸運だっただけなのかもしれません。でも、それが唯一の打開方法としか思えなかった、そんな状況を作った責任は学校にもあると思います。

 いじめによる自殺のニュースを聞くと、本当にやりきれなくなります。自らの命を絶つ決意があるんだったら、どうして状況を打開すべく闘いを挑まないのか?と口惜しい限りです。そして、いつも行われる犯人探し。いじめを行うなんて最低だと思いますが、いじめをした側の当人だけでなく、親も先生も、そして同時代の社会全体も、共に責任の一端を担うべきだと思います。しかし、自殺した本人にも、命を粗末にすることに対して憤りを感じるのです。

 それ以来、いじめを受けたことも、もちろん、いじめたこともありません。しかし、いじめられている子が、極力リスクを負うことなく解決できる支援体制を作るのは政治の役割と感じるようになりました。殴りあいの喧嘩をしたのもその時が最初で最後ですが、強い者が弱い者イジメをしている行為を見ると、瞬間的に怒りが込み上げてきます。米国によるイラク攻撃などの理不尽な対外政策、そして、その米国ブッシュ大統領をご主人様と仰ぐ小泉・安倍政権の弱い者イジメ政策への怒り。それはいじめを受けた自分の経験にも起因しているように思います。庶民に痛みを押しつけて平気な顔をしている権力者に対しては徹底的に闘いを挑みましょうね。腕力、そして社会的立場にかかわらず、私たちは同じ一票を持っているのですから!


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