たまに定時に帰れたりしたときは
住宅街の路地の合間から
富士山に沈む夕焼けがちらりと見えたりして
その景色の素晴らしさに
思わず乗っている自転車を止めて
見入っちゃうときがある。
でも、富士山やお月さんもそうだけど
建物の合間に見えるときって
普段よりも何倍も大きく見えるんだよね。
周りに比べるものがあると、いかに大きいかってことが実感できる。
比べるものがないと、なかなか気が付かないんだけどね・・・。
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「比べる」つながりで・・・。
民間と公務員の今の待遇を比べて、
最近の「官僚たたき」なんて聞いてるとホント悲しくなってきちゃうよね。
まあ、政治家は、誰かをスケープゴートにしなくちゃ自分が叩かれちゃうからっていうのもあるんだろうけど・・・。
結局、彼らを上手く使いこなせない政治家さんたちが「無能」ってことになるんじゃないかなあ。
そりゃそうだよね。
大臣就任の挨拶のときに「これからいろいろと勉強してまいります」なんて言うヒトを大臣にしちゃうんだもん。
国会答弁は官僚が用意したペーパーを棒読みだし。
んで、「官僚支配」だって言ってんだからねえ・・・。
優秀な官僚がいなくなって一番困るのは政治家さんたちだし、
被害は結局最終的には、国民に廻ってくると思うよ。
実際の話、「政治主導」で予算を決めはじめても
国の借金が減るどころか、どんどん膨れ上がってきてるからねえ。
責められるべきは、官僚の上に君臨している「政治家」だと思うんだけどね。
ボクが大学を卒業する頃、バブルの崩壊が始まってたと思うんだけど、
それでも、就職活動をしてる連中から「公務員は給料低いし、馬鹿らしくてやってらんないよ」なんていう話をよく聞いたから、
今の「公務員叩き」がチャンチャラおかしくてね。
結局、「比べて」しか物事を判断できないんだなあって思っちゃう。
ボク自身はその当時はバンドマン一直線で
そんなこととはまるっきり違う方向だったんで
「ふ~ん」としか思ってなかったけど、
やっぱ、ヒトと比べてばっかじゃ、生きてくの大変だと思うよ。
比べるときの状況とか比べる相手とかで、まったく違う判断になっちゃうからね。
映画鑑賞でも、食事でも、お散歩でも、温泉でも、絵を描くことでも、TVを観ることでも、音楽鑑賞でも、作曲でも、作詞でも、家族でも、愛する人でも、
ホントにもう、何でもいいから、
「自分の本当に好きなものは何か」、
「自分の本当に大事なものは何なのか」、を
ハッキリさせとくことが大事なんじゃないかって思う。
ヒトに惑わされない「信念」っていうのはつまりこういうことだと思うんだよね・・・。
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と、まあ
夕日を観ながら、こんなことを考えたりした。
ホント、ヒマだねえ・・・(苦笑)