今月から通ってる職場の裏庭は結構広い敷地でいろんな木が植えられており、
ここんとこ気持ちのいい日が続いてるんで
昼休みには食事の後、春に新芽を出し始めてる木をながめながらの散策を毎日楽しんでる。
それぞれの木にはこうやってそれぞれ名前の札が掛けられているんだけど
いったいどれだけの年月が過ぎてこうなったのかわからないけど
ビックリするような状態になってる木が何本かある。
もともと幹にぶらさげてあったのか
本当のところはよくわからないのだが
←とにかく幹から針金が生えてるような状態になってしまっているじゃないか!
見れば見るほどきもちわるい。
名前も剥がれ落ちて読み取れなくなってるから
結構な年月が経ってるんだと思うけど
それでもこれはすごいよね。
思わず、人もこの木に飲み込まれて顔だけになってる姿を想像してしまい、すこし気持ち悪くなってしまった。
多分、少しずつ少しずつ幹が太くなってまわりに触れてるものを自分の体の中にとりこんでいったんだとおもうんだけど、
こういうのを見てると
いっけん、全く動けずにいて
人間を筆頭に周りの動物からいいように利用され、
葉緑素を使って太陽光から一生懸命作り出した栄養素を
片っ端から動物達にもっていかれている哀れなイメージの木じゃないよね。
どちらかというと、
どんな環境でもたくましく生き延びてる生命力溢れた生き物っていうかんじだ。
実際、この地球上の動物達はすべて、この植物がいないと生活が成り立っていかないもんね。
いやあ、そのことを改めて気づかされたよ。
自分に触れた自分の枝をも飲み込んでいる幹を撮った。
いままで「植物」といえば
ホントになされるがままというかんじのイメージだったけど
これを見るとまさに貪欲な生き物をイメージする。
なんでもかんでも食い散らかすサメみたいだ。
果ては自分の枝まで取り込んでいくなんて・・・。
これじゃ共食いじゃないか!
植物性の「ゆるい」イメージが台無しだよ。