はぐくみ幸房@山いこら♪

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造林小屋

2016年05月17日 | 現場技術・安全管理・道具のお話

 戦後の拡大造林時代では、山の中に小屋を建て、山の中で泊まり込んで、植栽作業を行うこともありました。

 

 山の中で泊まることを「山泊(さんぱく)」と言い、

 

 師匠が「昔は、山泊して、木を植えたなー」と、当時のお話をいろいろしてくれました。

 

 きっと、今の若い方達には、「昔は、三泊して、木を植えたなー」って、解釈するんだろうなー、とジェネレーションギャップ?を勝手に感じます。


 山の中で泊まり込む小屋のことを「造林小屋(ぞうりんごや)」といい、今も各地で造林小屋、またはその残骸が残されていると思います。

 

 

 師匠は、食事やお風呂などの当番は、交代制だったり、みんなで協力して生活をしていたと言ってました。

 

 時々、買い出しのために下山し、購入した物資を架線で送ったりしていたそうです。

 

 師匠は、写真の造林小屋の近くにある小川の滝壺みたいなところに、アマゴを放ち、養殖していたと言ってました。

 

 ちなみに、写真撮影当時(2016年)では、すぐ手の届く範囲で、アマゴが泳いでました!

 

 たぶん、網がすくえます。そこまで、行くの大変ですけど・・・。


 さて、造林小屋の中はこんな感じです。

 

 ここは食事するところかな?

 

 

 

たぶん、寝室?、みんなが集まる場所的な部屋?

 

アンテナは無線?、もしかしてラジオ?

 

 

 食事、寝室、風呂もすべて共同です。

 

 ある日、師匠が食事当番で、ご飯を炊いたとき、炊飯器の中にネズミがいて、一緒に炊いてしまったそうです・・・。

 

 それを聞いた作業員さん達は、大笑いしながら、「さぞ、出汁が効いて、うまいやろなー」と言っていたそうです。

 

 衛生的にとんでもない環境ですが、そんな失態を笑って許してくれる環境が、とてもうらやましいと思いました。


 造林小屋は、道沿いに残っているものもありますが、やはり、山のど真ん中にある造林小屋が一番好きですね

 

 

 中に入って、「お宝ないかな~」って、探したくなるかもしれませんが、建物の傷みが激しく、大変危険なので、造林小屋の中には、決して入らないで下さい。

 

 あと、所有権の問題もあるので。

 

 

 

 

 昔の林業は、造林(植栽)のために小屋を作っていたという事実がすごい。

 

 昔の林業は、山村地域を支える重要な産業で、そこから生産された木材が都市を支えていた…と言っても過言ではないと思ってます。

 

 

 

 そして、戦後、職にあふれた人や帰国した兵隊の雇用や労働の確保という問題に、林業が一役をかっていたというお話もあります。

 

 伐採の仕事。

 

 伐採後の植栽の仕事。

 

 植栽に必要な苗木を作る仕事。

 

 これらが、戦後を支えた労働の1つだったと。


 

 以前、和歌山県田辺市の元苗木生産者(すでに引退)の方から聞いた話です。

 

 「戦後は、ここに来たら仕事をくれると聞いて訪ねてきた人が、たくさんおったんや。

 

 大阪からわざわざ訪ねてきた人もおったよ。

 

 でも、追い返すわけにもいかんから、仕事を作って与えたり、仕事を紹介したりんや。

 

 中には、妊娠中の妻を、家に置いてきて、単身で来た人もいたし、乳のみ子を抱えた夫婦もきたなー。」

 

 今でこそ、大阪-田辺は特急電車で片道2時間半くらいですが、戦後は大変な道のりだったと思います。


 

 インターネットもスマホもない時代、人の噂を頼りに大阪から和歌山県田辺市まで足を運ぶほど、当時は深刻な状況だったんだなーと思います。

 

 こういう事実は、当時、現場に関わった人達しか知らない事実であり、決して、統計数値などから読み取れる話ではありません。

 

 林業は収穫まで30年、40年、50年という長い時間がかかる産業です。

 

 現場を知るだけでなく、引退した先代や先輩達の話を聞くことも大事だと思います。

 

 今の価値観では、不要とか時代遅れと思われる技術や知識であったとしても、後世に引き継ぐことは重要だと思います。

 

 そこに、問題や課題解決のヒント、技術発展のヒントがあるかもしれません。

 

 もしかすると、今、起こっている問題の中には、過去の積み上げをないがしろにした結果、生まれてたものがあるかもしれませんね。



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