草履で歩きながら考える

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『キリスト教は邪教です!-現代語訳「アンチクリスト」』ニーチェ:著 適菜収:訳

2009年04月21日 | 本棚
クリスチャンの方に、ごめんなさい。
読み終わって、まだ興奮しています。

  ニーチェ、スゲェ~!
  訳者の方、スゲェー!

危険で、スリリングで、痛快な1冊。

   『キリスト教は邪教です!-現代語訳「アンチクリスト」』
   ニーチェ:著、適菜収:訳
   講談社+α新書、2005年

こんなものの見方があったのか!という驚きで一杯です。
しかも、18世紀、裕福な牧師の子として産まれた哲学者、ニーチェ。
成人するまでは、毎日のようにキリスト教的価値観の中で育ったはずです。

なのに、それなのに、「キリスト教は有罪です」と
堂々と言ってのけてます。
イエス・キリスト本人のことは、批判の対象にはなっていません。
むしろ、教えを行動で表した人として、尊敬の念すら文面に感じます。

では、なぜキリスト教は有罪か・・?

それは本書をお読み下さい。

      


現代にも通じる部分、感銘した部分を、ほんの少しだけつまみ食い的に引用します。

・私たちは再び、人間をスタートラインまで戻して、「人間は動物である」と考えました。人間はこの地球上で一番強い動物です。なぜなら人間が一番ずる賢いからです。
 しかし、それは必ずしも人間が一番進化しているという意味ではありません。そう思ってしまうのは人間のおごりです。自然界の生物は、どれも人間と同じように、完全な形にできているものなのです。
 他の動物たちに比べてみれば、人間なんて、むしろできそこないのほうかもしれませんよ。それは人間が本能を踏み外してしまった動物だからです。


・キリスト教の敵は、「現実」です。なぜなら、彼らの思い描いている世界と現実はあまりにもかけ離れているからです。
 彼らは現実がつらいから逃げているにすぎません。
 彼らは苦しんでばかりいたので、すなおに現実を認めることができなくなってしまったのですね。
 それが作り物の道徳や宗教の本質です。

・(ローマ文明をキリスト教が破壊した、という話の後で)
 すべての文化や学問の前提となる科学的方法は、すでにそこに存在していたのです。
 自然科学は、数学や力学と手をとりあって、順調に発展していました。「事実をきちんとつかむ」という、もっとも価値のある究極的な感覚が、すでに数千年の古い伝統となっていたのです。
 皆さん、おわかりになりますでしょうか。
 大きな仕事に手をつけるための、すべての本質的なものが、すでに発見されていたのです。
 もっとも本質であり、もっとも難しいもの。習慣やなまけ癖を乗り越えて、やっと手に入れたもの。(中略)自由なまなざし、慎重な手法、ささいなことについての忍耐と真剣さ、認識の正直さ、これらものが二〇〇〇年以上も昔に、すでにあったのです。

      


ニーチェは、哲学者であると同時に、文献学者でもありました。
当時の情報を得る手段は、文献(書物)であったようです。


ここで、ささいな疑問を感じます。

もしも、ニーチェが、中世ヨーロッパで起きた

   魔女裁判 や
   バラエティに富んだ 拷問道具の数々 があること

をご存じだったとしたら・・・?
当然、『アンチクライスト』で言及されているはず。
見解を聞いてみたかったな。

      


この本を読みながら、中学生の頃『旧約聖書』『新約聖書』を
岩波少年文庫版で読んだことを思い出しました。

「旧約」はエピソード満載でそれなりに面白かったけど
「新約」は、わけがわからなくて、中学生なりに習いたての言葉で「これが詭弁だな」、と感じた記憶があります。

そして、学生の頃、教養で取った「西洋思想」の講義で先生に勧められた、キリスト教の暗部と本質を示す小説『緋文字』ナサニエル・ホーソン:著 を思い出しました。
これは、暗くって、神父が汚くって、いやんなっちゃう話です。

      


追記です。

ある牧師さんのブログに、この本の書評が載っていました。
きちんと受け入れていらっしゃるところに、拍手!
http://saeru.shirayuri.ch/?eid=116802


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