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ネットで、どこかのリンクから飛んだ文科省の
委員会記録を読んだ際、著者:広田委員の 切れ味鋭い意見に
感服して、ネット検索、ヒットしたあまたの著書の中から
タイトルに惹かれて選んだ本です。
著:広田照幸
講談社現代新書1448、1999年04月
昨今、青少年の犯罪がマスコミでクローズアップされ、
「家庭に問題があった」 「家庭の教育力が低下した」と
よく取りざたされているようです。
そして「親学」の台頭に象徴されるような
「昔の家庭/しつけはよかった」と
主観的なイメージに基づく回顧主義が はびこっています。
…それって本当?
という素朴な疑問に対し、明快に答える一冊。
いやぁ~~、冷静明確な論点設定に脱帽。
豊富な文献に基づく歴史的事実がこれでもかこれでもかと登場。
巻末に載せられた参考文献・引用文献の数、実に159!
切り口は、あくまで「家庭としつけ」なのですが、
明治・大正時代から、1997年までの社会環境や時代背景を踏まえた
教育近代史を読者はざざっと押さえることができます。
…惜しむらくは、この本が15年前に書かれたものだということ。
この15年間に日本はまた変化を遂げていますから、
最近の動向に対する著者の見解を知りたいです。
この点については、でも、別の文献を当たればきっとわかることでしょう。
*** まえがき から 少し紹介 ***
「家庭の教育力」は低下した?という命題に対し、著者は下記のイメージをまえがきで設定し、それらについて本文で検討しています。
<イメージ1>
家庭の教育力は低下している。
<イメージ1-A>
昔は家庭のしつけがきびしかった。
<イメージ1-B>
最近はしつけに無関心な親が増加している。
<イメージ1-C>
家庭は外部の教育機関、特に学校にしつけを依存するようになってきている。
<イメージ2>
家庭の教育力の低下が、青少年の凶悪犯罪の増加を生み出している。
((A+B)の合成イメージ)
<イメージ2-A>
近年、青少年の凶悪犯罪が増えている。
<イメージ2-B>
それは、家庭の教育力の低下が大きな原因の一つになっている。
<イメージ3>
家庭の教育力を高めることが、現在求められている方向である。
*** 紹介以上(まとめと引用、猫紫紺) ***
さて、この本は特別に、オチを書いてしまいましょうか。
結論から行くと、世間にはびこっている上記イメージは、史実とは正反対です。
以下は、私の私見です。
わたしの目からは、むしろ、「しつけ/我が子の教育に失敗してはいけない」と、親たちは戦々恐々としているように見えます。「少なく生んで、大事に育てる」風潮がそれに拍車をかけているようにも思えます。
そして、教育熱心になるあまり、我が子に過干渉になり、我が子の育ちを損ねている人が多いのではないか――そう思えてなりません。
これは、良かったり悪かったりです。
中学生の本人の自立を遅くするけど、コミュニケーションは増え、不良にはならないでしょう(笑)
昔は、確かにしつけは厳しかったと思います。
礼儀とかは、今よりいいと思います。
たとえば、食事の時間は正座して食べるとか。
イスから入って、最近、コタツで食べるようになったわが息子は、その点、とっても行儀悪いです。
でも、今は今で、締め付けが無い代わりに、子どもたちの発想が柔軟なのではないかと思います。昔は、こうでなければならないとか、これっきりない!みたいな風潮だったけど、今の方が、将来、大人になった時、挫折の少ない融通の利く人が増えるのではないかと考えます。
>我が家も、過干渉です。
いえいえ、過干渉とおっしゃっても、わたしはひびっちょさんのことを直接存じ上げていますから、きっと質がよいものだと断言します。その意味では、我が家も過干渉です^^;
良質なコミュニケーションを積極的に取る、これは、「過干渉」には当たらないと思います。
「過干渉」というのは、口数多く子どもに接し、親の求める理想的な姿「幻の子供像(by青木 悦 先生)」を我が子におしつけ、しかも否定的なことばを子どもに浴びせ続ける態度、と、私なりに定義いたします。
では、「しつけ」とはいったいなんでしょうか?
まさに、ひびっちょさんのご指摘の通りなんです。
本を返してしまったので、うろ覚えで恐縮ですが、著者の広田照幸氏は、しつけの要素をいくつかに分解しておられます。
・礼儀作法
・生活習慣
・農作業や商業等、家業の手伝い
これらのしつけ要素、各家庭が持つ事情で重視するものが変わってくるとのことです。
・都市か地方か
・富裕層か貧困層か
・家業をどれだけ重視しているか否か(食っていくために働かざるを得ない)
富裕層なんてほんのひとにぎりですから、家族総出で働くそうは、親は忙しくて家庭教育どころではなかったそうです。
特に、口減らしのために子守奉公等に出された明治大正期の少年少女は、奉公先での厳しいしつけはあったでしょうが、それは教育的配慮を持つものだけではなかったため虐待されることもあり、幸せであったかは甚だ疑問である。そういう史実を見ようともせずイメージのみで「昔はよかった」と語るなかれ、と広田氏は警告しておられます。
転じて、しつけを「家庭教育」ととらえると、今ほど子供の教育に熱心な時代はない、というのが、この本の流れです。
ひびっちょさんの息子さんも、大きくなられて、必要な時に行儀よく食事ができれば、それでいいのではないでしょうか?
わたしも、家ではコタツで、行儀悪く食べてます。特に一人の時には(大汗)