
書名に惹かれちょっとまえに図書館から借りてきて、
開く度に睡魔に襲われながらも
ようやく読了した1冊。
『人間を幸福にしない日本というシステム』
カレル・ヴァン・ウォルフレン:著
鈴木 主税:訳
新潮OH!文庫、2000年
※単行本は別の訳者で、毎日新聞社、1994年
前々から、自分的に、
「なんで子育てがこんなにつらいんだろう?(特に幼稚園入園まで)」
「なんで、サービス残業がまかり通るんだろう?ひとを莫迦にしてるよな」
「なんでワーキングプアなんて悲しいことがおこるんだろう?」
「なんで、介護という大切で大変なことに携わるひとの給与がこんなにも低いんだろう?介護保険の予算を抑える意図があるといってもひどすぎる。また、拘束実態に即なさい報酬のカウント基準はおかしい、これも、現場に立たない人たちが制度を決めるからでは??」
などなどの、疑問が山積みであります。
この書は、そんな疑問に意外な角度から答えてくれた一冊。
著者は、外国人、しかもオランダ人ジャーナリストなのですが
諸外国を見聞して、日本には30年近く滞在経験がある方です。
(そのわりに日本語は不得手らしいですが(笑))
日本人がみる日本は足元からだけれど(少なくともわたしはそう)
ウォルフレンは、日本の状況を俯瞰して眺め、
西欧の民主主義が根付いた国に育った人の視点から
日本の問題点を浮き彫りにしています。
いやあ、日本、滅多斬りにされてるよ。
だけれども、それは、批判に終始するのではなく
我々日本人個人個人への暖かいエールであると
わたしは思います。
この本が出てから10年以上経ちますから、
本に指摘されたことに刺激を受け、日本もいくつか
改革が実行されているのではないでしょうか。
わたしが知っているのが、「司法制度改革」。
市民裁判官制度が、実施されましたものね。
さてさて、エラソーなこと書いちゃっていますが、
自分的には、「そうだよね!」と共感する部分がほんの少し、
「なるほど~」と思う部分が半分、
あとの半分は「なんのこっちゃ」でしたw
その中でも、一番共感した部分を、引用してみたいと思います。

(文庫80-81pより)
◆見捨てられた家庭
サラリーマンは会社で知的なエネルギーも気力もほとんど使いはたしてしまうため、
有意義な家庭生活を営む元気を失っている。中流階級の男性社員は、目を覚ましている時間のほとんどすべてを会社に吸いとられる結果、会社以外の個人的な関係に費やす気力が残らない。そのために最悪の影響をこうむるのが、サラリーマンの家庭生活である。
日本人の結婚生活の多くが情緒的に空虚であることは、これまでに何度も論じられてきた。それが子供に悪影響をおよぼしていることも、いろいろ語られてきた。(中略)つまるところ、責任のほとんどは日本の企業にある。社員にたいする精神的な要求が多すぎるのだ。
日本の公式な「解説者」である官僚や経済団体や学者は、日本人は根本的に他国の人びととは異なり、社会的調和を実現しようとする気持ちが生まれつき強いと考えたがる。だが、私に言わせれば、日本人も他国の人と本質的にちがわないのは明らかだ。日本では、会社の強制力に縛られ、そこから逃れる手段がないために、個人や家庭が破壊されているだけなのだ。同じ条件を押しつけられたら、世界中のどこでも同じことが起きるだろう。

目次と要約がここにのっていますので、
ご興味ある方、のぞいてみて下さい。
開く度に睡魔に襲われながらも
ようやく読了した1冊。
『人間を幸福にしない日本というシステム』
カレル・ヴァン・ウォルフレン:著
鈴木 主税:訳
新潮OH!文庫、2000年
※単行本は別の訳者で、毎日新聞社、1994年
前々から、自分的に、
「なんで子育てがこんなにつらいんだろう?(特に幼稚園入園まで)」
「なんで、サービス残業がまかり通るんだろう?ひとを莫迦にしてるよな」
「なんでワーキングプアなんて悲しいことがおこるんだろう?」
「なんで、介護という大切で大変なことに携わるひとの給与がこんなにも低いんだろう?介護保険の予算を抑える意図があるといってもひどすぎる。また、拘束実態に即なさい報酬のカウント基準はおかしい、これも、現場に立たない人たちが制度を決めるからでは??」
などなどの、疑問が山積みであります。
この書は、そんな疑問に意外な角度から答えてくれた一冊。
著者は、外国人、しかもオランダ人ジャーナリストなのですが
諸外国を見聞して、日本には30年近く滞在経験がある方です。
(そのわりに日本語は不得手らしいですが(笑))
日本人がみる日本は足元からだけれど(少なくともわたしはそう)
ウォルフレンは、日本の状況を俯瞰して眺め、
西欧の民主主義が根付いた国に育った人の視点から
日本の問題点を浮き彫りにしています。
いやあ、日本、滅多斬りにされてるよ。
だけれども、それは、批判に終始するのではなく
我々日本人個人個人への暖かいエールであると
わたしは思います。
この本が出てから10年以上経ちますから、
本に指摘されたことに刺激を受け、日本もいくつか
改革が実行されているのではないでしょうか。
わたしが知っているのが、「司法制度改革」。
市民裁判官制度が、実施されましたものね。
さてさて、エラソーなこと書いちゃっていますが、
自分的には、「そうだよね!」と共感する部分がほんの少し、
「なるほど~」と思う部分が半分、
あとの半分は「なんのこっちゃ」でしたw
その中でも、一番共感した部分を、引用してみたいと思います。



(文庫80-81pより)
◆見捨てられた家庭
サラリーマンは会社で知的なエネルギーも気力もほとんど使いはたしてしまうため、
有意義な家庭生活を営む元気を失っている。中流階級の男性社員は、目を覚ましている時間のほとんどすべてを会社に吸いとられる結果、会社以外の個人的な関係に費やす気力が残らない。そのために最悪の影響をこうむるのが、サラリーマンの家庭生活である。
日本人の結婚生活の多くが情緒的に空虚であることは、これまでに何度も論じられてきた。それが子供に悪影響をおよぼしていることも、いろいろ語られてきた。(中略)つまるところ、責任のほとんどは日本の企業にある。社員にたいする精神的な要求が多すぎるのだ。
日本の公式な「解説者」である官僚や経済団体や学者は、日本人は根本的に他国の人びととは異なり、社会的調和を実現しようとする気持ちが生まれつき強いと考えたがる。だが、私に言わせれば、日本人も他国の人と本質的にちがわないのは明らかだ。日本では、会社の強制力に縛られ、そこから逃れる手段がないために、個人や家庭が破壊されているだけなのだ。同じ条件を押しつけられたら、世界中のどこでも同じことが起きるだろう。



目次と要約がここにのっていますので、
ご興味ある方、のぞいてみて下さい。
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