過激発言お許しください。
『PTA進化論』を再読していて、
ふと、こんなフレーズが
脳裏に浮かび上がってきました。
PTAは、ひょっとして・・・
国民を無知なままにさせ、
自らの頭で考えることを止めさせ、
国家の思い通りに
国民を誘導するための仕組み!?
とでも勘繰ってしまいたくなります。
たぶん、岩竹氏の『
国家の装置としてのPTA』
という論文も、同じようなことを
指摘されているはずです。
『PTA進化論(13)』より
インスパイアされた部分を抜粋
やりたい人、できる人は常に一定数いて、自然とリーダーも育つ。最初から束ねて、義務でがんじがらめにしてしまうと何もかもが台無しになってしまうのだなと、つくづく感じさせられる。
米カリフォルニア州で二児を現地の小学校に通わせたDさんは、ぼくの本を読んで「今までPTAだと思っていたものはPTAではなかった」と気付いた。「全国規模のPTAはあるけれど入会は自由。わたしが活動していたのは、学校単位の保護者組織。授業補助やバザーでの学校支援などをしました。日本ではPTAと保護者組織の区別が付かず、深く考えたことがありませんでした」
これもかなり大事な点を突いている。「PTAがないと困る」と言う人のほとんどは、PTAと保護者組織を混同している。保護者が学校教育と相対するやり方は多様でありうるのに、「PTA」という形しかありえないとでもいうように。学校や教育行政と密接に連携し、時に癒着し、義務としてのみ語られる日本のPTAは、「保護者組織」としてみても世界的に特殊なものではないかと思う今日このごろだ。
そうこうする間にも、日本各地から保護者の「悲鳴」が届く。「欠席裁判で役員に選出!」「病気で逃げようとしてもダメとつるし上げられた」「子どもがPTA行事に参加できなくなるぞと入会を強要された」等等。本当にどうにかならないものか。
そう、この間の学年懇談会の席上で、
1年かけてPTA役員を選出する、クラス選考会の場で
各種「委員会の長」を一緒に選考してはどうか?
意見を聞いてくださいと言われたので
なにかありますか??
と話題が振られたのでした。
・・・これって、ますますキツくなるので
ごめんこうむりたい旨、
思わず発言してしまったのでした。
だって、各委員長もクラスから1人ずつ
選出する計算になるんですよ??
委員会は、5つあるから、役員のほかに
5人も立つのかしら?
毎年毎年??
強制的に発生する仕事、減らしたいですもの。
やりたくないひと、やれないひとを
強制的に巻き込む仕組みには
抵抗を感じます・・。