生きる とは
「君のすい臓を食べたい」。食べた人はすい臓が元気になる、又は食べられた人は食べた人の中で一緒に生きられる。こんな会話がなされる「テレビドラマ」が9月4日にあった。
高校の男女生徒。女生徒はすい臓の病にかかり寿命が2年足らず。男生徒は本好きで、他生徒とは距離を置いている図書委員。明るい女生徒は元気な間は病の事は秘密にしている。ある日男生徒は、病院で落ちた日記帳の最初のページを見て、出会った同級の女生徒の病気を知る。
病気を知っても大きく変わらない彼を知り、「他の同級生とは、これまで通りに接したい」。と病気のことは、彼と彼女の家族だけ、の秘密にと依頼する。また彼に興味を持ち、図書委員に加わる。
彼の性格はほとんど変わらないが、二人の交際はゆっくり始まる。生きているということは、他人と一緒に楽しんだり悲しんだり、喧嘩したり憎んだり、競争したりと交わること。私は生きたい、と控えめに言う彼女。また、これまでの人生は、偶然や運命などではない。朝起きて顔を洗い食事をし、自分の意志で時間を選択して家を出た。その時出会った人、このような出会いも、自分が選択したこと。偶然や運命などではない。出会ったお互いが選択したこと。会話での、彼女の発言。
交際は少しずつ進む。彼女は2週間の検査入院となる。2週間の期間は延長される。…。一時退院に喜び、家から彼との待ち合わせ場所に急ぐ時、事故に遭い他界する。彼は幾時間も待つが、出会うことはできない。
彼女の「死後、日記帳を読んでも良い」との会話を思い出し、葬儀後に彼女の家を訪ねる。お母さんには伝わっており、初めて目を通す。思い出の場面場面における彼女の気持ちを知る。数年が経過する。死を覚悟していた彼女は、手紙を図書室の本の1冊に挟み残していた。その文章に、彼が退院後、彼女と会う直前に出したメールの内容と同じ、「君のすい臓を食べたい」とのことばが含まれていた。
「生きる」と言う事を考えることは、人生を大切にすることに繋がっているように思う。死までの時間が限られている人は若くても、「生きる」を深く見つめているのだろう。人生は「自分の選択であり、偶然や運命ではない」という。そのようにも言えそうである。