熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。送料込み5000円。
残部僅少、注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

今年もよろしく

2025-01-01 06:30:49 | 文章

2024年元旦。
晴れ渡った青空。

明けまして、おめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太陽とともに

2024-12-30 17:13:53 | 文章

12月30日(月)、晴。

まずまずの陽気。一日中、穏やかでした。
今年もあと二日を切りました。
漆仕事は棚上げにして、「菱湖」の制作に着手。
新規着手は久しぶり。今日は「歩兵」の彫から始めました。

ということで、今日も取り立てて書くほどのモノもなく、
今からは風呂に入って、夕食をいただいて、後は寝るだけ。
いつものパターンで、一日が終ろうとしています。

朝ですか?
太陽とともに目覚めて、太陽とともに一日の活動を終るのですね。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「摩訶大々将棋駒」再々掲

2024-12-29 16:56:03 | 写真

「摩訶大々将棋駒」再々掲。
整理のため、同じ駒を透明の小袋に入れて、表裏も分かるようにしました。
駒箱は、先ほど工作に取り掛かりました。
10日ばかりすると出来上がります。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

摩訶大々将棋駒、再掲

2024-12-28 17:10:50 | 写真

「摩訶大々将棋駒」。
先にアップした画像が小さく見にくかったので、歩兵以外の駒を、少し大きくして再度アップします。

玉将など、モノによっては余分も映り込んでいますが、必要な駒は全部作っておりました。
どなたか関心のある方、ご確認ください。
なお、問題の「猫刃」は、水無瀬兼成の「将棋図」に倣って「猫叉」で作成しております。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

摩訶大々将棋の駒

2024-12-27 16:49:48 | 写真

12月27日(金)、晴れ。
風が冷たい日々が続きます。

今日は、造りかけの駒の整理に一日を費やしました。
その中で、小さな駒が二組。その内の一組が映像の駒でありました。
駒は指先の爪くらいの大きさ。
文字は、小生肉筆の漆書き。

どうやら5~6年前に作ったモノですが、未完成状態につき、全部揃っているのかどうか、確認するところから始めました。

表裏の文字を確かめると、駒は「訶大々将棋」だと判りました。

摩訶大々将棋の盤駒は、20年かそれ以上前に作ったのが一組あって、工房で展示していますが、それとは別にもう一組、5~6年前に作っていたのでした。
駒の裏表をそれぞれ図面と睨めっこ。

「歩兵」は19枡の2倍で38枚と少々。
「仲人」は4枚などと、確かめること小一時間。
どうやら全て揃っていることが分かり「ヨシヨシ」と安堵。

ですが盤がありません。
盤は「碁盤」サイズで枡目は19x19。それをどうするかです。

一番良いのは碁盤を「魔訶大々将棋」用に枡目を引き直すことですが、次善手は簡便なフェルト製の布盤。
という訳で、とりあえずはそのようにして、榧の盤は後からゆっくりと調達すれば、との考えです。
ということで、現状の駒の全貌を映像に納めました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無題

2024-12-25 19:50:34 | 作品

12月25日(水)、晴。
本日の映像はコレ。
東京の某所から到来したのが、餡子がたっぷりのどら焼き。その包み紙がこれでした。
大山名人による「天下一品」とありました。
このどら焼き、大山名人のお気に入りだったようですね。

大山名人といえば、色々お世話になりました。
初めてお会いして、話をしたのは京都。
何を話したのかは全く覚えていませんが、駒づくりを始めてしばらくして、南口先生に連れられて訪れた京都新聞社主催イベントの楽屋裏だったと思います。
それをきっかけに、仕事で東京に出張した時は、千駄ヶ谷に新築なった将棋会館に度々訪れて、5階の宿泊室にも良く泊まりました。
その千駄ヶ谷の将棋会館での対局は、とうとう終了して、駅前の新しいところへ移ったのですね。
旧将棋会館の思い出は、他にもいっぱいあります。
訪問した時は、先ず、秘書室に向かい、大山名人が居られるかどうかを尋ねて、不在の時は秘書の方と暫し雑談したり、その他のスタッフとも挨拶したり、時には将棋世界や将棋マガジンの編集者と執筆の打ち合わせをしたりです。

地下には「あゆみ」というレストランがあって、そこには特別対局室で対局中を映したテレビもありました。
或る時、昼食をとりながらテレビに映った局面を見ていますと、
画面の両端から、手が伸びてきました。
「オヤっ」と思う間もなく、その手は盤面の駒を2~3回、掬うようにして、盤面から駒が消えたのでした。
時刻は、12時半ごろだったと思います。

「少しおかしいな」と思っていたのですが、やがて、それが分かりました。盤面の駒がソックリ盗まれたのでした。
以来、その駒の行方は分からずでしたが、聞くところでは、7年余りたって、その駒が将棋会館のある棚に置かれていたと聞いています。駒を持ち去った犯人は、バカな行為をズーっと悩んだことだと思います。良心の呵責。
そしてたまらず元に戻した。そのように思うのです。

将棋会館の思い出はまだまだあり、いずれまた。



 




 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪倶楽部

2024-12-21 12:14:25 | 文章

12月21日(土)、晴。
今日も冬空。寒いです。


画像は、大阪一流の財界人が集う4階建ての社交クラブ、大阪倶楽部。
大阪倶楽部

大阪の中心地、堂島通りから一本南に入った今橋通りにあって、建物は大正年間に建てられて、およそ100年が経過しています。
先日、テレビを見ていたら、この建物の映像が出ていました。
何でも古い写真をもとにその場所を探し当て、今の姿をカメラに収めようとする「今昔散歩」という番組で、それを見て、直ぐに「大阪倶楽部」だと分かりました。
もう30年かそれ以上前の話ですが、佇まいは今もその頃と変わりがなく、過っては何度かここを尋ねたことがあります。

普段は会員しか入れないのですが、このクラブの会長をなさっているMさんから「倶楽部にある将棋駒や関連グッズをみて欲しい」ということで、丁度、私が当時勤務していた場所にも近く、終業後の夕方に訪れることが多かった。
館内はリッチな
高級クラブらしく、立派な調度品や遊びの施設が充実。盤駒は当然ながら一級品ばかり。大山名人が来訪した痕跡も残されておりました。
それを背景に、私も「駒の話」か何か、お話させていただいたような朧げな記憶もあります。


テレビを見てそんな記憶が蘇ったのでしたが、この間、私の本を見たⅯさん(私より10歳くらい先輩?)から直々に、「又、来ませんか」とのお誘い電話を、いただいたばかりでもありました。

偶然とは、重なるものなのでありますね。

では、今日は此処まで。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出したこと

2024-12-19 17:08:45 | 文章

12月19日(木)、曇りと雨。

北風強い、寒い一日でした。

将棋ペン俱楽部・冬号が届きました。
表紙は先の大賞授賞式の写真。皆さんは、お元気のようで何よりと存じます。
小生は事情で欠席し、関係者皆さんには申し訳なかったことでありました。
ページをめくると、受賞者7人それぞれを描いたバトルロイヤル風間さんの4コマ漫画。
最後に、小生の似顔絵に続いて、代読をお願いした湯川博士さんの様子。
大変、お手数をおかけしてしまいましたこと、御礼申し上げる次第です。

そういえば、バトルロイヤルさんによる似顔絵。
10年か15年くらい前になりますかね。一度、描いていただいたことがあります。
その似顔絵は、今でも仕事場に飾らせていただいております。
あ、そうそう、木村一基先生の祝賀会会場でしたね。
その節は、ありがとうございました。
それにしても、仕事場の似顔絵。
仕事場に尋ねてくれた方、見つけてもらったのかどうか。
気が付いた方は、少ないのかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬至はもうすぐ

2024-12-18 17:01:07 | 文章

12月18日(水)、晴。

冬至はもうすぐ。朝は日の出とともに起き、日の入りとともに仕事を終える毎日。

天候にもよりますが、気のせいか、この数日は日の入りが少し遅くなったような。そんな感じがしています。
と言いますのも、少し前は17時を聞く頃は周りは薄暗く、今日は同じ17時でも山の端には明るさが残っていて、そんな気配がしています。
漆仕事をしたいのですが、この寒さで漆は当分、敬遠するのが良いと諦めて、冬場はこんな感じで、気分はウツウツ。
とは言え、貧乏人の性なのでしょう、何かの仕事を捜しつつ、毎日を過ごす昨日今日ではあります。









コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝の読売新聞

2024-12-16 16:46:42 | 文章

12月16日(月)、晴。

八王子市在住のFさんから電話をいただきました。

何でも「今朝の読売新聞・編集手帳に水無瀬の話が出ている。あれは熊澤さんの書いたものか?」との問い合わせでした。
Fさんとは、以前、何度か手紙を貰ったり、私自身もお尋ねしたこともある人で、専ら「菱湖」がお好きな方です。

当方は、新聞記者ではありませんし・・、と思いながら、

「あっそうですか。その記事は見ていません。早速、新聞を買って見ることにします」。ということで、すぐさま近くのコンビニに行って朝刊を買い求めました。
内容は正しいところも多い中で、一部、これはどうかなと少々懐疑的に「??」を思わせるところもあって、これを書いた記者は誰だろうか、と。
読売新聞には予てより知己の記者もいるのですが、多分、私の知らない将棋好きの記者だろうとは思うのですがね。

今日は、いつもと違っての話題でした。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12月の風景

2024-12-14 17:07:17 | 文章

12月14日(土)、雨。
所要で大阪の八尾に行ってきました。

大阪行きは久しぶり。今日は12月の土曜日ということで車は多く、年の暮れが近いのを感じました。
画像は、庭先に咲いた冬の花。山茶花の花。


「本」のことですが、最近はボツボツとではありますが、ときおり「在庫はありますか?」と問い合わせを受けることがあります。
「在庫はあります」。
「本」は、この1年で全体の3/4くらい出払いましたが、今のところまだ300部近くはありますので、ご入用の時はご心配なくご注文ください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25年前の話、その5

2024-12-13 17:18:29 | 文章

2回目の名人戦に使っていただいたところまで書きました。
その続きです。

11年余りが経って、ある時、第76期名人戦が奈良で開催されることを知りました。
「ウン? 奈良興福寺で」ということで、ある思いが涌いてきました。奈良は、長いこと住んでいたところだし、この加茂は車で25分くらいと、興福寺にも近い。
思いは、「盤を三度の名人戦。今回の興福寺の名人戦で使ってもらえないだろうか」と、いうことでした。対局者は、佐藤天彦名人対羽生善治挑戦者。
ひと月ほど考えて「ヨシ。お願いしてみよう」と、お願いすることにしました。後は、経過待ちです。

2週間ほど経って、幸運にも結果は吉。
ということで、12年ぶりに名人戦で使っていただくことになりました。もちろん、駒も一緒。
前日の夕刻、対局室での検分では、盤の由来について、皆さんに説明させていただきました。

実に幸運。
名人戦に、3回も使っていただいたのは、実に幸運。
それも、52期、64期、そして76期と、12年毎にです。
米長流で言うと、この時も「幸運の女神がほほ笑んでくれた」と、いうことだと思います。

以上で、このシリーズは終了です。
なお、別件ですが、奈良での名人戦は、61期戦でも行われました。
この時は、神吉先生の肝いりでの誘致開催で、森内名人対羽生挑戦者の対局でした。
この時の盤駒は、奈良在住の方の持ちの物でしたが、駒は小生作の「菱湖」。盤は小生の斡旋でお渡ししたものでした。
当時は、NHKによるテレビ中継があって、アナウンサーは村上信夫さんによるものでしたが、後半、村上さんによる呼びかけで、小生もライブ画面に初出演と相成りましたが、何を話したのかは、とんと覚えてはおりません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慌てず騒がず

2024-12-13 13:30:47 | 文章

12月13日(金)、曇り。

このところ、日中でも10℃と、
寒い日々が続きます。
その駒づくりの漆ですが、中々乾かない。
湿気を加えて固まらそうとするのですが、中々乾かず固まらない。
自然には勝てません。
この時期の漆仕事はほどほどが良いと、あきらめました。

代わって、何をするかですが、作成途上の駒の磨きに専念。
盛り上げの一歩手前の段階です。
磨いて磨いて、磨きにはキリがないので、繰り返し磨いて磨いて。

まあ、そういうことで、慌てず騒がず。
時間のままにです。

今日はこんな話でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25年前の話、その4

2024-12-12 17:03:54 | 文章

この前は、山口県湯田温泉での名人戦で盤が使われた経緯について書きました。それから10年ほど経った秋のことです。
石川県にある北陸科学技術先端大学院大学(飯田弘之先生)からの要請で、駒の話をする機会をいただきました。
講演が終わって、大学が予定してくれていた辰口温泉の宿(まつさき)に降り立って、「おお、これは!」と思いました。
佇まいが、将棋タイトル戦に相応しい。そう思いました。
フロントで手続きをしながら、「社長さんはおいでですか。少しお話したいことがあります」と、社長さんに、3~40分、話を聞いてもらいました。

「将棋には7つのタイトル戦があり、年間を通して開かれています。こちらの佇まいを拝見して、タイトル戦にピッタリだと思いました。
誘致されてはいかがですか。金銭的には潤うことにはなりません。でも、全国紙がスポンサーで、NHK
テレビでの全国放送もあり、広告面でのメリットは大きいと思います。ですので、繁忙期でない時期でがお勧めです」。
「そうですね。4月5月なら・・」。
「あ、そうですか。4月5月なら毎日新聞主催の名人戦。ただし、2年くらいは後になるかもしれません。この足で、私の方から希望を伝えることにします」。

それから一月ほどして、毎日新聞から「石川県の件。社長さんと話をしたいので、伝えてください」と。
このような経過で1か月後、社長さんが大阪に来て、その席に小生も同席することになり、会話は、次のようなモノでした。

「来年の名人戦。第1局から4局までの開催場所は決まっていて、5局の
以降は未定で、6局目はどうか。必要な部屋は対局室のほか大盤解説など全部で15部屋ほど。だが、最悪、2週間前に終了して、キャンセルになることもある」。
「分かりました。よろしくお願いしたい」。と、運よく話は進みました。
年が明けての第64期名人戦。
名人は森内さん。挑戦者は谷川さん。幸い戦いは6局目まで進み、盤と駒は小生が準備して、対局場に向かい、盤はもちろん「実力名人戦ゆかりの盤」。
以上が名人戦での2度目の使用となった、経緯でありました。

次は、3度目の名人戦使用について、述べたいと思います。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実力名人戦ゆかりの将棋盤。

2024-12-12 11:06:11 | 写真

12月12日(木)、晴。

実力名人戦ゆかりの将棋盤。

その盤面の映像です。先ほど撮影しました。

盤面の年輪。分かりますでしょうか。少し粗いところでは1ミリに1本くらい。。緻密でより細かなところでは、1ミリに2.5本くらい。
そうだとすると、平均的には1cmに20本以上。
盤の幅は33cm余りですので、20本だとすると、20x33=660本。
あるいは、25本だとすると、25✕33=825本。
私が虫眼鏡で数えたところでは、全幅で800本ぐらいの木目を数えることが出来ました。
おそらくは1000年以上の筋の良い素直な大木から木取りしたのだと思います。

なお、「榧」といえば、今は綾営林署が有名ですが、聞いたところでは(確証はありませんが)、この盤は、綾の隣の高岡営林署区域で採れたものとのことを聞いております。
因みに、現在の高岡営林署にはほとんどありませんが、100年くらい前の高岡には、綾、以上に「良い榧」があって、それは大正時代の頃に採りつくされたそうです。

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒の写真集

リンク先はこちら」 http://blog.goo.ne.jp/photo/11726