4月27日(土)、曇り。
昨日、いつものようにNHKラジオを聴いていると、寮美千子さんがゲストでした。寮美千子さんは奈良在住の童話・純文学など、幅の広い作家で、泉鏡花賞も受賞しておられます。 以前、KOMの仲間、塗師の樽井さんのところで、何回かお会いしました。ラジオでは主に、奈良少年刑務所で、少年たちの更生に向けての活動について話されていました。最近、奈良少年刑務所は、無くなりましたが、この時の少年たちと「詩」を通じての交流を本にした「『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所 詩集』を出されたそうです。 罪を犯したかたくなな少年たちの心が、「詩」を通じて解きほぐされる様子を聴いていて、駒づくりの漆筆の先がぼやけてしまいました。
さあー。今日も間もなく仕事です。
4月26日(金)、曇り。
この間、上京した折、娘の本棚で見つけた柳宗悦の本を借り出して、以来、それをところどころ何回か読み返している。その中の一節、工芸と道具としての機械のとのかかわりについて述べてある。この本は、昭和2年から3年にかけて書かれたもので、今から90年も前の著作なのである。 ここで述べられているのは、機械は、あくまで作り手の補助として使わなければならないと言っている。全くその通りだと思う。非力な人の手の力に変えたり、能率よく作業を進めたり。機械はそういう役割で使うということ。
おっとと、朝食の準備ができました。この続きはまた。
毎日のように起きている自動車の暴走事故。その原因の多くは、ブレーキとアクセルの踏み間違えのようだ。何とかならないものか。近年は、自動運転を目指す技術開発が進められているようだが、その前に、喫緊のこととして、安全運転のための技術開発と実装を先行するべきでないか。
因みに、3年前に買い替えた愛車には、初期レベルの安全装置(エマージェンシーブレーキ)が実装されているが、まだまだ安全には、十分とは言えないように思う。 そのあたり、メーカーと役所(国交省?)どのように考えているのだろうか。技術的には、開発中の自動運転技術がそのまま安全運転技術として利用できるはずであり、安全装置の実装の義務化を含めた早期法改正が望まれるのではないだろうか。
4月21日(日)、曇り。
「光陰矢の如し」一週間は早いですね。今日は何をするかまだ決めておりません。東京に行って以来、2週間が経過しました。湖北あたりは遅い桜。でも、葉桜かもしれません。生の湖鮎を買い求めたいのですが、今年も不漁のようです。ということで、どうするか。まずは仕事場に入って、昨日の続きをしようかと思います。
春は木の芽吹き。若葉で、小さい植え込みもにぎやかになりました。
-------
只今、8時。
「働き方改革」という言葉を多く見るようになって、かなり月日がたちます。でも、この言葉は、私にとってはあまり縁がない言葉なのかもしれません。と言いますのも、私は誰に雇用されているわけでもなく、働きたいときに働き、休憩したいときはごごろーんと寝ころび、やりたいことを思いつけばやりたいようにするし、自由人なのですから。 でも、サラリーマンとなると、そうはいきませんよね。私も、30年ほどサラリーマンを経験しました。自由出勤のフレックスタイムも経験しました。
働き方改革も大切ですが、難しい面が多々あることとは言え、やる気が出て、やる気で気持ちよく働けるような動機付け、それが出来るか否かが、最も重要なことではないでしょうか。