本日の映像は、このほど作成した「峰書」の盛り上げ駒。
3玉で作りました。
先にも途中経過をチラッとお見せしていましたが、やっと、出来上がった姿をご覧ください。
6月26日(水)、曇りがち。
梅雨のこの時期の蒸し暑さは格別。
昨日の湿度コントロールは適切で、15枚ほどの盛り上げは、総て上手く仕上がっておりました。
今日は、4時間ほどの野暮用の残り時間の活用は、未着手だった「平箱」20個ほどの下塗りでした。
本日の映像は、7代目駒権こと國島権次郎作「歩武」の駒。
何処かにあったと、二日間、捜しあてての撮影です。
彫り駒としては、上等品になりましょう。
6月22日(土)、雨。
いよいよ、当地も梅雨に入った模様です。
今日も、漆を埋め終わって研磨面取りした「峰書」を再度磨きながら、先ずは「と金」の盛り上げを開始しました。
その映像です。
オオタニサン。やりましたね。20号。
漆について「数種類を混ぜるのは、なぜか?」というお尋ねがありました。
それについて、お答え致します。
一口に「漆」と言っても、色あいは黒色もあれば半透明の木地色もあるわけで、自分好みの中間的な色合いにするためには、混ぜ合わせなければなりませんし、粘っこい漆を使いやすい状態に調整するためにもそれが必要です。
同じ黒でも光沢の具合の違いや混ぜ物の有り無しや、精製方法と処理時間の違いによって粘り気は強くも弱くも変わります。
その違いは実際に使ってみないとわからないし、書きやすく自分好みの漆にするためには、単一の漆をそのまま使うのではなく、選び抜いた数種類を混ぜ合わせて使っています。
追加として、
「油は混ぜるのですか?」という質問もありましたので、混ぜ物の話をします。
混ぜ物のないピュアな漆は、乾くと表面が蝋のような鈍い光沢になるところから「蝋色漆」と呼ばれ、乾いた後、表面を磨き上げることで、深みのある光沢が生まれます。そして品質的には「蝋色漆」は最も固く、本来の漆が持つ特性を最高に発揮し、高級な作家の作品には専らこの「蝋色漆」が好まれて使われるところから、私もそれに倣っています。
「蝋色漆」に対して「塗り立て漆」と呼ばれる漆があります。
「塗り立て漆」は塗った漆が乾くと、表面がピカピカ光った状態で仕上がるので、わざわざ磨く手間もかけずに手早くピカッと光った製品が出来上がります。
混ぜ物は油のほか、蜂蜜などもあって、混ぜ物をすることで、その分だけ漆の量を増やせ、漆自体も多少品質の劣った漆でも、それなりに使えるので、普通の箱やお椀などには高価な「蝋色漆」ではなく、安価な「塗り立て漆」が使われます。
(因みに、日航東照宮の修復には、中国産漆ではなく、専ら日本産漆が使われている)
なお、中国産漆の歴史は古くから日本に入ってきており、昔から多くの駒には安価な中国産漆が使われてきた、と考えて間違いないと思っています。
6月18日(火)、雨のち晴れ。
大雨が一転、夕刻には青空が広がりました。
日本の現状の経済と政治も、このようになれば良いのですが、難しい話でしょうね。
「水無瀬駒見学会」。
開催日は12月1日(日)に決まったとのことです。
先程、事務局から一報が入りました。
時間や申し込み方法など詳細は、今後、詰めるとのことですので、参加希望の方はスケジュールに入れておいてください。
「漆の話」。コメントにも書きましたが、もう少し書き足すことにします。
漆は生ものなので、チューブから出すことで空気に触れて次第にネバリ気が増して、筆では扱えなくなるとともに、空気中に漂うゴミが混ざったりして、そうなると捨てるか、錆漆に使うしかありません。
特にこの時期はそのスピードが速く、二日に一回は使っていた漆は捨てて、新しい漆をチューブから出して使うことになります。
日本漆は高価で、小さなペットボトルのキャップを受け皿に、必要な量だけチューブから出して、3種類ほどを混ぜながら使っています。
量は合わせて1回あたり1グラム程度でしょうか。
その中で実際に「駒」に使うのはホンの僅かで、キャップに出した漆の量のせいぜい2割か3割なので、7~8割は捨てていることになります。
ところで、漆の知識は「漆の本」によって、知る人が多いと思うのですが、必ずしも本に書いてあることがすべて正しいとは限らないのです。
つまり「漆の本」は、食器や普通の器具などに塗る漆の知識として書かれており、それらは平面のところに大きな刷毛で漆をベッタリ伸ばしながら塗ることを前提にした説明であって、その時の漆の厚みは、せいぜい10/100ミリ程度以下の薄いことを前提にして述べられています。
対して「駒」の文字としての漆は、分厚く書か(盛り上げら)れていて、30/100ミリほどにはなると思います。(分厚い盛り上げでは、40/100ミリを超えるかも?)
この10/100ミリと、30/100ミリの厚みの差は、漆としての取り扱いには大きな違いであるにもかかわらず、そのことについて解説した本を見たことがなく、よって「駒」の文字を書く(盛り上げる)にあたっては、実際にやってみて体験した知識と技として、それを
今日はこの辺にて、謝謝。
6月16日(日)、雲多きが晴。
青空が20%以上なら「晴れ」。今日はおおむねそのような空模様で最高気温は27℃。でも、ちょっと蒸し暑さを感じる一日でした。
仕事は相変わらずの漆の盛り上げ。
ノルマは無く「歩兵」を15枚程ほど書き上げた後、使っていた漆を破棄。別途、明日使う新しい漆を混ぜ合わせて準備して今日を終えました。
漆は使っているうちにネバリが強くなりすぎたり、空気に漂うゴミが入ったりで、その時は処分します。
特にこの時期は、湿度も高く、その時は早まります。
6月11日(火)、晴。
今日の午後、頼んでいた桐箱が届きました。平箱です。
全部で30個。その内、今日は10個分に手を入れることにしました。
桐箱と言えども、出来上がってきたそのまま使うのではなく、必ず自分の手を入れることにしています。
先ずは、ペーパー掛け。
全体に優しくペーパーを掛けるのは、手に取ったとき滑らかで手に優しくするためです。もちろん面取りもこの段階でしておきます。
10個のペーパー掛けの後は、「砥の粉処理」。
砥の粉を水に溶いて、刷毛で塗り込み、全体に砥の粉が行き渡ってから、さらに布で刷り込みます。
こうしておけば、色合いが深まり、生の木色から落ち着いた色になり、表面が滑らかで、汚れも目立たなくなります。
このあと、漆掛けも予定しているのですが、30個全体の準備を終えてから。
ということで、今日のところの映像は、右から、届いたばかりの桐箱、梱包から出したままの桐箱、砥の粉掛けした桐箱。
なお、内箱への段々仕切り入れ込みは、ずっと先になります
以上です。
6月8日(土)、晴。
本日は、冬明けから作り始めて、このほど出来上がった「空蝉」。
材は見た目、穏やかで落ち着いた感じの御蔵島ツゲ柾目。
こんな感じです。
同じ木地で、2組作成した内の一組です。
本日の映像は、漆で書いた「根付駒」。
根付にしようとしていた手元の1枚ですが、今日はこれを使って、少しテストをしました。「漆で書いた文字の耐久度」のテストです。
「盛り上げ駒」や「書き駒」の漆の文字は飛んだり、すり減ったりして、それが怖いと思っている人が多いように思います。
それは正しいことなんでしょうか。
過去に実際に漆が飛んだ駒を見たり聞いたりしたことがあるからで、事実、そのような「駒」がありましたし(今もあるかもしれません)、時にはそのような古い駒を頼まれて直したことが何回かありました。
原因は何か。
それを考えたことはありますか?
「盛り上げ駒」も「書き駒」も同様で、使った材料が良くなかったり、工程が間違っていたからです。
例えば、漆が木地にしみ込まないように使う「目止め剤」。
昔(明治から昭和の中期ごろ)は、接着剤の一つ「膠(にかわ。牛骨から作る)」や「シェラックニス」が良く使われました。
しかし「膠」は、100年もたつと接着力は全くなくなり、古い「彫り駒」の漆がポロポロ剥がれ落ちるのはそのため(これはよく見ます)ですし、「シェラックニス」は、もともと漆との食い付が悪くその上に塗った漆が剥がれやすく、出来たときからトラブルを内在しているのに、それを知らないまま惰性的に作り続けたことで起きたトラブルなのです。
今は「水性ボンド」を使う人もあるようですが、これも湿気で元に戻る性質があり、使うのは考え物です。
話を元に戻して、今回のテストは文字の漆をサンドペーパーで何回も繰り返し擦る方法でした。
具体的には、盛り上がった王将の漆文字(王の辺り)を、小さく折りたたんだ1500番手のサンドペーパーで15分ほど擦り続けて、これは、その結果です。
これを見ると、右上に写っているサンドペーパーはヨレヨレですが、漆の文字はほとんど原型を保っていて、ビクともしておりません。
むしろ、駒全体と文字に落ち着きが増したような気がします。
15分、つまり900秒は結構長い時間でした。
その間、カウントを1から100回まで数えながらゴシゴシ。これを何回繰り返したかは覚えきれませんでしたが、20回は繰り返したように思います。
これを計算すると100✕20で2000回。ゴシゴシ、サンドペーパーで摺り続けたことになります。
実戦の対局で、一つの駒を1局当たり最大20回動かすとして、1000局分に相当しますが、いかがでしょうか。
「盛り上げ駒」も「書き駒」も同様で、シッカリと正しい工程で作った「駒」は、多くの人が考えているほどヤワ(軟)ではないのです。
昔、こんなこともありました。以下は、「KOM」という奈良の工芸作家たちで、展示会をしたときの話です。
私は、何組かの「盛り上げ駒」を出品していたのですが、仲間内には随分ヤンチャな人もいて、それがこともあろうに、展示している私の駒を一枚、手にして石造りの壁に「パンパン」と叩きつけたのです。
とっさに私は思いました。
「ハハーン。この男はこうすることで私がどのように反応するか確かめようとしているな。その手に乗るものか。無関心を装って好きなようにさせてやれ。幸い壁は凸凹の無いピカピカの大理石だし、この駒はその程度打ち付けられようが損じる軟(やわ)ではない。放っておけ放っておけ、その内、あきらめてやめるだろう」。そう思ったのでした。
話を戻して。
くどいようですが、もう一度言います。
「しっかりと間違いなく作られた駒は、漆が飛ぶことはありません。ことさらに腫物を触るようにではなく、普通に慈しみの心でどんどん使って欲しいと思います」。
以上です。