9月28日(火)、曇り。
「大将棋駒」。玉将と歩兵の試作品をお送りして、確認いただきました。
本日は、その試作駒の映像。
右は、大きさ比較のためのレギュラーサイス王将駒。
左2枚が、今回の試作品。盤は榧の2寸盤での碁盤サイズ、15✕15枡で作ることになりました。
これをお送りして、クライアントに見ていただきました。
最大限、大きく作ろうという気持ちが働きましたが、心持ち大きいかなと。
(玉将は高さ、歩兵は幅と高さを再度調整しようと思っています)
駒は彫り埋めが希望でしたが、当方が提案して、盛り上げ駒で仕上げることになりました。
木地は、12年前「魔訶大々将棋駒」で成型した薩摩ツゲの古材を活用。本日、着手します。
裏の文字をどうするかですが、クライアントの希望をお聞きして「中将棋」、あるいは「魔訶大々将棋駒」に準じた文字を入れることになりました。
なお、今回とは無関係なことですが、近年では「魔訶大々将棋」のことを、「魔訶大将棋駒」と言う人が現れています。それは間違いです。
間違いのもとは、「魔訶大将棋」の名を付けた著作本。
数百年の歴史の中で「現に存在していた将棋(古将棋)の名」を、一人勝手に別な呼び方に改変して吹聴する行為は、読者の多くを誤誘導し弊害をもたらすものであり、研究者として厳に慎むべきことと言わざるを得ない。
正しくは、「魔訶大々将棋」と言わなければなりません。
9月23日(木)、晴れ。
風強し。
「大将棋駒」を作ることを前提に、「大将棋」について具体的に調べ始めています。ですが、その中で、びっくりしたことがあるのです。
資料は、400年前の水無瀬兼成さんが遺した「象戯図」。
「将棋図」のコピーは、いつも手元に置いてあって、何十年も時々見返したりしているのですが、これまで気づかなかったことに初めて気づいて驚いています。
これには、「小象戯(今の将棋)」をはじめ「中象戯(中将棋)」以下、5種類の将棋の初期配置図と駒の行き方などが記載されているもので、それぞれのなり駒(成馬)も分かり、例えば「中将棋」のところはこのように示されています。
ところで、「大将棋」は次のように初期配置図が記されているのですが、「成馬」の図は見当たらないのです。
おかしいな、と思いながらみてゆくと、
「大象戯成馬(大将棋成駒)、以上三枚」
「・酔象成太子 ・鳳凰成奔王 ・麒麟成師子(獅子)」とありました。
因みに、この後に続く「大々象戯(大々将棋)」や「魔訶大々象戯(魔訶大々将棋)」には、それぞれの成駒が図示されています。
さて、この「大将棋の成駒は、三枚だけ」という記述をそのまま解釈してよいモノかどうか、やや戸惑いがあります。
皆様は、どのように思われますでしょうか。ご意見をお願いします。
9月22日(水)、曇りのち雨。
正午を境に、夏から秋の気配に。
本日の映像も「大将棋駒」関連。
大きなポスター裏に盤を見立てて碁盤サイズで「大将棋盤」を描いてみました。
結果、一枡の大きさは、竪約28.5ミリx横27ミリ。
ここに、大小5角形の駒を並べて、大きさのチェックから始めました。
駒のサイズは、一番大きい玉将以下、一番小さい歩兵までの5段階乃至6段階にしようかと思っていますが、実際は明日以降の作業。
昨日までの「歩兵」は、当分お預けになります。
9月21日(火)、曇り。
余りピンときませんが、昨日は祝日、敬老の日だったのですね。
ある方から「大将棋駒」制作について、お尋ねをいただきました。
以前に中将棋駒を買っていただいた方からでした。
「大将棋駒」は、130枚。「これまで作成したことはありませんが、作成は可能です」と返事しました。
ところで、作成に先立っては、駒の材料や大きさ、そして彫駒にするか、彫り埋めにするか、盛り上げにするか。あるいは書き文字にするかなど詰めて行く必要があります。
駒の大きさは盤のサイズにより決まることになるのですが、盤も作成可能で、「盤はどうしますか」ともお聞きしました。
駒は、島ツゲ、薩摩ツゲのどちらでも可能ですが、緻密で耐久性の良い薩摩ツゲが良いのではと伝えて、それら具体的な希望などがあればと、お聞きしているところです。
まだ、その返事は届いていませんが、私なりに次なようなことを考えました。
先ず盤のことですが、碁盤を大将棋盤に仕立て直しするのがいいだろうと。その場合、15✕15枡の一桝の大きさは30ミリx27ミリ弱になります。
これですと大将棋の玉将は、普通将棋の飛車くらいで使いやすく、収まりが良いと思います。
厚みは重厚感を考えてやや厚めで、歩兵でも8ミリ程度、玉将は10ミリ程度とするのが良いのではないではないかと。
肝心の文字ですが、以前、大阪商業大学へ納めた804枚の「大局将棋駒」は、小生の漆肉筆の書き駒で作りました。今回の大将棋駒も重厚感ある肉筆での漆書きが似合いそうと思います。
そのほかにも、吟味検討すべきところがありますが、このような提案をしてみようと思っているところです。
9月19日(日)、晴れても蒸し暑い一日でした。
いつもは18時ころまで続けているのですが、今日は1時間ほど繰り上げて仕事を終えました。特に理由はありませんが、たまにはこのようなことがあってもいいだろうという思いでしたし、その時間をブログに充てもよいという気持ちでもありました。
さて、今日は一文字駒についてコメントをいただきました。
テレビでよく見る一文字の駒。
大昔、私も一文字の駒は、何組か作ったことはあります。
文字は古水無瀬、あるいは菱湖の一文字でしたが、やっぱり駒は二文字が似合うと思いました。
一文字駒は、テレビ映像用に大山名人の発想で生まれました。当時、テレビは解像度が低く、駒の細かい文字はボヤケて見ずらいものでした。一文字は、それを克服するアイデアでした。
以来、NHKテレビ将棋では見やすい一文字駒が使われるようになったことはキャリアある将棋ファンの皆様は、ご承知のことでしょう。
しかし、テレビで回数多く見ているうちに、これが駒のバリエーションだと勘違いし、そのように思いこむ人も出てきたように思います。
でも私の感覚では、やっぱり、駒は二文字が似合うと思うのです。
一文字の普通の対局に使うなどという発想には、どうも、同意することができないでいます。
9月5日(日)、雲多しが晴れ。
またまた日曜日がやってきました。やや蒸し暑く。
今日の話は、ある方からコメントをいただいた書体銘のこと。
コメントその他で、質問や指摘をいただくのは、話題としてテーマにもなるので、大変ありがたいことです。
ーー人によって、駒は 書体名に「巻菱湖」と書いてあったり、「菱湖書」と書いてあったりします。
また、例えば「水無瀬兼成卿写」はあっても、「水無瀬兼成卿書」とはしませんし、あるいは「錦旗」は「錦旗書」としていてはおかしいように思います。このように駒の作者によって、書体銘の書き方はいろいろあるようで、つくりや流通からまちまちになっていますが、「書」に関して、熊澤様のご意見をお聞かせください」。
これに対しては、コメントでも述べましたが、少し加筆して改めて述べさせていただきます。
お尋ねの件。
書体銘に書き入れる文字(語句)には、人名と駒の愛称とがあります。
人名の場合は「だれだれの筆跡」という意味ですから、だれだれの後に「書」を付けるのがよいでしょうし、場合によっては「書」を省略して名前だけでも良いのではないかと思います。因みに、私の場合は、その時の気分によってどちらもありにしています。
一方、「錦旗」とか「古水無瀬」のように、駒の愛称の場合は、だれだれの書という意味ではないので、「書」を付けてはおかしく、付けないのが良いと思います。
ところで、私も小さなことに、こだわって生きているところがあります。
物事には、どうでもいいことと、こだわるべきこととがありますが、でも、駒づくりの場合は、細かなところにこだわって作り続けなくてはいけないと思っています。
それ以外のことには、こだわり過ぎるのは、良くない結果につながりやすいし、心(気持ち)エネルギーの無駄にも繋がりますので、まあ、いい加減がいいし、それが生きてゆくうえで楽だし、それが知恵というものかもしれません。
ああ、今日は、なんのこっちゃ?でした。
ああ、それにオオタニサン。43号、すごいね。
9月3日(金)、雨。
昨日夕刻、所用で車で郡山まで出かけようとしたら、突然の豪雨。
車に乗り込むまでは5メートル。ママヨと乗り込んではみたものの、ほんの数秒で頭からビショ濡れ。
発進はしてみたものの前方の視界の20メートル先は、恐ろしいほどの真っ白。これが半時間あまり続いて目的地に到着しました。
さて、作者銘と作者銘問題。観戦記者Aさんの続きです。
ーー「タイトル戦で双玉の駒が使われることが時折あるのですが、その場合、タイトルホルダーは作者銘、書体銘どちらの駒を使うべきでしょうか」。
「ハイ。書体銘が入っている方が上位者でしょうね。でも、そこまで考えている人がどれだけいらっしゃるかどうか。よくわかりません」。
ーー「私も気になって、対局後、ある新進気鋭の対局者に聞いてみたのですが、全く気にしていなかったそうです」。
「そうですか。ベテランの方ならしっかりと考えておられる人もいるはずですでしょうがね・・」でした。
ところで私は3玉の駒をつくる場合、通常は玉将一枚に作者銘、王将に書体銘を入れた後、残った玉将には何を入れるかを都度考えながら書き入れています。
多いのは、作った年号や年齢と作者銘の組合わせなのですが、時によっては玉将の一枚にも書体銘を入れることもあります。
双玉で駒を使うとき、一方が書体銘、他方が作者銘となるのを考えてのことですが、さて、どちらが良いのでしようか。
9月1日(水)、曇り。
先に問題提起した「書体銘と作者銘問題」について、3人の方からコメントをいただきました。
それぞれ私の考えと大きな隔たりは無く、さぞかしと思います。
そこで先ず触れておきたいこととして、「書体銘」や「作者銘」は、
駒にとって必ずしも必須ではない、ということです。
自虐を含めて言うならば、商業主義がもたらしたものであるということ。
商業主義が希薄であった時代、具体的には400年前の水無瀬駒。特に水無瀬兼成作の駒には、作者銘はおろか、ご自分の筆跡で書いた駒だし、書体銘も書き記す必要性も無かったわけです。
「作者銘」が記されるようになったのは、兼成さんの次の時代以降であり、そのころから商業主義が派生して、江戸時代後期、あるいは明治時代からは商業主義ありきの時代になり、今日に至っているわけです。
近年は、服やショーツなどの服飾品に、これ見よがしのごとく「ブランド名」を見せびらかせている例が多くみられますが、これは悪趣味な最たる商業主義であります。
ところで、それぞれの方がおっしゃっているように、駒の作者は駒文字のオリジナル者にリスペクトして書体銘を上位の方に使ってもらい、一方の作者銘はへりくだって下位者に、という思いがあると思います。
そこで具体的に、それらの銘を「王将・玉将」のどちらに入れるかですが、ここで、ややこしい問題にぶち当たります。
現在のタイトル戦などでは、上位者は「王将」の駒。下位者が「玉将」の駒を持つのが慣習化されて、それが当たり前のようになっています。
であれば「王将に書体銘」を、「玉将に作者銘」を入れるのが当然なわけですが、果たして「王将」が上位者が持つことについて、かねてから、私は疑義を抱いています。
その理由の一つは、歴史的に見て「王将」は比較的新しい種類の駒であり、それ以前は「双玉」、すなわち、二枚とも「玉将」であったわけです。
そして、「玉」は唯一無二の天皇を意味し、「王」は何人もいる天皇の弟や子、孫、甥っ子。そして地方の豪族の長を指しています。
ですから、上位者がいわば新参者の「王将の駒」を持つなどというのは、理にかなってはいないということを申し上げねばなりません。その不思議な慣習が生まれたのはいつの頃かわかりませんが、おそらくは、明治時代ではなかったかと思う次第です。
とは言え、「長いモノには巻かれろ」という言葉もあり、「上位者が王将の駒」を持つ慣習が定着している現実を思うと、結局は「王将に書体銘」、「玉将には作者銘」を入れるケースが多いのではないかと思うのです。