7月29日(日)、曇。
映像は、手持ちの雛駒。
半年ぐらい前に作ったのですが、久しぶりに磨き直しました。
書体は「菱湖写」。
素材は御蔵島ツゲ。
彫り埋めです。
大きさは、盤の寸法30X27センチ。
机上に置いて、局面検討に大きすぎず小さすぎない、実用のジャストサイズでもあります。
盤の蓋。
「大中小」、あれからそれぞれ、6回ほど塗り重ねまして、映像は、その中の「中」。
7X7枡の「鶏将棋盤」の蓋です。
塗りは、あと2~3回かと。
厚紙で、盤と蓋のケースも作成中です。
終わるのは、来週半ばかと。
映像は、手持ちの雛駒。
半年ぐらい前に作ったのですが、久しぶりに磨き直しました。
書体は「菱湖写」。
素材は御蔵島ツゲ。
彫り埋めです。
大きさは、盤の寸法30X27センチ。
机上に置いて、局面検討に大きすぎず小さすぎない、実用のジャストサイズでもあります。
盤の蓋。
「大中小」、あれからそれぞれ、6回ほど塗り重ねまして、映像は、その中の「中」。
7X7枡の「鶏将棋盤」の蓋です。
塗りは、あと2~3回かと。
厚紙で、盤と蓋のケースも作成中です。
終わるのは、来週半ばかと。
7月20日(金)、晴れ。
今日も一日、地獄のような暑さでした。
皆さん、お元気ですか。
こちらは、クーラーを付けていても、熱中症のような感じの一日。
仕事は、中々、思うようには進みません。
そんな中、「古水無瀬」が一組。
こんな感じです。
今日も一日、地獄のような暑さでした。
皆さん、お元気ですか。
こちらは、クーラーを付けていても、熱中症のような感じの一日。
仕事は、中々、思うようには進みません。
そんな中、「古水無瀬」が一組。
こんな感じです。
前回は、古い出土駒について触れました。
昔は、出土駒に見られるように、総て杉や檜が使われていたと思い込むのは、少々短絡的で、当時のことを思い測る思慮が不足しているように思います。
平安時代の雅な貴族達ならば、粗末な薄っぺらな「ヘギ」で作られている駒などは、好んで使おうとも思わなかったはずで、駒として適材適所のツゲで作られた端正な5角形の黄楊駒を、こよなく愛用したに相違ないと思います。
しかし、遺跡の出土駒にツゲが見当たらないのは、ツゲは雨水に非常に弱く、遠の昔に朽ちてしまったからにほかならない。
以上は序論として述べましたが、以下は、本題の「肉筆書き駒と盛上げ駒」について述べることにします。
1,江戸時代以前は、ほとんど肉筆で書かれた「書き駒」でありました。
一口に「書き駒」と云っても、識字者が自分用に自給自足。手慰みで作った駒もあれば、やがて、能筆な
人が請われて書いた駒もある。その代表が室町時代の高名な公家・三条西実隆で、自身の日記には、度々
仲間から頼まれて駒を書いたという記述もあり、それは現存していないが高級品の類いである。
400年前の水無瀬神宮で作られた「水無瀬駒」は、その実隆の流れを汲む孫の水無瀬兼成が書いた駒は
いわば同家の家業とも言える超高級品で、時の天皇をはじめ公卿達、高名な武将達がこぞって求めた記録 が残っている。
2,対して「彫り駒」や「盛上げ駒」が作られるようになったのは、いつ頃からであろうか。
結論をいえば、ごく例外を除いて「彫り駒」が作られたのは、江戸時代の後半からである。
江戸時代では、幕府の一機関として寺社奉行配下の「将棋所」が作られ、その頂点が「名人」である。
そのような世の中、将棋は庶民に広く愛好され留ようになり、駒の需要が格段に広がる。
やがてそれまでの能筆家の公卿の駒づくりに変わって、駒を専門に作る職人が派生するわけである。
3,駒職人(今で云う駒師)が派生した当初は、それまでのように「書き駒」が多く作られていた。
職人それぞれは、それぞれの技量である筆跡で文字を書き、それが「安清」「俊光」であったり、幕末の
天童駒であったりでした。
4,需要の増加と共に、やがて「書き駒」とは別の製法を思索する人もいた。
それが「彫り駒」である。
「彫り駒」は、「書き駒」とは違い文字が達者でなくとも作れる。彫り駒は、彫り駒の良さもある。
こうして生まれたのが「彫り駒」である。
時代は、幕末から明治始めの頃である。
5,一方、「盛上げ駒」はどうであるか。
この続きは、また。
昔は、出土駒に見られるように、総て杉や檜が使われていたと思い込むのは、少々短絡的で、当時のことを思い測る思慮が不足しているように思います。
平安時代の雅な貴族達ならば、粗末な薄っぺらな「ヘギ」で作られている駒などは、好んで使おうとも思わなかったはずで、駒として適材適所のツゲで作られた端正な5角形の黄楊駒を、こよなく愛用したに相違ないと思います。
しかし、遺跡の出土駒にツゲが見当たらないのは、ツゲは雨水に非常に弱く、遠の昔に朽ちてしまったからにほかならない。
以上は序論として述べましたが、以下は、本題の「肉筆書き駒と盛上げ駒」について述べることにします。
1,江戸時代以前は、ほとんど肉筆で書かれた「書き駒」でありました。
一口に「書き駒」と云っても、識字者が自分用に自給自足。手慰みで作った駒もあれば、やがて、能筆な
人が請われて書いた駒もある。その代表が室町時代の高名な公家・三条西実隆で、自身の日記には、度々
仲間から頼まれて駒を書いたという記述もあり、それは現存していないが高級品の類いである。
400年前の水無瀬神宮で作られた「水無瀬駒」は、その実隆の流れを汲む孫の水無瀬兼成が書いた駒は
いわば同家の家業とも言える超高級品で、時の天皇をはじめ公卿達、高名な武将達がこぞって求めた記録 が残っている。
2,対して「彫り駒」や「盛上げ駒」が作られるようになったのは、いつ頃からであろうか。
結論をいえば、ごく例外を除いて「彫り駒」が作られたのは、江戸時代の後半からである。
江戸時代では、幕府の一機関として寺社奉行配下の「将棋所」が作られ、その頂点が「名人」である。
そのような世の中、将棋は庶民に広く愛好され留ようになり、駒の需要が格段に広がる。
やがてそれまでの能筆家の公卿の駒づくりに変わって、駒を専門に作る職人が派生するわけである。
3,駒職人(今で云う駒師)が派生した当初は、それまでのように「書き駒」が多く作られていた。
職人それぞれは、それぞれの技量である筆跡で文字を書き、それが「安清」「俊光」であったり、幕末の
天童駒であったりでした。
4,需要の増加と共に、やがて「書き駒」とは別の製法を思索する人もいた。
それが「彫り駒」である。
「彫り駒」は、「書き駒」とは違い文字が達者でなくとも作れる。彫り駒は、彫り駒の良さもある。
こうして生まれたのが「彫り駒」である。
時代は、幕末から明治始めの頃である。
5,一方、「盛上げ駒」はどうであるか。
この続きは、また。
7月10日(火)、晴れ。
今日は、肉筆書き駒と、盛上げ駒について触れてみたい。
少々、長文になりそうなので、ボツボツと何回かに分けて書き足して行くことにします。
1,江戸時代以前、駒の文字は極僅かな例外を除いて、ほとんど総てが肉筆で書かれた「書き駒」であった。
因みに、平安時代の最古とされる法隆寺境内から発掘された20枚ほどの駒は、当時の僧侶が自分用に、
手慰みに作った墨書の駒である。
素材は高級なツゲではなく、杉など手近にある端材を利用して、その形は素朴で不揃いな5角形に墨で
玉将とか歩兵とかの文字を書いて駒にした、どちらかというと粗末なモノであり、庶民的な駒だと言え
よう。
2,では、当時の駒は、そのようなモノばかりだったのであったのであろうか、少し考えてみる。
源氏物語で知られるような上流社会の公家達の嗜好は、どうであったかである。
前に述べた、この時代の遺跡から発掘されているような粗雑で粗末な駒では、当時の貴族は満足するはず
もない。「もっとしっかり作られた高級な駒も、当時からあったはず」だという考えである。
しかし、実際には、古い遺跡から発掘された駒には、そのような駒が発見されていない。
これは、どのような理由なのかである。
3,その理由を、あるときフトしたことで気がついた。
30年ほど前に「豊島龍山の遺族から譲り受けた遺品」の何百枚あるいは1千枚を超える古いツゲ駒の
中に、黒くボロボロになったモノが結構沢山あって、中にはお菓子の「ウエハウス」のようにスカスカ
状態で、かろうじて駒のカタチを保っているものが、百枚ほど。
どうやらそれは製品にならなかったハネ品であり、龍山は、それらを倉庫の棚に置きっ放しにしていて、
それが長年、雨漏りにさらされた結果、ツゲの駒がスカスカに朽ちた。
駒を使いっぱなしにしたり、箱に入れたまま放置すると「黄色や紫のカビが生えやすい」のも同根で、
「ツゲは雨ざらしに弱く、数年か数十年で朽ちる」。
ツゲには、そのような性質があるのです。
この続きは、また。
今日は、肉筆書き駒と、盛上げ駒について触れてみたい。
少々、長文になりそうなので、ボツボツと何回かに分けて書き足して行くことにします。
1,江戸時代以前、駒の文字は極僅かな例外を除いて、ほとんど総てが肉筆で書かれた「書き駒」であった。
因みに、平安時代の最古とされる法隆寺境内から発掘された20枚ほどの駒は、当時の僧侶が自分用に、
手慰みに作った墨書の駒である。
素材は高級なツゲではなく、杉など手近にある端材を利用して、その形は素朴で不揃いな5角形に墨で
玉将とか歩兵とかの文字を書いて駒にした、どちらかというと粗末なモノであり、庶民的な駒だと言え
よう。
2,では、当時の駒は、そのようなモノばかりだったのであったのであろうか、少し考えてみる。
源氏物語で知られるような上流社会の公家達の嗜好は、どうであったかである。
前に述べた、この時代の遺跡から発掘されているような粗雑で粗末な駒では、当時の貴族は満足するはず
もない。「もっとしっかり作られた高級な駒も、当時からあったはず」だという考えである。
しかし、実際には、古い遺跡から発掘された駒には、そのような駒が発見されていない。
これは、どのような理由なのかである。
3,その理由を、あるときフトしたことで気がついた。
30年ほど前に「豊島龍山の遺族から譲り受けた遺品」の何百枚あるいは1千枚を超える古いツゲ駒の
中に、黒くボロボロになったモノが結構沢山あって、中にはお菓子の「ウエハウス」のようにスカスカ
状態で、かろうじて駒のカタチを保っているものが、百枚ほど。
どうやらそれは製品にならなかったハネ品であり、龍山は、それらを倉庫の棚に置きっ放しにしていて、
それが長年、雨漏りにさらされた結果、ツゲの駒がスカスカに朽ちた。
駒を使いっぱなしにしたり、箱に入れたまま放置すると「黄色や紫のカビが生えやすい」のも同根で、
「ツゲは雨ざらしに弱く、数年か数十年で朽ちる」。
ツゲには、そのような性質があるのです。
この続きは、また。
7月7日、結局、一日中雨でした。
大雨で、平穏な生活と家を奪われた人々のニュース。
死者のみならず、行方不明の人も多い今回の大雨被害。
なんとも、お気の毒と言う言葉だけしか出てこないです。
ーーーー
「小さい小さい小さい雛駒」が出来上がりました。
その映像。
一組分を、左の掌に載せて撮影しました。
大雨で、平穏な生活と家を奪われた人々のニュース。
死者のみならず、行方不明の人も多い今回の大雨被害。
なんとも、お気の毒と言う言葉だけしか出てこないです。
ーーーー
「小さい小さい小さい雛駒」が出来上がりました。
その映像。
一組分を、左の掌に載せて撮影しました。
7月6日(金)、雨。
昨日は、昼過ぎから夜に掛けて、大雨警報。
町にはサイレンが鳴りっぱなしでした。
梅雨の終わりに良くあるパターンですが、今は、小康状態。
ーーーー
仕事は、相変わらずのあれやこれや。
その一つは、白檀の駒。
材料は、3組分。
その内の2組は「錦旗」で進行中。
現在は、盛上げ前の段階まで進みました。
磨きは、この段階で念入りに繰り返し。
指先に、白檀の香りがほのかに漂う作業です。
材料の品質も上々で、良いモノが出来そうです。
白檀の駒は、400年前の水無瀬神宮でも作られていました。
現物は残っていませんが、記録によれば13年間の735組中、29組が作られていたことが分かります。
ユーザーは、天皇はじめ公家や関ヶ原の戦いの前後の歴史を担った武将など。
中でも家康は、あるとき白檀の駒を纏めて4組を発注したビッグユーザー。
残る一組は、未着手のまま。
錦旗が出来上がってから、彫る文字を決めようと思っています。
ーーーー
夕方は、車検が終った愛車を受け取りに。
少々、雨が気になります。
それまでは「小さな小さな小さな雛駒」。
裏の文字を書くことにします。
昨日は、昼過ぎから夜に掛けて、大雨警報。
町にはサイレンが鳴りっぱなしでした。
梅雨の終わりに良くあるパターンですが、今は、小康状態。
ーーーー
仕事は、相変わらずのあれやこれや。
その一つは、白檀の駒。
材料は、3組分。
その内の2組は「錦旗」で進行中。
現在は、盛上げ前の段階まで進みました。
磨きは、この段階で念入りに繰り返し。
指先に、白檀の香りがほのかに漂う作業です。
材料の品質も上々で、良いモノが出来そうです。
白檀の駒は、400年前の水無瀬神宮でも作られていました。
現物は残っていませんが、記録によれば13年間の735組中、29組が作られていたことが分かります。
ユーザーは、天皇はじめ公家や関ヶ原の戦いの前後の歴史を担った武将など。
中でも家康は、あるとき白檀の駒を纏めて4組を発注したビッグユーザー。
残る一組は、未着手のまま。
錦旗が出来上がってから、彫る文字を決めようと思っています。
ーーーー
夕方は、車検が終った愛車を受け取りに。
少々、雨が気になります。
それまでは「小さな小さな小さな雛駒」。
裏の文字を書くことにします。
7月4日(水)、曇がちの一日でした。
仕事は、頼まれ納期仕事の根付けづくりと、小さな小さな小さな雛駒の文字書き。
先日、小さな小さな雛駒「錦旗」を盛り上げの手法で作りましたが、それよりも一廻り小さな駒。
その試作品を漆で直筆で書きました。
今日は「王将・玉将、飛車角、歩兵」。
試作品なので、少々余分に書きました。
残りの駒は、明日以降のチャレンジです。
根付けの納期は、今週中ですが、明日、出来上がると思います。
仕事は、頼まれ納期仕事の根付けづくりと、小さな小さな小さな雛駒の文字書き。
先日、小さな小さな雛駒「錦旗」を盛り上げの手法で作りましたが、それよりも一廻り小さな駒。
その試作品を漆で直筆で書きました。
今日は「王将・玉将、飛車角、歩兵」。
試作品なので、少々余分に書きました。
残りの駒は、明日以降のチャレンジです。
根付けの納期は、今週中ですが、明日、出来上がると思います。
駒の写真集
リンク先はこちら」
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