熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。
送料込み5000円。
残部僅少ながら、注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

君子蘭

2010-04-30 19:04:35 | 文章
4月30日(金)、晴れ。

「たけのこ」のこの季節、近所の沿道では農家が朝取りのものをお店に並べています。
一昨日は、その一軒で買い求めた「一山」をこちらで湯掻いて、富山に送り届けました。

写真は昨日、咲き始めた「君子蘭」。
この日、長岡京に住む親戚から「たけのこを送ったから・・」との連絡。今日それが届きます。
そして夕刻。奈良白鳳支部長のOさんが「熊澤さんは好きだそうだから・・」と月ヶ瀬の友人の山で掘った帰りに「一山」を持ってきてくれました。
さらに、ほぼ同時刻に「実家で掘ってきた・・」と、近所からまたまた「一山」。

大変ありがたいのですが、重なるときは重なるものですが、早速湯掻くことに。
今日届く分を含めると、「一山」「二山」「三山」とどっさりです。

余分は冷凍してゆっくり頂く手もあるが、折角の食感が悪くなるし・・。
ご近所にお裾分けするのも一案。
だが、ご近所からは良くいただくものですから、その逆は・・と言うことで、何か妙案をひねり出さなくては・・。

ーーーー

と言うことで、朝から「たけのこ」は皮をむいて、45センチの大鍋二つで1時間20分掛けて湯がき、1軒置いたお隣の居酒屋と、郡山の家内の友人2軒に電話を入れて引き取ってもらうことになりました。
郡山には丁度「コーヒー豆」を買いに行くついでもあります。
折角いただいた「たけのこ」は、こうして有効に活用。

本日の仕事は、名人戦用に考えている「脇息」の下地漆塗り少々と、湯がきながら「ある方に出す手紙のワープロ」作業でした。

ソレニシテモ、4月はあと数時間を残すのみ。「光陰矢の如し」。
今年も1/3が過ぎ去り行きます。
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鳴子ゆり

2010-04-29 19:37:07 | 文章
咲きはじめた「鳴子ゆり」、別名「アマドコロ」。
可憐な鈴のような花が咲き始めています。
この花も郡山から持ってきたものです。

背景は、10年位前に購入した石の将棋盤。厚み5寸余り。
重さは測ったことはありませんが、40キロぐらいあるでしょうか。持ち上げるのが大変です。
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一眠り

2010-04-29 02:43:46 | 文章
4月29日(水)、晴れ。

例によって、先ほど一眠りして、眼が覚めました。
眠る前に見ようと思っていた日曜日のNHK将棋のビデオを再生しながら、パソコンに向かっています。ブログが終わればまた一眠りします。
ーーーー

月曜日の王将就位式では、米長会長との雑談で「なぞなぞ」の問いかけがありました。
近々予定されている「出雲大社でのタイトル戦の立会人。おそらく10人の名前を挙げても当たらないだろうな・・。因みに副立会いは井上八段、記録は稲葉四段」。

雑談は小生のほか、某新聞社のベテラン記者を含めた4名です。
皆は、「???・・、???」
ややあって、思わず小生は会長に「分かった!それはすばらしい・・」と。
誰だか分かりますか。

ーーーー
ビデオ画面は、杉本陣、野月陣。ともにアナグマに入り込みました。
寝不足にならないように、今日はこれまで。
では、また。
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裏道

2010-04-28 02:09:32 | 文章
4月28日(水)、晴れ。

先ほど一眠りして、只今これを書いています。
昨日は、春日大社から日航ホテルへ移動する間、関係者と一緒に春日大社への「裏道」の確認と、始まった1300年祭の中心地点「大極殿」辺りを案内しました。

春日さんへの裏道は、予想される交通渋滞を避けるための現地調査。
対局当日は月・火曜日だし、朝も葉良いのでまだ良いですが、問題は検分前日の日曜日。
行楽シーズンはこの辺り、奈良公園を東西に走る「二条大路」の大通りは、行きも帰りもビタッと止まって車が動かない状態になります。

これを避けるため、当日は、JR奈良駅の南側の四条辺りを東に「高畑」を通り春日さんに行く。ただし、春日大社への入り口は、普段は閉鎖されているので、事前に開けておいてもらおうということ。
「高畑」は、志賀直哉の旧宅が残る閑静な高級住宅街。近くには新薬師寺もあり、休日は観光客や車も比較的多いので、完全にはスイスイとは行かないかも知れないが、これが時間的に一番早いという考えです。

羽生さんは、以前、東大寺の名人戦では、ほぼ同じ距離を歩いて対局場に2日間通いました。30分ぐらいでしょうか。
三浦さんも、ウオーキングを日課にしているそうですから、ひょっとすると、二人とも渋滞を横目に、テクテクスイスイと歩かれるのかもしれません。

まあ、このように周りの者は色々と考えて段取りをするのですが、肝心の6局目がどうなるか。これが、一番の気がかり。
そのこともあって、ますます野田の対決に注目です。


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春日大社

2010-04-27 18:27:29 | 文章
4月27日(火)、曇り。

午前中は曇り、午後からはポツポツと雨が振り出し、夕方は横殴りの雨でした。
春日大社は、関係者による名人戦の下見のサポート。
4月に人事異動もあって、今回は3回目。

対局室は「貴賓殿」。
そのいくつかある部屋の中でどれを当てるかですが、丁度、真ん中の部屋に決まりそう。
障子を開くと美しく手入れされたお庭が眼を癒します。
取材室は、当初の予定を変更して、3百何十年前に5代将軍の生母・桂昌院が建てた破風屋根桧皮葺の「桂昌院殿」を充てることになりそうです。
大盤解説は、「共生の館」。机を残せば200名、机を外せば350名が入る近代的なホールです。

問題は、6局目であることで、関係者はヤキモキ。神のみぞ知る。
ということで、「玉串奉納、正式参拝」が予定されている本殿で、一同合掌。

では、また。




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就位式

2010-04-26 05:28:23 | 文章
4月26日(月)、晴れ。

昨日の京都での日本現代美術工芸展。
どんな作品か期待をして行ったのですが、いずれも大振りで視覚に訴える金工・陶芸・織物・漆絵など感覚的な表現作品が多く、「作る本人は楽しいだろうな」というものではありますが、見ている方としては、「そうですか」という印象でした。
よくよく考えれば、展のタイトルが「現代美術」とあるだけに、ちょっと小生の期待とは違ったものでした。

それに引きかえ、近くの「みやこメッセ」でやっていた物産展のような寄り合い所帯の「木工展」の方が面白かった。小さくてかわいい木象嵌作品をブースで出展している20歳ぐらいの若い女性に、思わず「かわいいですね」と声を掛けてしまいました。

ーーーー
今日は大阪で「王将」就位式があります。
確か、関西では久しぶりの就位式なので、関西のファンにとってはうれしい限り。
小生も参加させていただきます。

ーーーー
その就位式から先ほど帰りました。
大阪での就位式は15年ぶりとか。小生は早めに着いたので、一旦、関西将棋会館に立ち寄ってからホテル阪神に。
会場前のロビーでは、久しぶりのお会いした旧知の方々も多く、しばらく挨拶と雑談の後、込み合いだした中を受付に。
招待状と招待者リストを付き合わせるため「所属は?」と聞かれたので、「所属はありません」と言いながら、一緒になって名簿を探しましたところ、所属欄と役職欄がブランクの行がひとつだけ目に付き、「あ、これです」。
と言うことで、ほっとしながら、ほかの皆には所属先があって、自分も昔は所属先があって、そのときは便利と言うか、分かりやすかったなアー。

会場は関係者と将棋ファンで超満員。小生はその中でも少し空いているところを見つけてそちらに回りました。

久保新王将の挨拶で「負けたあとも、清清しかったのが第2局」。精神的に成長したんだと思ったそうです。それが王将位奪還に繋がったのでしょうね。

ーーーー
明日は10時に春日大社。
名人戦が来てくれることを前提に、打ち合わせサポートです。

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おろかな・・

2010-04-25 22:30:30 | 文章
4月25日(日)、快晴。

朝から快晴。雲は見当たりません。
山桜でしょうか、近くの里山のあちこちには、散り終わりに近づいたピンクの桜花の色が薄っすらと残り、春の山々の彩りを豊かにしています。

それに比べ、日本国は暗雲、雲だらけ。国民の多くから期待されて昨年船出した新しい「日本丸」。
船出してみると、まるで「船頭多くして船山を登る」。船印のペンキも剥げかけています。
新造船だからと、半年ぐらいは少し見守ろうと思っていたのですが、先行きの見通しはどうやらこれではと、落胆しているこの頃です。

それに先日の党首論争。
国会中継を聞いていて、「おろかな・・」発言には、あんぐり。
たとえ自身もそう思っていても、一国の宰相として発すべき言葉ではないということを自覚していないことに、あんぐりと言うわけです。
言葉の重さ。どうもこれが分かっておられない。

これまでの迷走ぶりは、宰相としての自覚の欠如の結果でありましょう。
つまり、宰相の発する言葉の重さが分からないまま、後先考えないでそのとき思っていることを正直に話してしまう。一個人なら「正直者でいい人」ではありましょうが、「正直でいい人」だけでは一国の宰相は務まらない。

独立行政法人などに対する「仕分け作業」が始まりました。
これはこれで期待しているわけですが、仕分けされる方は、名前を変えたり、よく似た公共法人に紛れ込んだりと、したたか。永い眼でのチェックが必要でしょう。

ソレニシテモ、国会議員の定数削減の旗印は、どうなっているんでしょうか。
大阪府の橋本さんの、当初のイメージとは違って、信頼感と人気が高いのは、自らの報酬を減らし、議員の報酬を減らしてから、自分の思うところを推し進めようとしているからです。

先ず「隗よりはじめよ」。
国会定数についても、最近のマスコミも、トンと取り上げなくなりました。
国会議員は口を噤んでしまっている今、マスコミにもしっかりして欲しいものです。

久しぶりに、こんなことを書いてしまいました。

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土曜日

2010-04-24 06:09:11 | 文章
4月24日(土)、晴れ。

明るい空。しかし昨夜は冷え込んで、外は寒そう。
昨日は、将棋連盟(関西)の書道班の皆さんと「根付駒」作り。
今回が2回目。書道班の先生もご一緒に、昨日の参加者は9名でした。

ブランクの根付は、各人それぞれ3個ずつ。漆は赤と黒。
最初に注意事項です。
「漆に触れると被れるものだと思って極力手に付けないように。若し付いた時は、チィッシュデよく拭いてください。拭き取ったと思っても漆は完全になくなってはありません。被れるか被れないかは人それぞれ・・」。
  「被れるとどうなるんですか」。
「人によって、時によって違いますが、赤くなって、痒くなります。痒くなったら、風呂に塩を一掴み、患部に刷り込んでください。塩もみですね。かゆみがかるくなります。文字はそれぞれ思い思いに書いて、ください。最初に私が書いてお見せします。駒はこの台に置いてまっすぐに正対して書きます。皆さんは書道をなさっておられるので、クルクル回す変な癖はしないように。回しながら書くと塗り絵になって書いた文字ではなくなります」。
  「一筆で書くんですね」。
「そうですね。ただし、一筆と言っても、途中で筆先の漆がなくなってきますから、そのときは漆継ぎはします。薄いところにはもう一度漆を加えることもあります」。
  「ちょっと、ゆっくり書くんですね」。
「そうですね。墨より少しゆっくり。そうすると、カスレも防げます」等々。

書いた根付は、牛乳パックで作った「室」に、持ってゆくのを忘れた両面テープ代わりのセロテープをワッカにしてそっと止めて、それぞれが持ち帰ってもらいます。

「触らないように、食器棚かどこかに置いて、濡れ雑巾をかぶせておきます。1日経ったら固まるはずですが、念のため、あと1日、濡れ雑巾を繰り返すのが確実」と、言いながら進行しました。



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水無瀬

2010-04-23 18:04:50 | 文章
4月23日(金)、曇り。

昨日、ある老舗店から次のような質問がありました。
「お客様から質問があって、世の中には水無瀬の銘が付けられた駒が何種類もあって、それぞれの文字書体が違ってややこしい。
熊澤さんの作った水無瀬兼成の文字が一番オリジナルに近いようで、お薦めしようと思っている。この際、知識を整理しておきたいので、それぞれの由来とかどうなっているのかを教えて欲しい」、とのことでした。

「確かにややこしいですね。私に言わせれば、似ても似つかぬ文字が多く作られ売られている。それに対しては、次のような見解」であることを伝えました。

1、現在、多く作られている「水無瀬書」は、出所不明の書体文字で、これは明治時代の後
  半に現れた書体文字で、小生の推論では豊島太郎吉の創作か翻案の可能性が高い。

2、理由としては、江戸時代以前にはこの書体文字は確認されていないことと、小生の持っ
  ている太郎吉作と思われる古駒の玉将裏には「水無瀬大納言兼俊卿筆跡」とあり、しか
  も、小生が豊島家から譲り受けた太郎吉・数次郎の遺品にも、この書体・銘文の紙が複
  数枚残っている。水無瀬大納言は間違い。兼成の孫、兼俊は参議)
  現在「水無瀬書」として普通に市販されている駒の文字は、この駒に倣って作られたも
  のであること。

3、明治時代以前、幕末の頃までは「兼成卿写」とか「水無瀬形」と言った銘の駒がありま
  した。文字や雰囲気は、水無瀬神宮にある水無瀬兼成の駒によく似ているが、なぜかこ
  の流れの駒は現在は作られなくなっている。

4、一方、近年は「水無瀬兼成書」と言う銘で駒が出回っているが、これはもともとは大阪
  の駒師・赤松元一が作っていた文字書体で、赤松さんが作った「水無瀬兼成書」の駒を
  誰かさんが別の駒師に持ち込んで、「これと同じ文字で作ってくれ」と言った経過で、
  以後、作られ市販されるようになった。
  しかしながら、文字はその赤松さんのオリジナルともかなり変わってしまっている。

5、小生の「古水無瀬」は、水無瀬神宮のオリジナル駒と、木村名人所蔵(旧大橋家伝来、
  将棋博物館蔵)で「伝・後水尾天皇真筆駒」(実際は水無瀬兼成の筆跡と鑑定する)と
  を下敷きにして、現代の小生の感性で翻案した文字書体であること。

6、一方、今回お尋ねがあった小生の「水無瀬兼成卿写」は、2年ほど前に初めて400年
  前の水無瀬神宮蔵のオリジナルをそのまま再現しようと、宮司さんの許可をもらい、作
  ったもの。駒形は35年ほど前に初めて拝見したとき、半紙を駒に押し当てて形を写し
  て、資料として残しておりました。
  このときから作りたい思いはありましたが、国宝のようなものなので「犯すべからず」
  との思いで作ることを控えておりました。それを思い切って申し出て、許可をいただい
  た訳です。

7、そのほか、「古流水無瀬」などの名で別の方が作ったり、駒の世界はとにかくコピー品
  のコピー品、そしてまた、そのコピー品が作られるという百花繚乱状態ということ。

8、もうひとつ、兼成以降の水無瀬家での駒づくりですが、子供の親具筆の駒は力強い筆   跡で現在の「水無瀬書」とは違うもの。
  孫の兼俊の駒は、水無瀬神宮とそのほかにも複数組が残っています。しかし、これらは
  兼俊自身の筆跡で作られた駒というより、祖父・兼成の筆跡を真似て作られたもので、
  筆使いがぎこちなく、兼成筆ほどの良さはありませんし、兼俊本来の筆跡の駒は、今の
  ところ見つかっていない。

 以上です。
 なお、前回の写真は、6項の関連で掲載しました。

ーーーー
先ほど大阪から戻ってきました。
今朝は10時半に出立、谷町・難波・四ツ橋・を経由して福島区へ。
将棋会館では2時間ほどの用事を17時に終了。
帰りは直帰。車なら、関西将棋会館から1時間はかからずでした。
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2010-04-22 22:02:33 | 文章
4月22日(木)、雨。

朝からしとしとの雨。近くの山も雨にけむっています。
今日も一日中仕事。

名人戦は、2-0になりました。
春日大社までの道のりは、どうか・・。まだまだ期待して待っています。

ーーーー
今日は殆ど雑用で一日が過ぎました。
手紙が3通。明日の持ち物の準備。130個ほどの根付のパッケージングと発送。木地の整形の続きなどです。

明日は、大阪5箇所を回ります。
谷町が研磨紙屋さんなど2箇所。難波近くのTさんの事務所とⅠさんのお店。その後が将棋会館。ここでは、書道班の皆さんに「根付の漆書き」をしてもらいます。
持ってゆくものは、10人分の筆・黒漆と朱漆・即席の書き台・材料の根付加工済みの木地・筆を洗う油壷・牛乳パックを利用した即席の風呂が10人分などです。

ーーーー
写真左は「水無瀬兼成写し」。小生の肉筆による臨書です。
左はツゲ、右は象牙。
もちろん一筆書きなので、雰囲気は同じでも細かなところは多少の違いがあります。
これは本歌も同様です。
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駒の写真集

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