10月30日(月)、雨のち曇り。
寒くなりました。
その上、強風。
木枯らしでした。
今年の南天。
実がしっかりと色づいてきました。
背後は、お隣のお店。
月曜日はお休みです。
ーーーー
王将の根付け、いろいろ。
いつの間にか、こんなに溜まっています。
寒くなりました。
その上、強風。
木枯らしでした。
今年の南天。
実がしっかりと色づいてきました。
背後は、お隣のお店。
月曜日はお休みです。
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王将の根付け、いろいろ。
いつの間にか、こんなに溜まっています。
10月28日(土)、雨。
今日も一日雨でした。
で、漆仕事は後回しにして、彫り仕事。
机の上には、彫りくずがいっぱい。
それを時々払いながらの文字彫り。
3本目の横いち(一)には、まだ彫りくずがそのまま残っています。
ーーーー
昨日は、晴れ晴れ。
絶好の漆仕事の陽気でしたが、ほぼ一日中大阪へ。
小学校の同窓会でした。
集まったのは20人。
当時は、50人x4クラスの200人。
その1割が集まったことになります。
幹事の西原君が持ってきた古い写真を皆にコピーして配りました。
その一枚が、昭和30年の恩師集合写真。
指折り数えると65年になります。
コチラは、6年生のクラス写真。
今日も一日雨でした。
で、漆仕事は後回しにして、彫り仕事。
机の上には、彫りくずがいっぱい。
それを時々払いながらの文字彫り。
3本目の横いち(一)には、まだ彫りくずがそのまま残っています。
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昨日は、晴れ晴れ。
絶好の漆仕事の陽気でしたが、ほぼ一日中大阪へ。
小学校の同窓会でした。
集まったのは20人。
当時は、50人x4クラスの200人。
その1割が集まったことになります。
幹事の西原君が持ってきた古い写真を皆にコピーして配りました。
その一枚が、昭和30年の恩師集合写真。
指折り数えると65年になります。
コチラは、6年生のクラス写真。
10月23日(月)、曇り。
近年は、台風一過とは行かないようです。
それでも午後は、少し青空が覗くようになっていました。
昨日は「ディスカバージャパン」。
取材は、10時から12時までの2時間。
2時間でどの程度お話が出来るかです。
もう少しあればとは思いましたが、そうも行きません。
で、インタビュアーの取材を受けながら、カメラマンに効率よく仕事が出来るよう、あらかじめ手持ち作品を10組程度を、長椅子に並べておきました。
その映像です。
交換した名刺を見て驚きました。
あの枻出版社なのでした。
「枻出版さんとは、昔、ちょっとした繋がりがありました。この本(雑誌)です」。
と、本棚にあった「人間賛歌・枻」を取り出しました。
そうです、表紙には「水無瀬駒特集」の見出しと「82才とある大写しの水無瀬駒」。
「へーっと」、若い担当者は絶句。
「今から40年に近いものだし、お若いのでご存じないのは当然だと思います。枻出版さんはその昔、
いろいろな日本文化を取り上げていました。あるとき将棋を取り上げた号を出したところ、馬鹿売れ。
将棋ファンは、勝った負けただけでない、将棋文化の雑誌の登場に喝采しました。私もその一人です。
私は直ぐに、水無瀬神宮の水無瀬駒のことを編集長に伝えて、特集を組んではどうかと提案しました。
これがその号です。以来、人間賛歌・枻は、将棋賛歌に替って将棋専門誌になった経緯があります」。
取材は、予定通り12時に終了。
足らないところは、種々資料をお渡しして、参考にしていただくことにしました。
この本の発行日ですが、聞いたのは聞いたのですが、右から左で、良く覚えておりません。
恐らくは、年末か年明けくらいだと思います。
内容は、6ページ。
それだけは、覚えています。
近年は、台風一過とは行かないようです。
それでも午後は、少し青空が覗くようになっていました。
昨日は「ディスカバージャパン」。
取材は、10時から12時までの2時間。
2時間でどの程度お話が出来るかです。
もう少しあればとは思いましたが、そうも行きません。
で、インタビュアーの取材を受けながら、カメラマンに効率よく仕事が出来るよう、あらかじめ手持ち作品を10組程度を、長椅子に並べておきました。
その映像です。
交換した名刺を見て驚きました。
あの枻出版社なのでした。
「枻出版さんとは、昔、ちょっとした繋がりがありました。この本(雑誌)です」。
と、本棚にあった「人間賛歌・枻」を取り出しました。
そうです、表紙には「水無瀬駒特集」の見出しと「82才とある大写しの水無瀬駒」。
「へーっと」、若い担当者は絶句。
「今から40年に近いものだし、お若いのでご存じないのは当然だと思います。枻出版さんはその昔、
いろいろな日本文化を取り上げていました。あるとき将棋を取り上げた号を出したところ、馬鹿売れ。
将棋ファンは、勝った負けただけでない、将棋文化の雑誌の登場に喝采しました。私もその一人です。
私は直ぐに、水無瀬神宮の水無瀬駒のことを編集長に伝えて、特集を組んではどうかと提案しました。
これがその号です。以来、人間賛歌・枻は、将棋賛歌に替って将棋専門誌になった経緯があります」。
取材は、予定通り12時に終了。
足らないところは、種々資料をお渡しして、参考にしていただくことにしました。
この本の発行日ですが、聞いたのは聞いたのですが、右から左で、良く覚えておりません。
恐らくは、年末か年明けくらいだと思います。
内容は、6ページ。
それだけは、覚えています。
10月21日(土)、雨。
台風が気がかりです。
明日の夜から明後日未明が最接近予想とか。
明日は、某雑誌の取材が予定されています。
ソレニシテモ、取材関係者が4人。
案内していただく岡本さんとで、5人のご訪問。
ーーーー
先日の日本工芸展では、40年ほど前のことを、思い出しました。
日本工芸展の事務局が置かれている、東京国立博物館を訪問しました。
お会いしたのは、工芸室長。
確か荒川さんだったかと。
「将棋ノ駒」は、日本工芸会では、どの分野に該当するのか」と言うことでした。
そして、将棋ノ駒に対する工芸的認知度を確かめることでした。
木工芸、漆芸、それとも諸工芸のどちらに属す分野だと見すのか。
と言うこと。
荒川さんとは少し意見を交換しました。
今もそうですが、当時も世間での将棋駒に対する見方、評価は低かったように思います。
やっぱりそうでした。
将棋の駒への認識度、認知度はそう高いものでは無い。
それを改めて確認したのでした。
ーーーー
さて、今日の映像は、3部作の「歩兵」。
上から「古水無瀬」「水無瀬兼成卿写」「無双」。
この違い、分かりますか、どうか。
台風が気がかりです。
明日の夜から明後日未明が最接近予想とか。
明日は、某雑誌の取材が予定されています。
ソレニシテモ、取材関係者が4人。
案内していただく岡本さんとで、5人のご訪問。
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先日の日本工芸展では、40年ほど前のことを、思い出しました。
日本工芸展の事務局が置かれている、東京国立博物館を訪問しました。
お会いしたのは、工芸室長。
確か荒川さんだったかと。
「将棋ノ駒」は、日本工芸会では、どの分野に該当するのか」と言うことでした。
そして、将棋ノ駒に対する工芸的認知度を確かめることでした。
木工芸、漆芸、それとも諸工芸のどちらに属す分野だと見すのか。
と言うこと。
荒川さんとは少し意見を交換しました。
今もそうですが、当時も世間での将棋駒に対する見方、評価は低かったように思います。
やっぱりそうでした。
将棋の駒への認識度、認知度はそう高いものでは無い。
それを改めて確認したのでした。
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さて、今日の映像は、3部作の「歩兵」。
上から「古水無瀬」「水無瀬兼成卿写」「無双」。
この違い、分かりますか、どうか。
駒の写真集
リンク先はこちら」
http://blog.goo.ne.jp/photo/11726