11月29日(木)、晴れ。
16時を過ぎると、少し肌寒く。でも概ね暖かでした。今日も仕事はあれやこれや。押入れの中を整理していると、段ボール箱に収納し、数年前に再生した足つき「中将棋盤」を見つけたので、映像にしました。
古い日本産榧の碁盤を中将棋盤に再生し、盤覆いには、中将棋の資料をつけています。
盤は、30センチx27センチ。日本産柾目の榧、一枚板。駒は「水無瀬兼成卿写」盛り上げ。駒袋はフクロウの友禅染め、駒台、駒箱一式が桐製の色紙箱にセットされています。雛駒ですが、指し心地は、レギュラーサイズの感覚です。
11月23日(金)、晴れ。
木枯らし一番が吹いたとか。今日も寒かったです。今日も盛り上げに、木地仕事といろいろ。中々思い通り進まない仕事もあります。映像は、木地仕事。昨日の続き、木目模様の選別作業です。根杢でも、いろいろ模様の違いがあるので、そのより分けの様子。とりあえず4種類に分類することにしました。
これは、父の写真アルバムより。明治22年生まれの父が、わんぱく盛りの15歳ごろから、23歳前後の写真。明治37年から40年台といえば、100年前の風俗でもあります。
この写真を、以前、ブログにアップしていたところ、テレビ局の女性スタッフから電話があって、映像を使いたいとのことでした。「何にに使うのですか「」と尋ねると、「コトノハ図鑑」なのだという。その番組は見たことがないので、「どのように使うのか」と説明を求めたところ「企画書」が届きました。その後のフォローの電話があるのだろうと思って、それから一週間が経過します。あの電話は冷やかしだったのか、と思っているところです。
でも、野球、テニス、剣道の写真が大きすぎたのか、うまく再生できておりません。夜にでも原因を調べてみます。では、また。
11月22日(木)、曇りがち。
ご無沙汰しておりました。ずーッといつもの通り仕事三昧でしたが、久しぶりの更新です。寒くなりましたね。外で木地仕事もやりました。薩摩つげ根っこの整形でした。それにしても、夕方になると凍えるような寒さでした。映像は、その様子。根っこなのでいろいろな模様が入り混じっています。とりあえず、玉将が採れる大きさに、カゴいっぱいで5~6百枚はあります。この段階で、木地の柄合わせをして、飛車角、金銀以下に割り振り、これより小さいのは、歩兵に。
11月18日(日)、晴れのち曇り。
少し、寒さい一日でした。数日前から、彫り埋めの「巻菱湖写」の仕上げに取り掛かっておりました。今日現在はまだ仕上がっておりませんが、あとは銘を入れるのみとなりました。その映像です。
11月15日(水)、天候不明。
昨日は曇りがち、寒い一日でした。それでも寒さに耐えての外仕事でしたが、風邪でもひいてはいけないと、16時には終了。そのあとは保留していた「古水無瀬」の「と金」20枚と「香車と桂馬の裏」8枚の盛り上げ仕事を終えました。 それにしても盛り上げ仕事。肉筆の漆直書きと比べると精神的に開放されて、確実に淡々と進めてゆくことができるのです。完成は週末にも。
おッと、タイトルと中身の文面が食い違っていました。映像は鰭崎英朋書の駒。13年前のもの。材は薩摩つげの根っこです。
11月13日(火)、曇り。
お元気ですか? 少し寒くなりましたね。風邪などひかないよう、お互い留意しましょう。 さて、今日もいろいろあれやこれやとやりましたが、時間が来れば、続きはまた明日。 冒頭の「お元気ですか?」は、もう7年も8年も前のことですが、朝の9時過ぎにもらう米長さんからの電話、冒頭の決まり文句。それをフト思い出しました。丁度、「なんでも鑑定団」騒動が続いていた時。電話は、ほぼ毎日、一月半ぐらい続いたでしょうか。
さて、今日の映像は、東京池之端の薬店主、守田宝丹こと「守田長禄」筆跡写しの駒。作ったのは13年ほど前。巷では「長禄」を「長録」と間違える人が案外多くいて、駒尻にも間違った銘を刻してあるものもあり、要注意です。
小生、「長禄」は何組作ったであろうか。正確には覚えていないが、せいぜい3組から多くて5組程度ではなかろうかと思う。今日は、一組だけ残してあるこの駒を磨きながら、また作ってみようという気持ちになりました。 「ヨシ、もう一組、作ろう」。今は、そんな気分です。
「水無瀬兼成卿写」が出来上がりました。映像は、フラッシュの影響で、ちょっと赤っぽくなりすぎ。実際は昨日の映像との中間ぐらいです。
因みに、フラッシュ無しでも撮影しました。こちらが現物に近いので、比較してください。