1月28日(木)、晴れのち曇り。
明日から寒波再来ということで、今日は、先日、桐箱屋さんから届いた文箱式駒箱に少し手を加えて、下地研磨と砥の粉塗りをしました。
このあとはどうするかですが、少し手を加えるだけで、同じ桐を使った箱も、手に持った感触や見た目は各段によくなります。
そしてもう一つ、昨日、再開した駒づくり。今日は2回目の成型研磨と面取り作業。
こちらも、もう少し手を掛けることになります。
1月27日(水)、曇りだったり晴れたり。
今日も暖かく、久しぶりに「駒」仕事。
ひと月ほど前に彫り上げて、漆を塗りこんでいた「兼成卿水無瀬」2組。
昨年末から棚上げ状態でしたが、今日は陽気につられての駒仕事でした。
彫り駒にするか、彫り埋めにするか決めていなかったのですが、彫り駒に仕上げることにしました。
今日はとりあえずの研磨仕事は、余分な漆を除去する研磨でした。
出来上がりは、数日後になると思います。
映像のアップは、それから。
今日の映像アップは「将棋盤覆い」。
その漆塗りの映像です。
実は、床框の漆塗りと、ほぼ並行して、塗り残した漆を使って「将棋盤覆い」にも漆塗りを続けていました。
その今日現在の姿です。
映像は2枚あって、どちらも同じ「将棋盤覆い」なのですが、撮影をフラッシュと、ノンフラッシュで2枚撮影し、結果を比べてみました。
こちらが、フラッシュ撮影。
これは、ノンフラッシュ撮影。
写った色が全然違いますね。実際の色は、こちらノンフラッシュで撮影した色に近いのでした。
1月25日(月)、曇りがち。
今日の映像も、漆刷毛。
心当たりを捜してみると、3本ありました。
中央が今使っている刷毛。8分とありますので、幅が2.4センチ。
上が以前、蒔絵箱の修復に使っていた小さい刷毛。
手前が、使用前の刷毛。
チョッとピンボケは、ご容赦、ご容赦。
1月24日(日)、雨。
昨日から、シトシトと降り続いています。
本日の映像は、手前が漆塗り用の刷毛。
人毛を2~3ミリ厚に束ねて漆で固めて、周りをヒノキの薄い板で囲ってあります。
幅は用途に合わせて1センチ足らずのものから、数センチのものまでといろいろですが、映像のものは2センチ余りで使いやすい。
20年くらい前に、いずれ何かの時に使おうと、何本か購入していたモノですが、今回はドレドレと使うことにしました。
映像の刷毛に比べて堅く平面を塗るのに適していて、曲面に塗るのはどうかと思いますが、塗り面にそのままテンションが伝わって漆の伸びが良く、薄く塗れる特徴があります。
今日は、いよいよ出来上がりに近づきつつある框を、この刷毛で漆をいつもより薄く延ばした後、これまでの墨書用の刷毛を使ってさらに伸ばし、塗り面の漆を、より均一になるように整えました。
1月23日(土)、雨。
本格的な雨の日でした。
仕事は、相変わらずの木地揃えでした。
こんな感じ。
雨は一日中続いていました。明日はどうかな?
1月21日(木)、晴れ。
すばらしい青空。
気温は低いですが、気持ち良い天気です。
仕事は例によって、框の漆塗りのあとは、木地揃え。
こんな感じ。
王将3枚、飛車角4枚に続いて、金銀9枚をセットしているところです。
これに引き続いて、今日は根杢とかチジミ杢を揃えるつもりです。
1月20日(水)、晴れ。
今日も朝の一番は、框の漆塗り。
あれから、2回、塗り重ねました。その映像です。
その道具は、ヘラと刷毛。
ヘラは、塗り面に漆を塗り拡げるときに使うのですが、刷毛より能率的。
日光東照宮の修復にも使われていましたね。
刷毛は、そのあと。
塗り面にムラができないように、最初はタスキ掛けに刷毛使いして漆をムラなく広げるようにし、そのあとは木目に沿って運びます。
この刷毛は漆用ではなく、本来は墨書用の刷毛なのですが、20年くらい前に住んでいた大和郡山の老舗・博文堂で求めたもの。
これが誠に漆に最適なのです。
1月18日(月)、晴れ。
気温は低かったが、陽光は春の兆し。
今日の映像は、漆塗りの床ノ間框。
漆を塗り重ねて2週間。塗った回数は10回を重ねました。
丁度、半ばあたりでしょうか。
塗っては研磨、塗っては研磨のくりかえし。
下地の木目が少し目立たなくなりましたが、今日も一塗り。
やや赤みがかかった「潤み塗り」。乾くと、これより、やや黒っぽくなります。
このあとは10回ほど繰り返そうと思います。
使った漆は、この内の3種類。朱あり黒あり木地呂漆あり。
1月17日(日)、曇りがち。
今日は、26年前の1.17。
あの日は、私、東京のホテルのベッドで目が覚めました。
夜が明けかけて窓辺に薄明かりが差し始めようとした時でした。
テレビを点けてぼやーっと眠気眼で見ていました。
すると、わずかに「ミシミシ」と音がしました。
太陽が差し始めたときでしたので、ホテルの壁が膨張して「ミシミシと鳴ったのだろう。安普請のホテルなんだ」と、その時、何気なくそう思いました。
何分かして、定時ニュースだったか、臨時ニュースだったかで、NHKは「京都で大地震」という切迫した声でした。
やがてニュースは「琵琶湖周辺の高速道路が地震で閉鎖された」と、追加されました。
そのことで、私は「かなり大きな地震があったのだな・・」と思いました。
しかしそのあと、しばらくがあって「神戸のビルの多くが崩壊。神戸支局が使えなくなった・・」という内容に変わり、これで「近年にない大地震なのだ」と分かり驚き、先ほどのホテルの「ミシミシ」音は、遠く離れた東京にも揺れが到達した結果なのだと思いました。
東京の事務所では、9時からの定例会議でしたが、そっちのけで、被害の有無と程度の情報収集、対策などの連絡に100パーセント費やしました。
大阪の本社では、所管しているコンピューターが四六時中、稼働しています。
幸いコンピュータには影響が無いようでしたが、責任者は「とにかく大阪に帰る」ということで、小生も午後には新幹線で戻ることにしました。
ですが、途中止まり止まりで、帰宅したのは深夜でした。
幸い、奈良の自宅では大きな被害もなく助かりましたが、報道では神戸ではビルが倒れたり傾いたりで壊滅的。多くの死者も出ていて暗然たる気持ち。
以上が、1.17の記憶です。
この年の3月31日は、30年余り勤務した日本板硝子を希望退職した日(退職願いは、前年の12月に提出済み)であり、26年前のことは、今でも記憶に深く刻まれているのです。