3月31日(水)、晴れ。
加茂駅前のさくら。開花し始めたところです。
このブログへの復帰に、蕾も綻び花が咲き始めました。
この1週間は、gooのログイン画面の次は、何を入れても入れなくっても「ページが表示できません・・」となって、すべて蹴られる状況でした。
今は、再発しないかと、おっかなびっくりの心境でログインし書き込んでいます。
ーーーー
今日は、「錦旗」を彫り始めました。
それまでは「董仙」を2組です。
「錦旗」も2組を予定しています。
森信雄七段から、5月3日の「一門の祝賀パーティ」案内状が届きました。
早速、「出席」の返事を出しました。
明日は4月1日のエイプリルフール。
4月1日で思い出すのは、「香順」さんこと木村茂夫さんがなくなった日です。
木村さんは、小生が「駒づくりを楽しむ会」を立ち上げて大阪・名古屋・東京で講習会を開いたとき、東京で親子の2人3脚でで参加され、これをきっかけに駒づくりを始められました。
茂夫さんは、いわば軍師役。実際の駒づくりは、息子の恭二さん。彫りも盛り上げの筋もよく上品な駒を作っておられました。恭二さんのお兄さんが作る駒箱も大したもので、お父さんは息子を駒師にしたかったようでした。
加茂駅前のさくら。開花し始めたところです。
このブログへの復帰に、蕾も綻び花が咲き始めました。
この1週間は、gooのログイン画面の次は、何を入れても入れなくっても「ページが表示できません・・」となって、すべて蹴られる状況でした。
今は、再発しないかと、おっかなびっくりの心境でログインし書き込んでいます。
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今日は、「錦旗」を彫り始めました。
それまでは「董仙」を2組です。
「錦旗」も2組を予定しています。
森信雄七段から、5月3日の「一門の祝賀パーティ」案内状が届きました。
早速、「出席」の返事を出しました。
明日は4月1日のエイプリルフール。
4月1日で思い出すのは、「香順」さんこと木村茂夫さんがなくなった日です。
木村さんは、小生が「駒づくりを楽しむ会」を立ち上げて大阪・名古屋・東京で講習会を開いたとき、東京で親子の2人3脚でで参加され、これをきっかけに駒づくりを始められました。
茂夫さんは、いわば軍師役。実際の駒づくりは、息子の恭二さん。彫りも盛り上げの筋もよく上品な駒を作っておられました。恭二さんのお兄さんが作る駒箱も大したもので、お父さんは息子を駒師にしたかったようでした。
将棋駒工房の看板。1年前の写真を使って、ブログの書き込みテストをしています。
ーーーー
◇23日付 日本経済新聞 文化面 原文
「水無瀬駒・王道の歩み」 熊澤良尊
安土桃山時代の貴族が残した将棋駒づくりの記録がある。「将棊馬(しょうぎうま)日記」。能筆家として知られた水無瀬兼成(1514~1602年)が残した記録だ。「棊」は現在の「棋」。「馬」は「駒」を意味する。
兼成が漆書きした駒の数は日記によると737組。現在でも最も適した素材とされる黄楊(ツゲ)を使い、端正な五角形の駒形にして漆で文字を書いていた。兼成が没してまもなく、生前の記録が「駒日記」としてまとめ直されたようだ。それが大阪府島本町にある水無瀬神宮に残されていた。
◇勅命で作り始める
私が初めて日記を目にしたのは、趣味で駒作りを始めたころの1978年。当時はまだサラリーマンだったが、将棋駒の歴史研究にも興味を広げ、名駒や古駒があると聞けば、全国どこでも赴き、写真に収めてきた。1998年に会社を早期退職し、将棋駒作りをなりわいとする駒師になった。その間、水無瀬駒の調査はずっと続けている。
日記の書き出しは1590年(天正18年)。兼成が数えで77歳の時だ。能筆家として知られた兼成がこの歳でにわかに駒を作り始めたのは考えづらく、以前から駒づくりの素地と環境があったと思われる。兼成は、当代一の博識家で書家・歌人としても知られた三条西実隆の孫で、水無瀬家に養子に入っている。実隆も将棋駒づくりの経験があり、自身の「実隆公記」には、しばしば仲間から頼まれて駒を書いたとの記述がある。
同年の「中将棊」の冒頭には「一面(組)、上」とある。「上」とは天皇を意味し、後に後陽成天皇のことだと分かった。古来、水無瀬家による駒書きには「勅命によって始まった」との伝承があった。それを裏付ける記述である。
総数737組の駒のうち、現在の将棋と同じ「小将棋(駒数40枚)」は620組。当時の貴族に好まれた「中将棋(駒数92枚)」が106組。そのほか駒数130枚の「大将棋駒」や同192枚の「摩訶(まか)大々将棋駒」などの記述もある。
最も多く製作したのが、1599年(慶長4年)。前年に豊臣秀吉が亡くなり、翌年には天下分け目の関ケ原の合戦が起こる。そんな動乱期のまっただ中に、貴族や大名らの間では将棋が盛んに遊ばれていたことが分かる。
◇家康が武将に贈る
関ケ原の合戦があった1600年前後に徳川家康が合計53組もの水無瀬駒を購入していた。周囲の武将や配下の主だった者たちへの付け届けの品として贈ったらしい。家康が好んだということは、駒として水無瀬駒が天下を制したと言えなくもない。ほかの譲り渡し先も豪華だ。天皇、上皇、公家衆、名だたる武将、文化人、僧侶、豪商など。繰り返し手にしたリピーターも多く、後陽成天皇もその一人だった。
駒づくりの子細がうかがえる記述もある。1592年、「七面、千二百八十二枚を二月朔日(ついたち)より書き始めて六日に書き了える」とある。昼が短いこの季節、1日平均で2百枚余りを書き上げた計算になる。
明るい日中の作業時間を6時間と仮定すると、1時間当たり40枚。駒1枚の表裏を1分半で書かなければならない。この速さは驚き。ものすごい集中力と長年培った習練がなせる技としか言いようがない。
2008年には福井県の愛棋家が所有する徳川家葵紋が入った蒔絵の将棋盤とセットになった象牙駒が見つかった。玉将に「八十五才」と書いてある。日記によれば象牙駒は5組しか作られておらず、紛れもなく兼成がしたためた水無瀬駒だと分かった。
しかも「一面、象牙 道休(室町幕府15代将軍・足利義昭のこと)」とある慶長3年の記述ともピッタリと一致する。400年前につくられた駒が出自記録で特定できたのは異例のことで、駒と日記双方のù?信憑性(しんぴょうせい)が格段に高まったといえる。
♤ ♤ ♤
◇気品漂う優雅な筆跡
09年4月、水無瀬神宮の地元・島本町で「水無瀬駒関連の品々」が町指定文化財の第1号になった。水無瀬駒の歴史を研究している者としてうれしい限りだ。昨秋には「八十五才」の銘が入った象牙駒が400年ぶりに里帰りし、水無瀬神宮に残る「八十二才」の水無瀬駒と対面することになり、その場にも立ち会わせてもらった。
水無瀬駒は兼成の手による優雅な筆跡で美術的な価値は高い。筆跡には気品が漂い、今見ても超一流品で、「近代将棋駒」のルーツと呼ぶにふさわしい。駒づくりだけでなく私が歴史について調べているのも、少しでも多くの人に将棋駒の持つ文化性を知ってもらいたいと思っているからだ。(くまざわ・りょうそん=駒師)
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◇23日付 日本経済新聞 文化面 原文
「水無瀬駒・王道の歩み」 熊澤良尊
安土桃山時代の貴族が残した将棋駒づくりの記録がある。「将棊馬(しょうぎうま)日記」。能筆家として知られた水無瀬兼成(1514~1602年)が残した記録だ。「棊」は現在の「棋」。「馬」は「駒」を意味する。
兼成が漆書きした駒の数は日記によると737組。現在でも最も適した素材とされる黄楊(ツゲ)を使い、端正な五角形の駒形にして漆で文字を書いていた。兼成が没してまもなく、生前の記録が「駒日記」としてまとめ直されたようだ。それが大阪府島本町にある水無瀬神宮に残されていた。
◇勅命で作り始める
私が初めて日記を目にしたのは、趣味で駒作りを始めたころの1978年。当時はまだサラリーマンだったが、将棋駒の歴史研究にも興味を広げ、名駒や古駒があると聞けば、全国どこでも赴き、写真に収めてきた。1998年に会社を早期退職し、将棋駒作りをなりわいとする駒師になった。その間、水無瀬駒の調査はずっと続けている。
日記の書き出しは1590年(天正18年)。兼成が数えで77歳の時だ。能筆家として知られた兼成がこの歳でにわかに駒を作り始めたのは考えづらく、以前から駒づくりの素地と環境があったと思われる。兼成は、当代一の博識家で書家・歌人としても知られた三条西実隆の孫で、水無瀬家に養子に入っている。実隆も将棋駒づくりの経験があり、自身の「実隆公記」には、しばしば仲間から頼まれて駒を書いたとの記述がある。
同年の「中将棊」の冒頭には「一面(組)、上」とある。「上」とは天皇を意味し、後に後陽成天皇のことだと分かった。古来、水無瀬家による駒書きには「勅命によって始まった」との伝承があった。それを裏付ける記述である。
総数737組の駒のうち、現在の将棋と同じ「小将棋(駒数40枚)」は620組。当時の貴族に好まれた「中将棋(駒数92枚)」が106組。そのほか駒数130枚の「大将棋駒」や同192枚の「摩訶(まか)大々将棋駒」などの記述もある。
最も多く製作したのが、1599年(慶長4年)。前年に豊臣秀吉が亡くなり、翌年には天下分け目の関ケ原の合戦が起こる。そんな動乱期のまっただ中に、貴族や大名らの間では将棋が盛んに遊ばれていたことが分かる。
◇家康が武将に贈る
関ケ原の合戦があった1600年前後に徳川家康が合計53組もの水無瀬駒を購入していた。周囲の武将や配下の主だった者たちへの付け届けの品として贈ったらしい。家康が好んだということは、駒として水無瀬駒が天下を制したと言えなくもない。ほかの譲り渡し先も豪華だ。天皇、上皇、公家衆、名だたる武将、文化人、僧侶、豪商など。繰り返し手にしたリピーターも多く、後陽成天皇もその一人だった。
駒づくりの子細がうかがえる記述もある。1592年、「七面、千二百八十二枚を二月朔日(ついたち)より書き始めて六日に書き了える」とある。昼が短いこの季節、1日平均で2百枚余りを書き上げた計算になる。
明るい日中の作業時間を6時間と仮定すると、1時間当たり40枚。駒1枚の表裏を1分半で書かなければならない。この速さは驚き。ものすごい集中力と長年培った習練がなせる技としか言いようがない。
2008年には福井県の愛棋家が所有する徳川家葵紋が入った蒔絵の将棋盤とセットになった象牙駒が見つかった。玉将に「八十五才」と書いてある。日記によれば象牙駒は5組しか作られておらず、紛れもなく兼成がしたためた水無瀬駒だと分かった。
しかも「一面、象牙 道休(室町幕府15代将軍・足利義昭のこと)」とある慶長3年の記述ともピッタリと一致する。400年前につくられた駒が出自記録で特定できたのは異例のことで、駒と日記双方のù?信憑性(しんぴょうせい)が格段に高まったといえる。
♤ ♤ ♤
◇気品漂う優雅な筆跡
09年4月、水無瀬神宮の地元・島本町で「水無瀬駒関連の品々」が町指定文化財の第1号になった。水無瀬駒の歴史を研究している者としてうれしい限りだ。昨秋には「八十五才」の銘が入った象牙駒が400年ぶりに里帰りし、水無瀬神宮に残る「八十二才」の水無瀬駒と対面することになり、その場にも立ち会わせてもらった。
水無瀬駒は兼成の手による優雅な筆跡で美術的な価値は高い。筆跡には気品が漂い、今見ても超一流品で、「近代将棋駒」のルーツと呼ぶにふさわしい。駒づくりだけでなく私が歴史について調べているのも、少しでも多くの人に将棋駒の持つ文化性を知ってもらいたいと思っているからだ。(くまざわ・りょうそん=駒師)
3月30日(火)、日本晴れ。
23日以来、久しぶりに「このブログ」に、アクセスできました。
その間、すっかりご無沙汰でした。
毎日、いろいろ悪戦苦闘してもままならず、gooに問い合わせしても、中々回答もなく、一時はこの「GOOブログ」をあきらめかけていました。
そして、万一のときのために、「YHOOブログ」と「SO-netブログ]の2つを新規にテストを兼ねて立ち上げて、どちらが使いやすいかなどをテストしておりました。
ところが、先ほど、使えるようになりました。
理由と原因は不明です。
しかし、使えるようになりました。「わーい、助かった」。ウキウキしています。
とにかく「よかった」です。
23日以来、久しぶりに「このブログ」に、アクセスできました。
その間、すっかりご無沙汰でした。
毎日、いろいろ悪戦苦闘してもままならず、gooに問い合わせしても、中々回答もなく、一時はこの「GOOブログ」をあきらめかけていました。
そして、万一のときのために、「YHOOブログ」と「SO-netブログ]の2つを新規にテストを兼ねて立ち上げて、どちらが使いやすいかなどをテストしておりました。
ところが、先ほど、使えるようになりました。
理由と原因は不明です。
しかし、使えるようになりました。「わーい、助かった」。ウキウキしています。
とにかく「よかった」です。
3月22日(月)、晴れ。
薄いむら雲がありますが穏やかそう。
昨日通った隣町の桜並木の蕾がふっくら。今週末ごろには咲き始めることでしょう。
今日は天気も良いので、墓掃除に行きます。
小生は一年に4回程度ですが、同じ地域に墓地をお持ちの林田さんから「毎月来なくては・・」と言われています。
写真は、塩井さん所蔵の「古水無瀬」。
先日の「棋王戦」に使われたものですが、「駒サロン」に持ってきていただいて撮影しました。
(最初に掲載した写真。ちょっと手ブレがあって木目が不鮮明だったので、もうひとつのものに取り替えました)
ーーーー
土曜日のブログ。「董仙」と書くべきを「董斎」と書いておりました。
塩井さんから指摘いただきました。訂正します。
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薄いむら雲がありますが穏やかそう。
昨日通った隣町の桜並木の蕾がふっくら。今週末ごろには咲き始めることでしょう。
今日は天気も良いので、墓掃除に行きます。
小生は一年に4回程度ですが、同じ地域に墓地をお持ちの林田さんから「毎月来なくては・・」と言われています。
写真は、塩井さん所蔵の「古水無瀬」。
先日の「棋王戦」に使われたものですが、「駒サロン」に持ってきていただいて撮影しました。
(最初に掲載した写真。ちょっと手ブレがあって木目が不鮮明だったので、もうひとつのものに取り替えました)
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土曜日のブログ。「董仙」と書くべきを「董斎」と書いておりました。
塩井さんから指摘いただきました。訂正します。
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3月21日(日)、猛烈な風と黄砂。
今、永田町で夫婦別姓が議論されているようです。
なぜ、日本でこのようなことが議論されるようになったかが疑問です。
政権の中には「夫婦同姓を望む人は、これまで通りなので問題ない」という人もいるようですが、夫婦別姓は家庭崩壊を助長しかねません。反対です。
夫婦別姓を採っている隣国の「家庭」意識とか状況とかは、よく分かりませんが、目先だけの「個人主義尊重」に走りすぎて、日本の家庭の良さや家族のつながりという、ものの本質を深く見ていない人の意見ではないでしょうか。
なぜ、政権政党でこのような議論が起こり支持されようとしているのかが分かりません。
外国人の地方参政権。これも同様です。
帰化すれば地方参政権のみならず、すべての権利が得られます。
政治資金がどうのこうのとは、レベルが違う問題です。
社会基本となる重要な法律は、少なくとも100年200年、あるいは1000年の先を見据えていなければなりません。
今の民主党に、その視点が欠けています。
以上は、以前から思っていたことです。
また将棋から離れ、堅い話になりました。ご容赦のほど。
ーーーー
大陸から吹き荒れてくる黄砂。ひどい黄砂で近くの山も霞んでいましたが、午後は多少ましになりました。しかし、昼頃には雨がパラパラ。車が霜降り模様です。
午前中はテレビ将棋。羽生さんの優勝。糸谷さん惜敗。内容は面白い展開でした。
今、永田町で夫婦別姓が議論されているようです。
なぜ、日本でこのようなことが議論されるようになったかが疑問です。
政権の中には「夫婦同姓を望む人は、これまで通りなので問題ない」という人もいるようですが、夫婦別姓は家庭崩壊を助長しかねません。反対です。
夫婦別姓を採っている隣国の「家庭」意識とか状況とかは、よく分かりませんが、目先だけの「個人主義尊重」に走りすぎて、日本の家庭の良さや家族のつながりという、ものの本質を深く見ていない人の意見ではないでしょうか。
なぜ、政権政党でこのような議論が起こり支持されようとしているのかが分かりません。
外国人の地方参政権。これも同様です。
帰化すれば地方参政権のみならず、すべての権利が得られます。
政治資金がどうのこうのとは、レベルが違う問題です。
社会基本となる重要な法律は、少なくとも100年200年、あるいは1000年の先を見据えていなければなりません。
今の民主党に、その視点が欠けています。
以上は、以前から思っていたことです。
また将棋から離れ、堅い話になりました。ご容赦のほど。
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大陸から吹き荒れてくる黄砂。ひどい黄砂で近くの山も霞んでいましたが、午後は多少ましになりました。しかし、昼頃には雨がパラパラ。車が霜降り模様です。
午前中はテレビ将棋。羽生さんの優勝。糸谷さん惜敗。内容は面白い展開でした。
3月20日(土)、晴れ。
今日も良い天気でした。
「駒サロン」は、11人が集まってくれました。
まー、久しくあっていない同士もあり、ワイワイがやがやとフリートーク。
いろんな話が飛び交いました。
30分余り延長して、集まっていただいた皆さん、楽しかったですか。
当方は、多少気づかれもありましたが、良いひとときでした。
ところで、塩井さんから小生の[董仙]について、指摘を戴きました。
「今回は初めてではなく2回目ではないですか。[近代将棋・駒に生きる]の30回目あたりに、龍山字母帳をもとに自分用の字母を書き起こして作ったとありましたヨ・・」。
早速、ファイルを確認したところ、40回目に写真も載っています。もちろん小生自身が撮影した写真で、動かぬ証拠です。
「へーっ、本当ですね。すっかり忘れていました。本人がすっかり忘れていることを、よく覚えてくれていて・・」。ありがたいことです。
と言うわけで、今回製作中の[董仙」の駒は、紛れも無く2組目だと分かりました。
字母の書き起こしも同じことを10年前にしている訳です。前回の製作も注文品。今回も同様です。
ソレニシテモ、思い込みの記憶ほど不確かなものは無いということ。それに、ボケも進んでいるんでしょうネ。
ーーーー
明々後日、23日発売の日本経済新聞・朝刊にご注目ください。
最終ページの「文化」欄です。
夜になって、只今、台風のような風が吹き狂っています。
テレビでは先日「春一番が吹いた」と言っておりましたが、今日が本当の春一番ですね。
腹ですか。直りました。心配をおかけしましたが、すっかり直りました。
「えっ、心配していませんって。ハイ、分かりました」。
では、少し早いですが、寝ることにします。
今日も良い天気でした。
「駒サロン」は、11人が集まってくれました。
まー、久しくあっていない同士もあり、ワイワイがやがやとフリートーク。
いろんな話が飛び交いました。
30分余り延長して、集まっていただいた皆さん、楽しかったですか。
当方は、多少気づかれもありましたが、良いひとときでした。
ところで、塩井さんから小生の[董仙]について、指摘を戴きました。
「今回は初めてではなく2回目ではないですか。[近代将棋・駒に生きる]の30回目あたりに、龍山字母帳をもとに自分用の字母を書き起こして作ったとありましたヨ・・」。
早速、ファイルを確認したところ、40回目に写真も載っています。もちろん小生自身が撮影した写真で、動かぬ証拠です。
「へーっ、本当ですね。すっかり忘れていました。本人がすっかり忘れていることを、よく覚えてくれていて・・」。ありがたいことです。
と言うわけで、今回製作中の[董仙」の駒は、紛れも無く2組目だと分かりました。
字母の書き起こしも同じことを10年前にしている訳です。前回の製作も注文品。今回も同様です。
ソレニシテモ、思い込みの記憶ほど不確かなものは無いということ。それに、ボケも進んでいるんでしょうネ。
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明々後日、23日発売の日本経済新聞・朝刊にご注目ください。
最終ページの「文化」欄です。
夜になって、只今、台風のような風が吹き狂っています。
テレビでは先日「春一番が吹いた」と言っておりましたが、今日が本当の春一番ですね。
腹ですか。直りました。心配をおかけしましたが、すっかり直りました。
「えっ、心配していませんって。ハイ、分かりました」。
では、少し早いですが、寝ることにします。
3月19日(金)、快晴。
一日中、快晴で温暖。久々の上天気でした。
それに比して当方の胃は、昨夜から機能不全。食べ過ぎか、何か悪いものを食したのか、はたまた夕食後直ぐに寝てしまったからでしょうか。
よって朝食は一汁のみ。昼食も控え目。お蔭様で回復基調ではありますが腹ペコ。足にも力が入りません。
ーーーー
昨日、千葉県の上原さんから読み応えのある「卒論」を戴きましたので紹介します。
上原さんは、小生より少し若いだろうか。
どこの大学かは聞きそびれていましたが、「卒論の参考に」と言うことで、昨年の水無瀬神宮での「拝見会」と、「島本町指定文化財記念の展示会」にも遠路はるばる参加された一人です。
タイトルは「現行将棋の確立過程について」。
例えば、将棋の伝来時期については、平安時代以前の直接資料がまったく無い中で、各自の発想や推量に元づく「仮説」を、あたかもそれが正しいと言わんばかりに主張することが多かったこれまでに比べ、この論文には、考えの偏りが無い点、好感が持てる。
すばらしいのは、広い視野で日本文化の成立過程をひもどき、その中で「将棋」を考察している点。第2には、考察が客観的でかつ説得力あるところ。
当方も気がつかなかったのは「将棋馬日記」中の「某」の解釈。
この場合の「某」には、「取りあえず、わたくしに」という意味があるという。即ち、誰に渡すとは決まらないまま出来上がった駒だと言う解釈である。
実際に小生の場合も、すべてオーダー品では無い訳で、取りあえずは出来上がって、あとで嫁入り先が決まる駒も多い。それが「某」で表現されているという。
そういわれて見れば、納得。上原さんの言われるとおりであろう。その洞察力に関心した。
早速、返礼の手紙にはそのことを書いて、いい論文なので冊子にする予定の有無をお尋ねした次第。
このままでは、目に触れることが非常に少ないと思うので、冊子印刷への期待が待たれます。
ーーーー
明日は「駒サロン」。3ヶ月近く散らかし放しだった階下の床はすっきりさせました。
「木地揃え」が長引いて、延び延びになっている「某」さんとの摺り合わせも早くしなければと、思い続けている今日この頃ではあります。
今暫くお待ちを。
一日中、快晴で温暖。久々の上天気でした。
それに比して当方の胃は、昨夜から機能不全。食べ過ぎか、何か悪いものを食したのか、はたまた夕食後直ぐに寝てしまったからでしょうか。
よって朝食は一汁のみ。昼食も控え目。お蔭様で回復基調ではありますが腹ペコ。足にも力が入りません。
ーーーー
昨日、千葉県の上原さんから読み応えのある「卒論」を戴きましたので紹介します。
上原さんは、小生より少し若いだろうか。
どこの大学かは聞きそびれていましたが、「卒論の参考に」と言うことで、昨年の水無瀬神宮での「拝見会」と、「島本町指定文化財記念の展示会」にも遠路はるばる参加された一人です。
タイトルは「現行将棋の確立過程について」。
例えば、将棋の伝来時期については、平安時代以前の直接資料がまったく無い中で、各自の発想や推量に元づく「仮説」を、あたかもそれが正しいと言わんばかりに主張することが多かったこれまでに比べ、この論文には、考えの偏りが無い点、好感が持てる。
すばらしいのは、広い視野で日本文化の成立過程をひもどき、その中で「将棋」を考察している点。第2には、考察が客観的でかつ説得力あるところ。
当方も気がつかなかったのは「将棋馬日記」中の「某」の解釈。
この場合の「某」には、「取りあえず、わたくしに」という意味があるという。即ち、誰に渡すとは決まらないまま出来上がった駒だと言う解釈である。
実際に小生の場合も、すべてオーダー品では無い訳で、取りあえずは出来上がって、あとで嫁入り先が決まる駒も多い。それが「某」で表現されているという。
そういわれて見れば、納得。上原さんの言われるとおりであろう。その洞察力に関心した。
早速、返礼の手紙にはそのことを書いて、いい論文なので冊子にする予定の有無をお尋ねした次第。
このままでは、目に触れることが非常に少ないと思うので、冊子印刷への期待が待たれます。
ーーーー
明日は「駒サロン」。3ヶ月近く散らかし放しだった階下の床はすっきりさせました。
「木地揃え」が長引いて、延び延びになっている「某」さんとの摺り合わせも早くしなければと、思い続けている今日この頃ではあります。
今暫くお待ちを。
3月18日(木)、快晴。
先ほどのNHKテレビで、「久保2冠誕生」のニュース。
最近は、ニュースで将棋タイトル戦の結果を取り上げるようになりました。
将棋ファンとして結構なことです。
空はやや白っぽい。遠くない山もボヤケています。
快晴ですが、春霞。黄砂の影響を感じます。
春といえば「めだか」もそのひとつ。
先日、立ち寄った隣町のお気に入りのスパゲッティ屋さんの店先で、40センチほどの鉢2つに何10匹かが泳いでいるのを見つけ、暫し顔を近づけて見とれていました。
「めだか」といえば、子供の頃、釣りに行った田舎の田んぼ脇の小川で、群れを成して泳いでいたのを思い出します。
今はそういった風景はありませんし、和種のめだか自体が絶滅危惧種とか。
スパゲッティ屋さんの「めだか」は、和種、それとも外来種なのかは分かりません。
お店でいつも注文するのは「ミートソース」。スパゲッティではオーソドックスなこれが一番の美味。スパゲッティは「これに限る」と言っても過言ではありません。
以前から「めだかを飼うのもいいな」と思っておりました。
次に行った時は、何匹か所望しようと思っています。
ーーーー
あさっては工房で「駒サロン」。8人くらい来ていただけそう。
現状、足の踏み場も無くなっている部屋の床は、今日から整理に取り掛かります。
と言うことで、今日も朝から「木地揃え」です。
中途半端も困りますが、いい加減に終了しなければ、他の事が出来ません
ーーーー
嬉しいことに、名人戦オープニングセレモ二ーの招待状が届きました。
万障繰り合わせて参加したいとワクワク。早速太い文字で、スケジュール表に書き入れました。
先ほどのNHKテレビで、「久保2冠誕生」のニュース。
最近は、ニュースで将棋タイトル戦の結果を取り上げるようになりました。
将棋ファンとして結構なことです。
空はやや白っぽい。遠くない山もボヤケています。
快晴ですが、春霞。黄砂の影響を感じます。
春といえば「めだか」もそのひとつ。
先日、立ち寄った隣町のお気に入りのスパゲッティ屋さんの店先で、40センチほどの鉢2つに何10匹かが泳いでいるのを見つけ、暫し顔を近づけて見とれていました。
「めだか」といえば、子供の頃、釣りに行った田舎の田んぼ脇の小川で、群れを成して泳いでいたのを思い出します。
今はそういった風景はありませんし、和種のめだか自体が絶滅危惧種とか。
スパゲッティ屋さんの「めだか」は、和種、それとも外来種なのかは分かりません。
お店でいつも注文するのは「ミートソース」。スパゲッティではオーソドックスなこれが一番の美味。スパゲッティは「これに限る」と言っても過言ではありません。
以前から「めだかを飼うのもいいな」と思っておりました。
次に行った時は、何匹か所望しようと思っています。
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あさっては工房で「駒サロン」。8人くらい来ていただけそう。
現状、足の踏み場も無くなっている部屋の床は、今日から整理に取り掛かります。
と言うことで、今日も朝から「木地揃え」です。
中途半端も困りますが、いい加減に終了しなければ、他の事が出来ません
ーーーー
嬉しいことに、名人戦オープニングセレモ二ーの招待状が届きました。
万障繰り合わせて参加したいとワクワク。早速太い文字で、スケジュール表に書き入れました。
3月17日(水)、晴れ。
昨日は暖か。今日は少し寒くなるとか。
一昨日、仕事中に「ヤモリ」を見つけました。
昨日は、そのことを書き始めたのですが、他を優先しました。
水辺にいる「赤のイモリ」は、「井守」。
人家の内外を生活の場にしている「ヤモリ」は「家守」。
手に乗せるとジッーとして暖かく、生命を感じ、何枚か写真を撮りました。
それは没にして、今日は「アジサイ」の芽生え。
いよいよ、春の実感です。
ーーーー
ブログは、一旦書き込んだあとの1日くらいは、時折、冗長なところや「てにをは」を書き直したりしています。
場合によっては、書き足したりすることもありますので、時間があれば再度読み直して戴くとありがたいです。
では、また。
ーーーー
王将戦第6局の結果、久保2冠誕生。
すごいですね。
昨日は暖か。今日は少し寒くなるとか。
一昨日、仕事中に「ヤモリ」を見つけました。
昨日は、そのことを書き始めたのですが、他を優先しました。
水辺にいる「赤のイモリ」は、「井守」。
人家の内外を生活の場にしている「ヤモリ」は「家守」。
手に乗せるとジッーとして暖かく、生命を感じ、何枚か写真を撮りました。
それは没にして、今日は「アジサイ」の芽生え。
いよいよ、春の実感です。
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ブログは、一旦書き込んだあとの1日くらいは、時折、冗長なところや「てにをは」を書き直したりしています。
場合によっては、書き足したりすることもありますので、時間があれば再度読み直して戴くとありがたいです。
では、また。
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王将戦第6局の結果、久保2冠誕生。
すごいですね。
駒の写真集
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