熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。
送料込み5000円。
残部僅少ながら、注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

香箱

2010-06-30 19:06:46 | 写真
名古屋の徳川美術館にある「香箱」。
香箱は、文字通り「お香の道具を入れる箱」。大きさは背の高い硯箱程度。
側面は写真では良く分かりませんが、葵の紋は、天面に3つ。手前に2つ。
葵紋は、光り具合に変化があるのはお分かりでしょうか。
蒔絵に使う金粉の粒は大きいもの・小さいもの、そして形(丸目、平目、鑢目など)の違いで、光り方が変わります。
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漆関係

2010-06-30 18:56:52 | 写真
6月30日(水)、雨。

6月も今日で終わり。早いもので、今年も残り半分です。
パラグアイ戦。小生も見ました。終わった時の「涙」、あれは感動。

小生の昨日と今日仕事は「菱湖」の盛り上げ。
歩兵と香車の表。それに桂馬の一部と角行。玉将・王将の銘。合計で28枚ほどが昨日。
今日は、残る桂馬と銀将。それに飛車2枚と角行1枚。
とにかく1組分がこれで終わります。

長時間盛り上げをしていると、眼が疲れます。
時々、気分を変えて遠くを見たり他の仕事をしたりと眼を休めるのですが、長くやっていると「遠くがカスミ」ます。
1~2時間もすれば元に戻ります。
眼は大切なので毎月1回、仕事の合間に近くの眼医者さんにチェックに行きます。
眼は、まあまあ良い方。普段の視力は1.2くらい。
以前は、手元40センチからずーっと向うの電柱に架かる電線の本数まで数えることができました。しかし、今は新聞にはメガネが必要。

「盛り上げの時、ルーペを使うのですか」と良く聞かれます。
「いえ、小生は普通の老眼鏡。手元作業には屈折度数が3度くらい」。
老眼鏡は安いものですが沢山持っています。15本はあるでしょうか。車にも3本、度数の違うものを入れています。
遠くを見るときは「裸眼」。それで、レンズの幅が2センチ足らずの細いやつが好都合です。
若い時のように遠近の調節が利かないので、その時々で度数の違う眼鏡を取り替えるわけです。
盛り上げには3度か3.5度。新聞は2度くらい。それより緩いものは、展覧会などでウインドウ越しに品物を見るときに使います。


ルーぺ。あれは使いません。眼が疲れるからです。
と、言うことで、今日はメガネ談義でした。

ーーーー
写真は漆関係の本。
多くは昔、駒づくりを始めた頃のもの。
見聞きして知識も必要ですが、実際に体験し試行錯誤することでほんの少しですが、なるほどと思えます。

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国宝の将棋盤

2010-06-27 20:32:41 | 写真
先ずは、国宝「初音調度の将棋盤」。

写真はちょっと不鮮明ですが、葵紋がいくつあるでしょうか。分かりますか。
正解は次回に。

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大名道具、資料類

2010-06-27 20:20:58 | 写真
小生の手元にある尾張徳川家、一橋徳川家、水戸徳川家、細川家、井伊家、宇和島伊達家など大名家の婚礼調度図録。

この中から、ぼつぼつ日替わりで、参考になる具体例(写真)をピックアップしてご覧いただきます。
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四方木口の将棋盤

2010-06-27 19:59:26 | 写真
四方小口の将棋盤。
別名で「鬼殺しの盤」とも呼ばれます。
年輪の方向が、45度斜めに木取ってあります。そのため、盤の前後、左右の側面は、すべて柾目模様がつくれます。従ってそれを「四方木口」と言うわけです。

江戸時代に、何故このような木取りがなされたのかは、小生は分かりかねます。



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実力名人戦ゆかりの盤

2010-06-24 06:19:30 | 写真
6月24日(木)、曇り。

写真は、22日のブログで触れた「実力名人戦ゆかりの盤と駒」一式。
手っ取り早く工房に掲げてある写真パネルをデジカメで撮影したので、画質はやや劣りますが、桐の覆いの「阿部真之助殿 贈 昭和11年2月 十三世名人関根金次郎(落款)」の墨書はご覧いただけると思います。
阿部真之助さんは、実力名人戦の提唱者でスポンサーになった「東京日日新聞」の学芸部長。
実力ある論客で、戦後はNHKの会長に就かれました。
800本以上ある盤の年輪は数えるわけにはゆきませんが、駒台・駒袋は確認できると思います。

平成6年。52期名人戦第3局(米長名人対羽生挑戦者)で使用(この時の駒は、木村作木村名人書)され、再び、平成6年の森内・谷川戦でも使われました。

名人戦使用の話が挙がった時、名人に漢字一文字を盤に揮毫していただこうと考えました。盤に命名してもらおうとの考えです。
あれこれ考えて「曙」と決めました。
昭和11年2月は、実力名人戦がスタートして、順調に進行している時期に当たります。
そのことを関根名人は、お礼の意味を込めこの盤を阿部さんに贈ったのでしょう。
これに因みふさわしい文字は何か。
「曙」には「将棋界の黎明」という意味を込めてあります。

この年は、横綱・曙の活躍した年でもありましたし、「曙」には、もうひとつ意味を持たせた文字でもあります。
盤が、名人戦に使われるきっかけを作っていただいた人のことも、少し含んでいます。
その方は毎日新聞の記者・加古明光さんで、名前の「明光=明るい光=曙」という絡みもあります。

そもそものきっかけは、名人戦第2局が行われていた蒲郡「銀波荘」でのこと。
前日朝から「将棋マガジン」の取材でここを訪れていたのですが、楽屋裏で加古さんに盤と駒のことを話したところ、思いがけなく「次の第3局で使いたい。山口県まで持ってこれますか」。
小生は一も二もなく「オーライ」と急展開。奈良から山口県湯田温泉「旅館・松政」まで運びました。

実は、対局ではもうひとつの盤駒が用意されていました。
本来ならば、それが使用される予定。
検分の時、米長名人は二つの盤を並べて駒を打ちつけて、対局にはどれを使うか・・暫し熟慮の様子でありました。ほんの2~3分だったと思いますが「どれが使われるか・・」。
小生にとっては緊張して長い時間でした。
結論は、日替わりで二つの盤を使うということで落着。恐らくはこんな初めてであり、その後も聞いたことがありません。

当時は、山陽自動車道は、まだ、全線開通していない時期。急遽会社を休んで、奈良から車でここまで運んだ甲斐がありました。
15年ほど前の思い出のひとコマでした。

駒は「木村作木村名人書」。
もっとも、木村名人が名人位のに就いたのは、昭和12年ですから、駒が贈られたのは、盤より1年くらい遅れてということかも知れません。
駒箱と駒台を入れた器局の文字は、あまり上手とは言えませんが、木村文俊さんの筆跡ではないかと思っています。

ーーーー
明日は、朝方から東京に向けて出かけます。東京着は15時ころでしょうか。
土曜日には帰ります。
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テレビは見ました

2010-06-23 04:19:04 | 文章
以下は[コメント欄」よりの移し替えです。

ーーーー
別件ですが (aki12mari)

ご無沙汰しています。
ヤフーの時にコメントを頂きましたアキと申します。
記事と関係ないのですが、先ほど「なんでも鑑定団」をTVで見ていました。
何と水無瀬の象牙製八十五才と言う本物が出ました。
多分、熊澤様が鑑定されたのではと思いましたが分りません。
2,000万円の鑑定額でした。
既にご存知でしたらご容赦下さい。

ーーーー
熊澤です。
テレビは見ました。

あれは売り物でもないし商売人ではないので、小生は値段はよう付けませんが、おかしな値段を付けたものです。
特に、盤の値段が50万円とはね。

名古屋の徳川美術館にある4つの将棋盤の最高峰は国宝に指定されている「初音調度の盤と駒(水無瀬兼成筆)」ですが、蒔絵の細工は残りの3つと比べても、それより上を行くものです。
それに、紋の一つが剥がれかけているのを見て「紋の一つが他家のものから葵に直してある」という見立ては、思い込み過ぎ。
詳しくは、後日、参考資料を添えて説明します。
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棋聖戦・菱湖

2010-06-22 05:19:41 | 作品
6月22日(火)、曇り。

今にも雨が降り出しそうな、暗い空。
写真は過日の棋聖戦で使用された「良尊作・菱湖写し」。

この日は、これと昨年秋に作った「古水無瀬」と2組を持参しました。
検分ではこのほかホテル所蔵の「古水無瀬」と、もう一組、将棋連盟所蔵の駒の合計4組が準備され、立会人・有吉九段の差配でホテル所蔵の駒を羽生棋聖が、続いて深浦挑戦者が何枚かの駒を一枚一枚交互に盤に並べてチェック。
続いて、小生持参の「菱湖」、「古水無瀬」。

「どれにしますか」。有吉九段の問いかけに、「では、これで」と羽生棋聖。
「それで結構です」と深浦挑戦者も同意があり、「菱湖」に決まりました。
ということで、結果的に連盟からの駒は駒箱から出され無かったので、どの駒だったのかは分からずじまいでした。

後刻、羽生棋聖に「あの駒を選ばれたポイント」をお聞きしたところ、「盤の色との関係で、色の濃い方を選びました」とのことでありました。
どちらかと言うと白っぽく新作に近い「古水無瀬」とは対照的に、手元にある10組ほどの中から、何年も前に作った色の濃いこの駒をもう一組として持参しました。
少しトラフが入っていてタイトル戦にはどうかとは思ったのですが、眼に触るほどでもないとの判断でした。



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正解は

2010-06-21 12:28:26 | 写真
6月22日(月)、曇り。

今日は「夏至」とか。
昼間が一番長いのですね。

前日の「アーカイブ」は、右が森内名人(当時)と谷川九段。
4年前、64期名人戦第六局の対局開始直前の写真でした。

今日の写真は、その翌日終局後の「検討会」風景。
森内名人の防衛と、十八世名人の資格獲得が決まった直後です。
報道陣の多さがご覧いただけると思います。

関係者に交じって、使用駒の持ち主「塩井さん」も。
盤は、5寸2分と薄いですが、昭和11年2月に関根名人から阿部真之助さんに贈られた盤。
桐の覆いには関根名人の筆跡で「阿部真之助殿 贈 13世名人関根金次郎(落款)」の墨書があります。
因みに、阿部真之助さんは、世紀のタイトル戦としてスタートした実力制名人戦のスポンサー「東京日日新聞の学芸部長」。戦後は、NHKの会長に就かれました。

盤の年輪が800本以上。本数を数えるのには、虫眼鏡がいります。
平成6年。52期名人戦第3局(米長名人対羽生挑戦者)で使用(この時の駒は、木村作木村名人書)され、平成6年のこの時の森内・谷川戦は2回目の使用となりました。

盤には、米長名人の墨書揮毫「曙」と、両対局者の署名があります。
「曙」は、小生の希望で米長名人に書いていただきました。実力名人戦に因んで「将棋界の曙」という意味を込めて、小生が大切にしているお宝です。
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ちょっと前ですが

2010-06-21 00:21:05 | 写真
少し前のタイトル戦。
駒を並べ始めたところです。
こちらと向う側。
その二人は、どなたと、どなた。分かりますでしょうか。

正解は、12時間後に。
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駒の写真集

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