1月17日(日)、曇りがち。
今日は、26年前の1.17。
あの日は、私、東京のホテルのベッドで目が覚めました。
夜が明けかけて窓辺に薄明かりが差し始めようとした時でした。
テレビを点けてぼやーっと眠気眼で見ていました。
すると、わずかに「ミシミシ」と音がしました。
太陽が差し始めたときでしたので、ホテルの壁が膨張して「ミシミシと鳴ったのだろう。安普請のホテルなんだ」と、その時、何気なくそう思いました。
何分かして、定時ニュースだったか、臨時ニュースだったかで、NHKは「京都で大地震」という切迫した声でした。
やがてニュースは「琵琶湖周辺の高速道路が地震で閉鎖された」と、追加されました。
そのことで、私は「かなり大きな地震があったのだな・・」と思いました。
しかしそのあと、しばらくがあって「神戸のビルの多くが崩壊。神戸支局が使えなくなった・・」という内容に変わり、これで「近年にない大地震なのだ」と分かり驚き、先ほどのホテルの「ミシミシ」音は、遠く離れた東京にも揺れが到達した結果なのだと思いました。
東京の事務所では、9時からの定例会議でしたが、そっちのけで、被害の有無と程度の情報収集、対策などの連絡に100パーセント費やしました。
大阪の本社では、所管しているコンピューターが四六時中、稼働しています。
幸いコンピュータには影響が無いようでしたが、責任者は「とにかく大阪に帰る」ということで、小生も午後には新幹線で戻ることにしました。
ですが、途中止まり止まりで、帰宅したのは深夜でした。
幸い、奈良の自宅では大きな被害もなく助かりましたが、報道では神戸ではビルが倒れたり傾いたりで壊滅的。多くの死者も出ていて暗然たる気持ち。
以上が、1.17の記憶です。
この年の3月31日は、30年余り勤務した日本板硝子を希望退職した日(退職願いは、前年の12月に提出済み)であり、26年前のことは、今でも記憶に深く刻まれているのです。