顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

水戸八景 僊湖莫雪(せんこのぼせつ)

2016年10月04日 | 歴史散歩
村松の虚空蔵尊の裏山で村松晴嵐の碑を見てから約6か月、気の向いたときに尋ね歩く不精の水戸八景探訪も6か月、やっと地元の偕楽園内の僊湖莫雪の碑で終わりを迎えました。回る順もあるでしょうが、ひと回り約90キロくらいといわれていますので、心身鍛錬といっても一日で歩くのは当時の健脚侍でも大変な距離です。
そもそも藩内の子弟の風月鑑賞と八景巡りの心身鍛錬の目的で選定されたのは、1829年(文政12年)水戸藩9代藩主に就任した斉昭が、最初に水戸へ来た1833年(天保4年)、いろんな案の中から久昌寺の日華上人の案を多く採り入れ翌天保5年頃には建碑に取り掛かったとされています。
さてこの碑は偕楽園の南崖の斜面にあり南方に視界が広がっていますが、当時はもっと彼方までの眺望があったことでしょう。しかし、八景碑の建立は天保5年ということになると、偕楽園開園の天保12年以前になります。斉昭が長尾景徳に命じて梅林を造成した天保5年にこの碑を建てたままか、あるいは偕楽園開園時に別な場所からここへ移設したかなどの詳細は分かっていないようです。
石は地面から直接出ていて台石は見えません。平らな自然石の感じ、多分花崗岩と思われます。

千重の波よりてはつづく山々をこすかとぞみる雪の夕ぐれ  徳川 斉昭

なお、水戸八景すべてについては、拙ブログ「水戸八景…斉昭公選定の水戸藩内景勝めぐり 2020.8.18」に載せさせていただきました。