顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

水戸城址の大シイノキ

2018年06月16日 | 水戸の観光
現在の城跡というと大体桜の名所ですが、これは明治6年の廃城令以降のことで、それまでの城には城攻めの敵兵が樹木の陰に隠れたり、樹木に手をかけて登られてしまうので、防御上樹木は植えられず、籠城に役立つ樹木が城内に少しあるだけのようでした。
例えば樹脂を含み燃料、松明にもなる松、いざという時の食料になる椎ノ木、建材や竹槍になる竹などです。

今年は明治維新150年ですが、水戸城は廃城令前の明治5年に不審火により二の丸御殿が燃え、昭和20年の大空襲により城郭内のその他の施設もほとんど燃えてしまい、樹木がどれほど残っているかは分かりませんが、目に触れる場所では、樹齢400年とされるスダジイという品種の大きなシイノキがあります。佐竹か徳川の初め頃に、籠城の際の燃料と食料確保のために植えられていたのでしょうか。

まず①スダジイです。二の丸の水戸二中の運動場南端、見晴台の入り口にあります。
案内板によると、2株の大シイは戦国時代から自生していたと伝えられ、その樹齢は約400年と推定され、2株のうち1株は根回り4.1m、目通り3.3m、樹高18.6mで、もう一方は根回り6.8m目通り4.3m、樹高20.0m、水戸市指定記念物とあります。

②スダジイは、弘道館の対試場に三の丸小学校敷地より張り出しています。弘道館が建つ前は重臣屋敷があった場所なので、その頃から藩の歴史を見てきたことでしょう。① と同じくらいの樹齢とされています。

同じくらいの樹齢とされる③スダジイは、弘道館の梅林の中にありますが、ここにあった弘道館の文館は明治元年の藩内抗争で消失してしまいました。いま、その再建計画もありますし、椎茸が出たことがあると樹木管理の方が言っていたので、この老木はそろそろ寿命かも知れません。

②スダジイの椎の実を秋に撮りました。どんぐりの中では生でも食することができる種類で、少年時代は貴重なおやつでした。

また、弘道館公園内の要石碑の脇にあるクスノキも樹齢300年といわれる大木ですが、弘道館以前の三の丸重臣屋敷に植えられていたのか、177年前の弘道館建立時に新たに植えられたのかは不明です。

なお、弘道館公園内の梅林には約700本の梅樹がありますが、この一帯は大空襲の焼夷弾で燃えており、当時のものは残っていないとされています。