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南の千波湖、北の那珂川に挟まれた洪積層台地を天然の要害とした水戸城は、建久4年(1193)馬場資幹が居城を築いたのが始まりとされます。応永33年(1426)以降は江戸氏の居城となり、内城, 宿城, 浄光寺の三郭より成る城の輪郭ができ、天正18年(1590)常陸54万石の太守になった佐竹氏により秋田移封までのわずか13年の間に現在の全容がほぼ完成したといわれています。
その後水戸徳川家の居城として約260年の歴史を持ちますが、城内の建物は幕末の藩内抗争や空襲ですべて消失し、唯一現存する建築物は本丸跡の薬医門だけです。
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これは、この薬医門が明治初期に初代茨城県令の安田邸表門として移築され, さらに昭和16年に市内の祇園寺に移されていたのが幸いして焼失を免れたからで、昭和56年, 祇園寺から水戸市に寄贈されたのを機会に元の場所近くに復元されました。
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形式は正面の柱の間が3つで出入り口は中央だけの三間一戸で2つの脇扉が付いた薬医門、屋根の棟の位置が本柱(鏡柱)と控柱の中間より前面に寄せられるため、正面の軒が深く風格のある門構えとなっています。
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建立年代を特定する資料は発見されていませんが、構造や技法から安土桃山時代末期、佐竹氏が水戸城主の時期に建てられた水戸城の本丸橋詰門という説が一般的です。
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その根拠として、案内板によると建物各部分の木割の太さ、屋根面の棟木は見えるようになっている化粧棟木で、その棟木を支え装飾にもなっている板蟇股の雄大さ、そして化粧垂木の端の反り増しの技法、柱の上の実肘木の形状、板蟇股の繰形が挙げられています。
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また 昭和56年の解体時には化粧棟木に「享保十八年七月日」(※1733)の墨書銘、実肘木や板蟇股にカブ, オモダカなどの絵番付の墨書が発見されたそうです。(※絵番付とはどの部分に使うかを示す文字や絵を墨書や刻んで記したもの。)
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幕末に多くのの部材が取り替えられており建立当時の部材は一部しか残ってはいないようです。
昭和56年移築の際には、建立当初の茅葺きが桟瓦葺になっていた屋根を茅葺き風銅板葺きに改めました。屋根野地板や小屋組を新材に取り替え、控柱4本はいずれも根継が高い位置でされていて構造的に不安があったため, 2本については新材に取り替え、扉入双金具, 乳金物, 飾り鋲などの形状については在来のものを使用し, 破損のものは復元作製したとのことです。
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本丸には水戸一高があり、本城橋を渡った入り口から城門の薬医門まで、土塁に囲まれた枡形を経て直角に曲がる配置になっています。(なお学校敷地内ですが薬医門までの見学入場は許可されています。8:30~16:30)
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