顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

探梅 in 偕楽園公園(1月11日)

2018年01月12日 | 水戸の観光
例年梅の開花が早くなっており、特に一昨年の開花は早かったのですが、今年は昨年並かやや遅い感じで、情報では園内3000本のうち約40本以上が開花(1個でも花が開いている)のようです。

「八重寒紅」もチラホラと真紅の花を咲かせていますが、まだ探し回らないと見つけにくいかもしれません。

「冬至梅」で、こんなに咲いている木もあります。

いつもの定点スポット、好文亭を遠景に入れてやっと一輪の「寒紅梅」です。

水戸の六名木の中で一番早咲きの「白難波」も一輪、純白の白さが際立つ花ですが、咲き始めは黄色がかっていました。

青軸性梅の代表で、水戸の六名木「月影」もその特徴を示す蕾と枝が目立ってきました。

「こぶし」の蕾も大きくなりました。後ろの小高い丘は丸山で、徳川光圀公がここに小堂を建て陶淵明の像を安置し陶明堂と称し、この堂に猩々の絵が掛けられていたことから別名「猩々堂」とも呼ばれていた故事にちなんで、その隣の梅林は猩々梅林と名付けられました。

冬牡丹   市原観音(笠間市)

2018年01月06日 | 季節の花

寒牡丹とはよく聞きますが、冬牡丹はその別名だと思っていましたが、調べてみると春と秋の二季咲きの牡丹の春咲きを正月に咲くようにしたのが寒牡丹で、春咲きの普通の牡丹の開花時期を人為的に早めたのが冬牡丹と出ていました。

冬牡丹は、二季咲きの寒牡丹より花も大輪で、緑の葉も出ているのに対し、寒牡丹は花が小さく葉もほとんどないという見た目の違いがあるそうです。

ここ笠間の市原観音は花の寺として名を知られ、この時期は冬牡丹約30株の藁囲いが並んでいます。

霜よけなど温度管理には相当手間がかかるようですが、冬の寒さの中で健気に咲いているというより咲かされていると感じてしまいます。葉は寒さで萎れ、花は花期の終わりのせいか今ひとつ元気がありません。

この市原観音の正式名称は三嶋山 明星院 如意輪寺という天台宗のお寺で、その歴史は古く推古3年(595)、地元の豪族伊知波良氏が嵐によって打ち上げられた仏を拾い、御堂を建てて供養、その後天武天皇9年(680)に天武帝の勅願寺となったと伝わっています。また、関東三十三観音の第三十二番札所、また東国花の寺百ヶ寺の茨城第4番札所としても知られています。

ところで偕楽園の梅に、白牡丹という大輪で八重の花があり、遅咲きの開花ですが、満開の様子には思わず歓声があがります。

なお、俳句では上記の違いは気にせずに、寒牡丹、冬牡丹と同じように詠んでいるようです。

人とゐてひとの恋しき冬牡丹  環 順子
囲はれておのれを尽す寒牡丹  佐藤信子

新春…2018

2018年01月01日 | 日記
偕楽園で寒紅梅、冬至梅などの早咲きの梅がちらほら咲き始めました。
梅の観賞の仕方をその時期に合わせて、「探梅」「賞梅」「送梅」と分けられていますが、まさしく今は探梅のときで、広い園内で一、二輪見つけるのは難しく、また見つけた時の嬉しさも格別です。

偕楽園を創った徳川斉昭公が、水戸に梅を植えた理由を「種梅記」に記していますが、その理由の一番に春に先駆けて咲くことが挙げられています。
また、斉昭公の七言絶句「弘道館に梅花を賞す」にも「雪裡春を占む天下の魁」と梅の花が詠われています。これから訪れる満開の時期もさることながら、咲き始めの風情を愛おしむのは梅の花独自のものかもしれません。

しかし、その梅の花のように天下に先駆けて水戸の志士たちは散っていき、また桜のように潔く散ることが美徳のように教えられて、御国のためにと逝った兵士たちの歴史もあることを思い出すと複雑な気持ちにもなりますが…。

探梅や枝の先なる梅の花  高野 素十
俯せに白梅のとき過ごしけり  金子兜太
魁けて一番梅の実の成らず  顎髭仙人

今年もよろしくお願いいたします。