日々の出来事や思ったこと、趣味やペットのことなどを書き流す自己満足ノートです。
家事の合間に。。。



肺炎で入院していた姑が、先月30日の夜永眠いたしました。
慌しく近親者のみの通夜葬儀告別式を終え、少し落ち着いてきたところです。

入院してからいい感じで来ていたのが、7日目ぐらいから話すことも少なくなってちょっと心配していました。
亡くなる2日前に先生のお話があり、病気は「間質性肺炎」であると。
この病気には治す薬が無く、ステロイドを使ってこれ以上悪くならないようにするしか方法がないとのこと。
また原因については組織を切り取って検査をしなければならないが、今の状態でそれはできないので原因の特定はできない。
このまま横ばい状態が続くということでした。

話を聞いて、このままの状態が何ヶ月も続いても病院に居させてくれるのかしら・・・一体どのぐらい続くものなんだろ・・・と考えました。
夫は一年続いたら入院費はいくらになるか?と考えたようです。
二人ともまだまだ先と思っていました。


間質性肺炎
という病名は聞いたことがあるけれど、どんな病気か?全く知りませんでした。
ネットで調べたらすごく恐ろしい病気であることがわかりました。
普通の肺炎は肺胞の中に炎症が起き原因菌に効くお薬を使えば治る可能性がある。
事実、実家の父は治ってもうすぐ退院することが決まりました。
しかしこの間質性肺炎は肺胞を取り囲む壁(間質)に炎症を起こし、間質が厚く硬くなりガス交換ができなくなって、しかも治す薬が無いという。
咳が続くとか症状に現れ病院に行った時にはすでに手遅れという場合もあり、町医者には発見できないでしょう(<ホントか?)と主治医は言いました。
姑は咳など一切ありませんでしたし、息苦しさを訴えるということもありませんでした。

翌日。
『お茶をちょうだい。』と言い、持っていったゼリーを全部食べました。
「すごいね。全部食べられたよ!」と言うと『冷たいから。』と。
『息苦しいの。』とも言いました。
姑は酸素マスクや点滴を外してしまうので身体や手をずっと保定されていました。
「マスク取っちゃうと余計苦しくなるからね。」と言うしかありませんでした。
でも特別悪くなった様子もなかったのですが・・・。

次の日行ってみると、正に急変しておりました。
息づかいはひどく、すごく苦しそうな様子。
目を見開き、何かを訴えようとしているように見えますが声にならない。手足を動かしもがいている。その手にはまだすごい力があります。
身体の他の部分は何ともないのに肺だけが機能しなくなっている状態。
『苦しいの!』『何とかしてちょうだい!』『先生は?!』
きっとそう言いたかったのでしょう。
あまりに辛そうな様子で、可哀想で見ていられませんでした。
傍にいても何もできずただ泣くしかありませんでした。

私は一旦家に帰り、夜になって来た義姉と夫で姑の最期をみとりました。
正に壮絶な死でありました。
ある意味気丈な姑らしい死に方だったような気がします。
苦しみに最期まで抵抗していた。最期まで頑張り抜いた。最期まで耐えた。
でももっと穏やかに死なせてあげたかった。
あの姿を思うと本当に切なくなります。

間質性肺炎の原因についてはいくつか考えられています。
姑の場合は難病に指定されているという特発性間質性肺炎ではないということでした。
考えられるのはウィルス感染か?、あとカビや羽毛、ペットの毛などの慢性的吸入なども考えられるようです。
その他、膠原病、薬剤などは姑には当てはまりません。
カビの慢性的吸入はあり得る。
姑はこの5年間、ほとんど外に出ず家の中で過ごしました。
気候の良い5月10月を除き、冷暖房完備でした。
暑さ寒さ厳しい時は夜通しエアコンを点け、大きな口を開けいびきをかいて寝ておりました。
姑宅のエアコンは4年間使用でしたが、時々フィルターの掃除をしても中の方までは素人ではできません。
24時間かかっているエアコンは10年以上使用したと同じぐらい汚れていたのではないか?
エアコンはずいぶん汚れているものだとは聞いていましたが、プロに掃除を頼んだことはありませんでした。
原因については想像するしかありませんが。

亡くなった今になって姑とのことを考えると
『嫁が姑の世話をするのは当たり前。』
『何でうちの嫁はもっと優しく面倒をみないのだろう。』と思う姑と、
「嫁が姑をみるのは当たり前という考えはどうなの?」
「毎日やっているのに感謝の気持ちもない。」と思う私の、気持ちと気持ちのぶつかり合いでした。
もっとお互いがお互いを思いやる気持ちが少し欠けていた・・・。
姑にもっと何かしてあげられることがあったよな~と少しばかり後悔の気持ちもあります。
最初こそ、姑の面倒をみることは自分の人間性を高めることなんだとの思いがありました。
しかし現実には腹の立つことあり、イライラすることあり、ストレスのたまることありで私の人間性はどんどん下がるばかり。
そして後には後悔が残ります。
でも熱を出してからの1週間は親身に世話ができた。
やっぱり本当に具合が悪ければ心配にもなるし優しい言葉もかけられる。
それがせめてもの救いでした。


姑亡き今。
このぐっちー話もお終いにしたいと思います。
何日かしたらぐっちー話を削除しようと考えています。



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