住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

薬師巡拝記

2005年09月18日 17時35分21秒 | 様々な出来事について
この15、16日に中国四十九薬師の島根県6か寺と県北の2か寺の霊場を参拝してきた。近隣の寺院方との共同による企画で、中型バス28人乗りに27名の参加。この日より秋の気配が漂い、外は涼しいほどであったが、バスの中はお参り大好きな信仰者たちの熱気が朝から立ちこめていた。

この企画も今年で4回目、鳥取岡山の第一回、広島近隣の第二回、広島から山口の第三回、それに続くこの度の山陰をめぐる旅で、一応の結願を迎える。私にとっては、どこも初めての地。その地方地方の歴史や景色に見聞を広めることの出来る旅となった。

分けても各寺院の雰囲気がその土地柄や宗派による違いが何ともおもしろい。そのお寺の求めているもの、出入りする信者さんや檀家さんの違いもそうしたところから窺い知ることが出来るようであった。

昨年は、台風一過の山口県を訪れ、どこも屋根が剥がれたり、水漏れがしたり、また周りの畑や田圃の悲惨なまでの被害を目の当たりにした。今年は、台風の被害よりも、様々な事情で、お寺の環境が険しい大変な思いをしてお寺を守っている寺族の方々の思いを思った。

山陰の風光明媚な場所に位置するお寺ほど厳しい生活環境の中にある。島根半島の北西端に位置する日御碕神社の別当だったお寺はその環境の厳しさに加え、明治の廃仏毀釈の憂き目をそのままに今に至っているようであった。また歴史の変遷により、大檀那であった城主の没落にお寺の命運が委ねられて今に至っているお寺もあった。雨が降ると川が氾濫し、その度に寺域を狭め、檀家もなく、狭い境内に柴燈護摩の結界を常設してお寺を守っている札所もあった。

番外として一畑薬師にもお参りした。こちらは、1100年前に、海から引き上げられたお薬師さまをお祀りして一筋、口伝えに深まっていった庶民の信仰の力は絶えることなく、その信仰者の力によって大きな伽藍と教団が出来、今も意気軒昂な躍動感の中にあるようであった。

宿泊した玉造温泉は、出雲神話の跡を刻む勾玉の産地。勾玉を磨いた湯に我が汚れた心も磨くことが出来たであろうか。心を磨くには誠に短い湯浴みであったか。折角の温泉なのに、毎度様々同行者たちとの話や打合せに多くの時間を費やしてしまう。夕飯後に一回がせいぜいである。

昔温泉に行ったら5回は入らねばいけないと言われたことがある。宿に入ってすぐに一回、夕飯前に一回、寝る前に一回、翌朝起きて一回、宿を出るときに一回の計5回だそうである。それを思うと誠に勿体ない話である。

昔二度目の四国遍路を歩いていた頃、四国に参る時間こそが自分の真の、本当の歩みであって、それ以外の日々はその為の準備のためにあるというような思いを抱いたことがあった。その思いの前に、その前の年に遍路して歩いている自分にタイムスリップするような錯覚にも襲われた。

札所を目指して歩く自分が本当の自分であって、それ以外の自分は夢の中にあるような感覚。この度の参拝に参加された一人一人がそうだと言うのではない。が、それに似たような目の輝きをもって参拝を続ける同行者たちとのお参りは、私にとって誠に心地よい、心安まる、有り難い巡拝であった。

コメント
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