住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

神仏分離令について

2006年01月02日 07時12分40秒 | 様々な出来事について
(大晦日にアメリカのある大学で助教授をされている日本女性から、ホームページ「ナマステブッダ」【仏教のルーツを知る・明治時代の仏教】をご覧下さってお問い合わせがありました。

お尋ねの内容は、明治時代に神仏習合という日本古来の信仰スタイルを改め、天皇現人神を崇めさせ明治新政府を国民に権威付けるために神道国教化を推進する目的から神仏分離令を発した件につき、その日付は何時かとのお問い合わせでした。以下にその返信を掲載します。)

初めまして、拙ホームページをご覧下さり、誠に恐縮いたします。

お尋ねの件ですが、岩波新書「神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈」安丸良夫著には、神仏分離諸布告という表現が使われております。

慶応4年3月13日の布告では、王政復古、祭政一致、神祇官再興の理念と全国の神社神職の神祇官への附属が述べられ、その後の宗教政策の基本原理を宣言し、

3月17日には、諸国神社に別当社僧と称して神勤している僧職身分の者の復飾が命じられています。これらの布告が神勤主体についての神仏分離を規定しているのに対して、

3月28日の布告は、礼拝対象についての神仏分離を定めたものであると述べられています。そして、この3月28日の布告の直後から廃仏毀釈の嵐が全国各神社で吹き荒れることになります。

別の岩波新書・村上重良著「国家神道」という本には、3月「28日には太政官から神仏分離が達せられた。」と表現されています。

また、雄山閣「論集日本仏教史8明治時代」明治維新廃仏毀釈の地方的展開とその特質について(村田安穂著)には、神仏分離令とは、「3月17日3月28日の両布告の二法令を言い、特に後者のみを言う場合もある。」と述べられています。また同年3月から10月までにつごう12の関連する布告が出されており、それらを神仏分離令と総称するという見方をする学者もあると補足してあります。

ですから、神仏分離令と言うことになると、この日とはっきり申すのは難しいことになるようです。神仏分離令を宗教に対する明治政府の立場と見れば、3月13日ということになりましょう。

また、お寺と神社の関係をはっきりさせるものと見れば、3月28日の布告が該当するということになるのではないかと思います。先生のお立場でよろしくご判断下さい。また何かありましたらお気軽にお問い合わせ下さい。以上
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