比叡山にお参りした。六年前から同行している古寺めぐりシリーズの第11回目として12月に入り、2回。これまで比叡山は根本中堂のある東塔ばかりと思っていた人も多く、この度のように横川エリアも西塔エリアもゆっくりとお参りすると受ける印象はまったく違う。広大な比叡山全体が延暦寺の寺領であり境内と言ってもいいだろう。回峰行者が歩く道がその中を走っているのであるから。
まず第一に私がこの度比叡山で感銘を受けたことは、俗化していないということだろう。勿論お堂の中にお守りや線香が置かれているのは仕方ないにしても、山内にはレストランが一軒あったくらいで、まったくと言って、商店やら飲食店などがない点だ。平安仏教として並び称される高野山は既に昔で言えば寺内町ができ、何から何まで一山の中でまかなえる状況であるのとは違っていた。比叡山は京都や大津市が控えており、クルマで下に降りようとすれば1時間もかからずに行けるという便利さがあるせいもあるだろう。この時期に参詣したからかもしれないが、しかし山内は静寂の中にある。そんな印象を受けた。
第二に、やはり行が生きてある、と言うことだろうか。一年や数ヶ月で修行道場を追い出される他の本山に比べ、未だに、伝教大師最澄上人の気概がそのままに息づいている。叡山学院があり、行院があり、山内寺院の住職には三年籠山行が科せられ、その上に好相行や、百日回峰。十二年の籠山行がある。叡山学院は二年制で教学を学び、行院は四度加行を60日で行う。
三年籠山行は、山内の草取りから、各お堂の諸役が科せられる。その間に90日間坐禅する常座三昧行や、やはり90日間ずっと歩いて念仏する常行三昧行がある。好相行は、一日3000回の礼拝行を仏が立ち現れるまで続けるという。回峰行は、毎日夜中の2時に無動寺谷から東塔・西塔・横川、そして日吉神社に至る行者道を30キロを6時間かけて歩き260箇所で祈願する。それを百日続ける。
十二年籠山行は、最澄上人の御廟やその前殿である浄土院に仕える侍真僧と千日回峰行とに分かれるという。御廟内には侍真僧しか入れない。心を込めて最澄上人がまだ生きてあられるという気持ちでお勤めされる。千日回峰は、既に百日を終えているので七年間で残り900日の回峰行をする。600日からは一日の行程が60キロになり、京都の市内を回る期間は84キロにまでなる。さらに700日に入るときに堂入りと言って九日間断食断水断眠で不動の真言を唱え続けるのだとか。この千日回峰行は今も一人の行者が行中であるという。途中で止めねばならないときには死ぬ覚悟でなされるというこの過酷な行が、現代にあっても未だに挑む行者が続いて存在するところに比叡山の有り難さがある。
第三には、教えの幅の広さだろう。大講堂に参ると、日本仏教を代表するお祖師方の御像を拝することが出来るようにここから多くの教えが巣立っていった。横川エリアにある恵心院は日本浄土教の発祥の地だ。恵心僧都源信がこの地で『往生要集』を書き、二五三昧会を組織した。念仏は法然さん親鸞さんと思う人も多いのかもしれないが、その元はやはり比叡山の地にある。高野山も奈良の諸大寺もかつては聖の力によって寄進がなされ諸堂が復興されたり維持されて来た。念仏聖が活躍した時代を考えれば、すべてのおおもとにこの地からの発信があったとも言えよう。禅宗もまた然り。栄西、道元という祖師方も常座三昧行を修す比叡山から下り一宗を開かれた。
第四に、分かりやすいメッセージがあるという事だろうか。一隅を照らす運動が展開されているが、国宝とは道心なり、誰でもが仏となれる、仏としての働きをなせという分かりやすいメッセージが発せられ、それがまた様々な展開を見せている。8月に毎年行われる世界宗教者サミットもその一つだ。広く世界に呼びかけ賛同を勝ち得て親交を結び世界の平和に向けてメッセージを発信しておられる。また現在の半田孝淳猊下が天台座主になられてからは、天台座主としてはじめて高野山に公式参拝され、また今年は石清水八幡宮で140年ぶりに放生会にご出仕なされた。他宗に先駆けての誠に幅の広い包容力ある半田猊下ならではの偉業に喝采したい。
ところで、『大法輪』今年7月号の巻頭法話には、延暦寺長のメッセージが掲載されている。「戦後教育により、自分のためばかりに生きる、世界は自分のためにあるという教育が日本の若者の心を占拠した」が、「他のため、社会のために生きよ、世界人類未来のために生きよ」と、それこそがお釈迦様も言われていることであり、菩薩の生き方だと言われる。
確かにその通りなのであろう。ではあるが、私には今ひとつ物足りない思いがするのである。ただ他のために生きよと言うだけではなく、それはどうしてか、何を意味するのかと諭さねばならないのではないかと思う。自分のこの人生は何のためにあるのか。仏教徒なら、人生とは少しでも悟りに向かって前進するためにあるのではないのか。他のために何事かをなすことはその悟りに向かう自分自身が徳を積み一歩でも近づく行為であり、つまりはそのまま自分のためでもある。そうして功徳ある他のためになされる行いこそが自分のためになり、現世で悟れないならばそれは来世のためにもなる。つまり今のこの自分ももちろんだが、生まれ変わった先でも自分のためになり、それはもちろん広く人類のためにもなり、社会のためにも良いことであり、未来のためなのだとしなければならないのではないか。
ここに私は日本仏教が今ひとつ教えが深まらない原因があると思える。死んだら皆仏と言ってしまうところに問題の発端がある。輪廻ということから逃げては仏教の教えは空疎なものになるであろう。誰もが仏になれるとするのはいかにしてなのかと問われねばならないだろう。何度も何度も生まれ変わってもそこに到達するまで少しずつでも前進していこうとするところにこそ、その可能性が見出されるとしてはいかがであろうか。
この度の震災に関して触れた箇所も、「苦しむ人々に思いを寄せ、共に涙する」ということで終わってしまっては、仏教の教えとしては片手落ちではあるまいか。それをどうとらえどう受け取ればよいのか、これからどう生きたらよいのかという方向へ教えが展開していかねばならないのに、その大事な部分が欠落している。スローガンだけでは人は納得しない。その原因の一つにこの問題があるように私には思える。それだけがこの度の比叡山参拝で残念に思われた点である。しかしそれはもちろん比叡山だけの問題ではない。日本仏教徒全体の問題としてこれから真摯に議論すべきであろうと思う。
それにしても、この度の比叡山参拝は、心から本当にお参りさせていただきよかった、ありがたかったと思えた。比叡山は素晴らしいお山です。企画された倉敷観光金森氏並びに同行のご参加された皆様に感謝します。
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まず第一に私がこの度比叡山で感銘を受けたことは、俗化していないということだろう。勿論お堂の中にお守りや線香が置かれているのは仕方ないにしても、山内にはレストランが一軒あったくらいで、まったくと言って、商店やら飲食店などがない点だ。平安仏教として並び称される高野山は既に昔で言えば寺内町ができ、何から何まで一山の中でまかなえる状況であるのとは違っていた。比叡山は京都や大津市が控えており、クルマで下に降りようとすれば1時間もかからずに行けるという便利さがあるせいもあるだろう。この時期に参詣したからかもしれないが、しかし山内は静寂の中にある。そんな印象を受けた。
第二に、やはり行が生きてある、と言うことだろうか。一年や数ヶ月で修行道場を追い出される他の本山に比べ、未だに、伝教大師最澄上人の気概がそのままに息づいている。叡山学院があり、行院があり、山内寺院の住職には三年籠山行が科せられ、その上に好相行や、百日回峰。十二年の籠山行がある。叡山学院は二年制で教学を学び、行院は四度加行を60日で行う。
三年籠山行は、山内の草取りから、各お堂の諸役が科せられる。その間に90日間坐禅する常座三昧行や、やはり90日間ずっと歩いて念仏する常行三昧行がある。好相行は、一日3000回の礼拝行を仏が立ち現れるまで続けるという。回峰行は、毎日夜中の2時に無動寺谷から東塔・西塔・横川、そして日吉神社に至る行者道を30キロを6時間かけて歩き260箇所で祈願する。それを百日続ける。
十二年籠山行は、最澄上人の御廟やその前殿である浄土院に仕える侍真僧と千日回峰行とに分かれるという。御廟内には侍真僧しか入れない。心を込めて最澄上人がまだ生きてあられるという気持ちでお勤めされる。千日回峰は、既に百日を終えているので七年間で残り900日の回峰行をする。600日からは一日の行程が60キロになり、京都の市内を回る期間は84キロにまでなる。さらに700日に入るときに堂入りと言って九日間断食断水断眠で不動の真言を唱え続けるのだとか。この千日回峰行は今も一人の行者が行中であるという。途中で止めねばならないときには死ぬ覚悟でなされるというこの過酷な行が、現代にあっても未だに挑む行者が続いて存在するところに比叡山の有り難さがある。
第三には、教えの幅の広さだろう。大講堂に参ると、日本仏教を代表するお祖師方の御像を拝することが出来るようにここから多くの教えが巣立っていった。横川エリアにある恵心院は日本浄土教の発祥の地だ。恵心僧都源信がこの地で『往生要集』を書き、二五三昧会を組織した。念仏は法然さん親鸞さんと思う人も多いのかもしれないが、その元はやはり比叡山の地にある。高野山も奈良の諸大寺もかつては聖の力によって寄進がなされ諸堂が復興されたり維持されて来た。念仏聖が活躍した時代を考えれば、すべてのおおもとにこの地からの発信があったとも言えよう。禅宗もまた然り。栄西、道元という祖師方も常座三昧行を修す比叡山から下り一宗を開かれた。
第四に、分かりやすいメッセージがあるという事だろうか。一隅を照らす運動が展開されているが、国宝とは道心なり、誰でもが仏となれる、仏としての働きをなせという分かりやすいメッセージが発せられ、それがまた様々な展開を見せている。8月に毎年行われる世界宗教者サミットもその一つだ。広く世界に呼びかけ賛同を勝ち得て親交を結び世界の平和に向けてメッセージを発信しておられる。また現在の半田孝淳猊下が天台座主になられてからは、天台座主としてはじめて高野山に公式参拝され、また今年は石清水八幡宮で140年ぶりに放生会にご出仕なされた。他宗に先駆けての誠に幅の広い包容力ある半田猊下ならではの偉業に喝采したい。
ところで、『大法輪』今年7月号の巻頭法話には、延暦寺長のメッセージが掲載されている。「戦後教育により、自分のためばかりに生きる、世界は自分のためにあるという教育が日本の若者の心を占拠した」が、「他のため、社会のために生きよ、世界人類未来のために生きよ」と、それこそがお釈迦様も言われていることであり、菩薩の生き方だと言われる。
確かにその通りなのであろう。ではあるが、私には今ひとつ物足りない思いがするのである。ただ他のために生きよと言うだけではなく、それはどうしてか、何を意味するのかと諭さねばならないのではないかと思う。自分のこの人生は何のためにあるのか。仏教徒なら、人生とは少しでも悟りに向かって前進するためにあるのではないのか。他のために何事かをなすことはその悟りに向かう自分自身が徳を積み一歩でも近づく行為であり、つまりはそのまま自分のためでもある。そうして功徳ある他のためになされる行いこそが自分のためになり、現世で悟れないならばそれは来世のためにもなる。つまり今のこの自分ももちろんだが、生まれ変わった先でも自分のためになり、それはもちろん広く人類のためにもなり、社会のためにも良いことであり、未来のためなのだとしなければならないのではないか。
ここに私は日本仏教が今ひとつ教えが深まらない原因があると思える。死んだら皆仏と言ってしまうところに問題の発端がある。輪廻ということから逃げては仏教の教えは空疎なものになるであろう。誰もが仏になれるとするのはいかにしてなのかと問われねばならないだろう。何度も何度も生まれ変わってもそこに到達するまで少しずつでも前進していこうとするところにこそ、その可能性が見出されるとしてはいかがであろうか。
この度の震災に関して触れた箇所も、「苦しむ人々に思いを寄せ、共に涙する」ということで終わってしまっては、仏教の教えとしては片手落ちではあるまいか。それをどうとらえどう受け取ればよいのか、これからどう生きたらよいのかという方向へ教えが展開していかねばならないのに、その大事な部分が欠落している。スローガンだけでは人は納得しない。その原因の一つにこの問題があるように私には思える。それだけがこの度の比叡山参拝で残念に思われた点である。しかしそれはもちろん比叡山だけの問題ではない。日本仏教徒全体の問題としてこれから真摯に議論すべきであろうと思う。
それにしても、この度の比叡山参拝は、心から本当にお参りさせていただきよかった、ありがたかったと思えた。比叡山は素晴らしいお山です。企画された倉敷観光金森氏並びに同行のご参加された皆様に感謝します。
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昔の言葉に『温故知新』という言葉があります。『古きを温め、新しきを知る』という意味なのですが、今の社会には必要な精神だと私は思います。今の人々は、あまりに新しいものを求め過ぎます。一度立ち止まって、自分達の足元をよく見て欲しい。
どうせ新しいものを手にしても、時が経てばいつかはその新しかったモノは古いモノに変わる。もう良い加減、新しいものばかりを追い掛けるのはやめて、少しは古いモノに目を向けて欲しい。
スローライフこそ、今の社会を切り開く鍵になるやもしれません。
故きを訪ね、良き日本を感じる。大切なことですね。外にばかり目を向けずに少し自分の中身を知ることも大切ですね。
天台宗の修行は大変厳しい事でよく知られています。
とある本には、『体育会系は天台、文化系は真言』と言ってました。
真言宗の修行期間は、約一年以内となっているのに対し、天台宗では、約三年は籠山しなければならないという規定がある様ですね。
長い時間をかけて修行するというのは、今の時代、難しい様です。それを天台宗では続けておられる。
長い時間をかけて修行出来ないのは、お寺が総体的に貧乏になっているからだと別の真言僧からお聞きした事があります。
本当は真言宗も長い修行期間を設けた方が良い様に思います。真言宗は深い教え。理解するには、一年では足りない様に思います。人によっては、もっと時間を要する人もいます。少なくとも三年~四年位は見た方が良いと私は思います。日頃から仏教や、真言宗の教義に触れている人なら、ある程度短くて済みますが、全くそうでない人は、倍の時間を費やして教えなければならないと思います。当然乍ら、教えるには、あまりに人数が多過ぎてはならないと思います。でないと、師匠の眼が行き届きません。
会社と同じで、あまりに規模を大きくし過ぎると、管理が行き届かず、不祥事に対応出来ない事があるものです。
1人の師に対して最大十人位が丁度良いと思います。少なければ少ない程、教育の質も上がると私は思います。