住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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幅広く仏教について考える

補足解説・七回忌の法事にて

2023年09月30日 19時53分34秒 | 仏教に関する様々なお話
補足解説・七回忌の法事にて



この法話を実際に聞いてくださった方々が、聞いていておそらく頭の中に?マークがついたのではないかと思われる点について、解説を補足してみたいと思います。

まずはじめに、「来世に赴かれている」という表現についてです。死んだら無に帰するとか、仏になるという表現もありますから、死後のことは心配いらないとお考えになる方もあるかもしれません。ですが、仏教は死とは体と心が分離することであるとされ、身体はこの世の借りものなのです。心が本人であると考えます。そして、すべてのことに原因ありとする教えです。この世に生まれ、こうして私たちが縁あり、この話を聞いてくださるのにも原因と縁があってのことです。

ですから、亡くなったら身体は荼毘に付されますが、心には様々な思いが残り、それが因となり、その心に相応しい来世に赴くと考えるのです。間違いのない生涯であれば人間界以上の世界に、もしも暗い心で亡くなったりすると餓鬼の世界と、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界に生まれ変わる可能性があるとされるのです。

生まれ変わりの研究が学問的に進展しており、日本では東京の産婦人科医池川明さんが有名ですが、米国のヴァージニア大学では1960年代から超心理研究室において研究がすすめられ、世界ですでに二千件もの間違いのない生まれ変わりの事例が確認されているとか。学んでもいない行ったこともない地方の言葉を話し出す子供がいて、その地域に連れて行くと、ある家の家族の大人に自分の子供に対するようにその子が語り掛けたりということが実際にあるそうです。

次に、「この煩悩だらけの私たちの考える極楽」とありますが、中には死ぬとそれこそ仏になれるのだから、今の自分とは次元が違う心になると考える人もあるかもしれません。船橋の大念寺というお寺に大島祥明さんという住職さんがおられます。実際にお会いしてお話を伺ったこともありますが、『死んだらおしまいではなかった』(PHP研究所)という本に、亡くなられた人の死後の心について書かれています。

十年間ばかりの間に二千件ものお葬儀をされたということなのですが、しばらくすると通夜のお経を唱えていると亡くなった人の心が語りかけてくるのがわかるようになったというのです。誰も亡くなっても急に人が変わることはなく、その人の本質的なものがあらわになって語りかけてくると書かれています。誰も亡くなった時の心にしたがって死後の心もあるということなのです。

それから「仏様の世界は禅定の世界」ということについてですが、仏様の世界の下には、無色界、色界という天人の世界があるとするのが仏教の世界観です。私たち人間界はその下の欲界にあるとします。色界、無色界は共に深い禅定を修めた人たちが死後に生まれる世界とされています。その上に位置する仏の世界は当然それ以上の静謐なる世界と言えます。

そこで、「極楽とはそれよりもはるかに厳しい世界」という表現となっているのです。そのことについては、浄土真宗のお寺出身の武蔵野女子大学教授花山勝友先生がお書きになった『仏教を読む・捨ててこそ得る[浄土三部経]』(集英社)という本から核心の部分を転載させてもらいます。

「古来浄土経典とよばれるものを典拠として、死後の世界としての極楽が説かれてきたわけですが、教義の上からいいますと、実は、極楽という世界は、経典に描かれているような、人間にとっての理想的な世界では絶対にあり得ないのです。…浄土というのは、…人間の欲望の対象になり得るようなものがあるはずはないのです。

…浄土を極楽と名付け、そして、その世界がいかにも人間にとっての理想的世界のように描写しているのは、一人でも多くの、煩悩を抱いている、まだこの世に生きている人間を導こうという目的のためであって、これを仏教では方便といっているのです。(P19~P22)」とあります。以上



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