住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
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永平寺・那谷寺・竹生島参拝 2

2007年06月03日 09時28分01秒 | 朝日新聞愛読者企画バスツアー「日本の古寺めぐりシリーズ」でのお話
仏殿

七堂伽藍の中心に当たり、古来禅宗では伽藍の配置を人体図に当てはめているとのことで、頭が法堂、心臓が仏殿、左手が庫院、右手が僧堂、腰が山門、左足が浴室、右足が東司だという。この心臓部に当たるのが仏殿で、釈迦牟尼仏を祀られているので別名「覚王宝殿」あるいは「三世如来殿」とも呼ばれている。

明治35年(1902)、高祖大師650回忌を記念して改築された総欅(けやき)造りの中国宋代の形式に従った石畳敷き。須弥壇中央には釈迦牟尼仏、右に未来弥勒仏、左側に過去阿弥陀仏の三世如来が祀られている。この形式は中国天童山の三世如来に準じたものといわれ、間口9間、奥行5間半の二重屋根。

法堂(はっとう)

仏殿より東側の廻廊を昇ると法堂に至る。永平寺の伽藍で一番高いところにあり、間口18間、奥行14間の堂宇。一般の寺院でいえば本堂に当たり、天保14年(1843)に再建された。法堂は本来、一山の住職が須弥壇上に登って修行僧に説法をする場所。故に法堂眉間に有栖川宮幟仁親王(たかひとしんのう)筆による「法王法」という額が掲げられている。

法堂は380畳敷で客殿を兼ね法要儀式も行われることから、専門家は「客殿型法堂(きゃくでんがたはっとう)」とも称している。須弥壇中央は藤原時代作の聖観世音菩薩を祀り、中央階段の左右には阿吽の白獅子が置かれ、また、天井には八面鏡をつけた天蓋「八葉蓮華鏡」が吊られ、中国宋代の形式を守っている。毎朝、この法堂で両席に相対して「諷経」(ふぎん)」(勤行)が行われる。

僧堂

仏殿の左側、大庫院(だいくいん)に対して在る建物が僧堂。間口14間、奥行10間の僧堂は明治35年(1902)に改築されたもの。僧堂は修行の根本道場で、坐禅・打眠(だみん)・二時の食事が行われる。

堂は内部中央に智慧の象徴、文殊菩薩を祀り、廻りは相対して82単(一畳敷)の台が並んでいる。これは中国宋代の形式に依った正規の僧堂だといい、床は土間、三和土(たたき)で毎日、掃除され雑巾がけもさる。内堂には約82人が就寝でき、坐禅の時には164名もの雲水が修行をすることができるという。

外堂には「魚鼓(ほう)」が吊られています。これは中国の伝説の魚ですが、人を集めるときに打つ法器。二時の粥飯(しゅくはん)に打ち鳴らされ、その間に修行僧は入堂して鉢位(はつい、自分の単)に付く。この外、左側に「経行廊下(きんひんろうか)」、右側に「北面間道(ほくめんかんどう)」を設けて「後架(ごか)」となし洗面所が置かれている。

大庫院(だいくいん)

東側の回廊を登った所に在る建物が大庫院で、昭和5年(1930)に改築され地下1階地上4階、延べ750余坪の豪壮な建築物。一般の寺院でいう庫裡(くり)に当たり、食事を作る厨房と来客を接待する瑞雲閣(ずいうんかく)、一山の会計を扱う「副寺寮(ふうすりょう)」、全山の修理・保全を担当する「直歳(しっすりょう)」の寮舎に分けられている。

正面中央には足の早いことで有名な守護神「韋駄尊天(いだそんてん)」を祀り、この裏で一山大衆の弁食(べんじき)を作っている。即ち修行僧や参籠者(さんろうしゃ)の三度の食事を作る所。道元禅師は「典座教訓(てんぞきょうくん)」一巻を撰じて、特に弁食の作法を尊んで、その精神に準じて食事が作られるという。

さて、庫院の二階には「瑞雲閣(ずいうんかく)」という一般参籠者の宿泊に当てられる和室や応接間があり、三階は和室の150畳敷の広間で「菩提座(ぼだいざ)」と呼ばれる。この室で多人数の宿泊から上膳(あげぜん)まで、時には法話、講義も行われ、四階は知庫寮(ちこりょう)の倉庫で雲水の日常品等が保管されている。

浴室

山門の東側に在り、一般でいう入浴場。間口7間半、奥行き5間の建物で昭和55年(1980)に大改修され、さらに、昭和60年(1985)には浴槽を浄化循環方式に改められた。

東司(とうす)

山門の左手に在り、一般にいうお手洗いです。七間(ななま)あることより七間東司(しちけんとうす)と通称される。禅宗では三黙道場(さんもくどうじょう)の一つでもあり、「烏蒭沙摩明王(うすさまみょうおう)」を祀る。一般に東司と呼んでいるが、厠(かわや)であり、西側に在る場合には西浄(せいちん)とも。

この東司は平成14年(2002)年に奉修される開祖道元禅師750回大遠忌記念事業の一環として、平成9年(1987)に改築された。


鐘楼(しょうろう)

鐘楼堂は昭和38年に改築された鎌倉様式の重厚な建物。総檜造で中に吊られた大梵鐘(おおぼんしょう)は口径1.5メートル、高さ3メートル、重さ5トンの巨鐘。現在の大梵鐘は第二次大戦中応召にあいながら、再び戻されたものを改鋳し、鐘楼堂の改築とともに完成した。

早暁の暁鐘(ぎょうしょう)・昼の齋鐘(さいしょう)・夕暮れ時の昏鐘(こんしょう)、そして夜坐が終わってからの定鐘(じょうしょう)と1日4回、そのほか特別の行事のたびに鐘点(しょうてん)という役の修行僧によって撞(つ)かれる。「一撞一拝(いっとういっぱい)」といい、一撞ごとに一拝をして撞かれ、その梵音は修行僧を覚醒せしめ深谷幽山に無限に響きわたると言われる。

承 陽 殿(じょうようでん)

僧堂より左側廊下を登っていくと左側に門が見え、これが承陽殿の門で「一天門(いってんもん)」とか「承陽門」、「承陽中雀門」と呼ばれ、この奥に御開山御真廟(ごかいさんごしんびょう)があり、これを承陽殿という。正しくは土蔵造りの本殿(間口3間、奥行4間)と拝殿(間口6間、奥行7間)とに区別されている。

明治14年(1881)の再建で本殿(御真廟)には御開山道元禅師の御霊骨と二代尊の御霊骨が奉祀され、更に、五代尊(二世孤雲懐弉禅師・こうんえじょう、三世徹通義介禅師・てっつうぎかい、四世義演禅師・ぎうん、五世中興義雲禅師・ぎうん)までの木造も安置されている。

この承陽殿は曹洞宗の発祥の根源であり、拝殿(下坦)の右側には6世曇希(どんき)以下77世までの位牌と、全国末派から祖堂に入牌された尊宿(そんしゅく)方の位牌を祀り、左側には高祖大師の御生家久我(こが)家の尊牌を始め、永平寺の開基波多野義重(はたのよししげ)公の木像、昔の仏殿の建立に功績があったという井伊(いい)家の位牌も祀られている。

以上が永平寺の見所と言えようか。なお、雲水さんたちの日課は、起床洗面3:30暁天坐禅3:50 朝課5:00 小食7:00 作務8:30坐禅10:00 日中11:00中食12:00 作務13:00 坐禅14:00 晩課16:00 薬石17:00 夜坐19:00 開枕 21:00となっている。一日三座、およそ、4時間もの坐禅が日課ということになる。(冬期間は30分~1時間起床時間が遅くなる)

体験坐禅会は、期間3泊4日で行われており、原則として14歳以下の人は許可しない。服装は、地味な和服、ハカマ、白足袋か白靴下及び作務のできる服を用意する。費用は3泊4日9000円教本2冊と日常雑費を含む。報恩摂心(2月1日~8日)、臘八摂心(12月1日~8日)。つづく

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