住職のひとりごと

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第六回日本の古寺めぐりシリーズ・鰐淵寺と華蔵寺3

2009年02月21日 17時20分21秒 | 朝日新聞愛読者企画バスツアー「日本の古寺めぐりシリーズ」でのお話
華蔵寺について

華蔵寺は、島根半島の東部中央に位置する枕木山頂にある。海抜456メートル。展望台からの眺望は、眼下に大根島を浮かべる中海と弓ヶ浜の海岸美が望め、遠くには大山と中国山脈の山並み。北側には、日本海はるか先に隠岐島、西には三瓶山、山陰唯一の雄大な景観を楽しむことが出来る。また山内は、春は花と新緑、夏は避暑地、秋は紅葉、冬は雪景と四季折々の景色を現出する。

お寺の開基は、約1200年前の延暦年間、天台宗の僧・智元上人で、鰐淵寺を開いた智春上人の系統に属する僧だったのであろうか。何も詳しいことが知られていない。華蔵寺の華蔵とは、蓮華蔵世界を意味する。開基が法華経を依経とする天台宗の僧だから、と言いたいところではあるが、この蓮華蔵世界とは、華厳経に説かれる世界観である。

十蓮華蔵世界(海)とも称し、世界の根底に風輪があり、その上に香水の海があって、一大蓮華が覆う。毘盧遮那如来が中心におられ、二十重に重なる中央世界を中心に、121の世界が網のように蓮華による世界網を構成している。それぞれ宝で荘厳され仏がその中に現れ、衆生もその中に充満しているという。おそらく枕木山の眺望から、香水の海に浮かぶ、たくさんの仏の世界を目の当たりに観じとられ名付けられたものであろう。

華蔵寺も鰐淵寺同様に、創建当初は、修験道の行場として発展したのであろう。蔵王権現を信仰する行者の一連のコースの一つだったのではないか。そこへ天台宗の教えによって基礎が作られていく。平安後期の作と伝える薬師如来が薬師堂に祀られている。薬師如来像は、藤原時代初期の傑作と言われ、国の重要文化財。ヒノキの一木式寄木造りで、高さ87.2センチ。後光に五仏を配している。秘仏で、開帳法要は50年ごとにあり、一般公開している。

前回は、平成13年で、京都大本山南禅寺派の塩沢大定管長が導師になり開創1200年法要が執り行われた。子安薬師ともいわれ、子授け、安産、諸毒消滅、所願成就に霊験あらたかという。他に日光月光菩薩、十二神将、大梵天、帝釈天、四天王を安置する。

鎌倉末期に霊峰慧剣(れいほうえけん)が禅寺として復興したと伝えるが、仁王門からすぐのところにある杉井の霊水を、鎌倉時代、亀山法皇ご病気の際、この霊水と御霊符を献じたところ、病がたちどころに平癒し、法皇はこれを深く感じ入り、天台宗であった華蔵寺を自らが開創した京都臨済宗南禅寺の別格寺院にされたという。

亀山法皇は、後嵯峨天皇の子であって、その後南北朝にいたる訳だが、大覚寺(真言宗)統のお一人だ。自分の子である後宇多天皇のとき上皇となり院政をとるが、そのあと、持明院統の伏見天皇が即位すると、後深草院が院政を開始したため、亀山上皇はその後後嵯峨帝が造営した離宮禅林院を自ら寺院化した南禅寺で40歳の時出家し、金剛源という法名で禅宗に帰依した。そのため、その後皇室にも禅宗が浸透したという。なお、御陵は嵯峨天龍寺境内の亀山陵(かめやまのみささぎ)である。

なお、余談ではあるが、南禅寺は、はじめ、「龍安山禅林禅寺」といったが、「太平興国南禅禅寺」と改められ、京都鎌倉の両五山の上に位置する別格とされた。今では湯豆腐で有名な南禅寺、三門は歌舞伎の『楼門五三桐』(さんもんごさんのきり)で、石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」という名台詞を吐くのが「南禅寺山門」である。ただしこれは創作上の話だという。

華蔵寺は、その後、室町期にはこの地方の臨済宗の名刹として繁栄するが、戦国時代に尼子、毛利の戦陣争いの兵火を受け諸堂悉く灰燼に帰し、寺運も衰退した。そのあと、関ヶ原の戦功によって出雲・隠岐24万石を与えられた堀尾吉晴(ほりおよしはる)候が、慶長12(1607)年、松江に築城するときに、華蔵寺を鬼門に当たるとして祈願寺に指名して復興。堀尾吉晴は安土桃山時代から江戸時代初期の武将・大名。豊臣政権三老中の一人。出雲松江藩の初代藩主。

しかし、築城は石垣が何度も崩れなかなかはかどらなかった。築城を急ぎたい堀尾吉晴は、天守の予定地で盆踊りを開催。そこに集まった領民の中から娘をさらい、密かに城の人柱として埋めた。完成までの2年間に、3人の娘が人柱とされたのだという。

しかし、それほどまでに城の完成を望んだ堀尾吉晴は、その完成を見る前に病死。堀尾家も犠牲になった娘の数と同じ、三代で断絶した。その後、天守近くで盆踊りを催すと城が震えだし、人柱となった娘たちが生前を懐かしんで踊っているのであろうと言われ、これを防ぐため松江では盆踊りが禁止された。

復興途上にあった華蔵寺は、明暦3(1657)年に松平直政候が済遍(さいへん)禅師を招いて現在の伽藍を中興開山した。仁王門もこのときの建立で、2メートルを超える仁王像は、運慶の作とも伝えられる。仁王門の先には、石の大きな不動明王が聳える。慶応年間の造立。

そこから進むと、平成13年に改築された薬師堂を経て、境内の鐘楼門は江戸時代明暦年間の建造で県指定文化財。ただしこちらも平成13年に修築された。境内に入り本堂も明暦年間の建立、本尊は金色の釈迦如来立像。

臨済宗南禅寺派の直末寺である。修行の道場としての厳かな凜とした雰囲気を感じつつ静かにお参りをしたい。そして、展望台から、おそらくその名の由来でもある景観を楽しみつつ、蓮華蔵世界の鳥瞰を味わいたいと思う。

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五山について(wikipediaより転載)

五山(ござん)とは、中国・日本における禅林(禅宗寺院)の格式であり、十刹・諸山の上。

五山の由来
元は南宋の寧宗がインドの5精舎10塔所(天竺五精舎)の故事に倣って径山・雲隠・天童・浄慈・育王の5寺を「五山」として保護を与えたのが由来と言われている。鎌倉時代後期には日本にも禅宗の普及に伴って広まるようになり、正安元年(1299年)には鎌倉幕府執権北条貞時が浄智寺を「五山」とするように命じたのが日本における最古と伝わる。

京都五山と鎌倉五山

鎌倉時代
鎌倉幕府の五山制度については詳細は明らかではないものの、鎌倉の建長寺・円覚寺・寿福寺及び京都の建仁寺の4ヶ寺が「五山」に含まれていたと考えられている。同様に後醍醐天皇の建武の新政においても「五山」が制定され、南禅寺と大徳寺の両寺が五山の筆頭とされ、東福寺と建仁寺が含まれていた。


室町時代
その後、室町幕府を開いた足利尊氏は、天竜寺を建立したが、天竜寺を五山に加えることを望んだ。これに対して北朝は暦応4年(1341年)に院宣を出して尊氏に五山の決定を一任した。これに応えて同年に尊氏は第一位に南禅寺・建長寺、第二位に円覚寺・天竜寺、第三位に寿福寺(鎌倉)・第四位に建仁寺(京都)・第五位に東福寺(京都)・准五山(次席)に浄智寺(鎌倉)を選定した。

これ以後、五山の決定及びその住持の任免権は足利将軍個人に帰するという慣例が成立することになる。その後、延文3年(1358年)に2代将軍足利義詮がこれを改訂して浄智寺を第五位に昇格させるとともに同じく第五位に鎌倉から浄妙寺、京都からは万寿寺を加えて計4寺として京都と鎌倉からそれぞれ5寺ずつが五山に選ばれた。

その後、3代将軍足利義満の時代に管領細川頼之の要望を聞き入れて臨川寺を五山に加える(永和3年(1377年)- 康暦元年(1379年))が、康暦の政変で頼之が失脚すると外された。ところが、義満が足利将軍家の菩提寺として相国寺を建立すると、至徳3年7月10日(1386年)に義堂周信・絶海中津らの意見を容れて五山制度の大改革を断行、南禅寺を「五山の上」として全ての禅林の最高位とする代わりに相国寺を「五山」に入れ、更に五山を京都五山と鎌倉五山に分割した。両五山はこの格式で固定し、現在に至っている。





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2 コメント

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ここでは、はじめまして (安頓)
2009-03-04 03:36:51
初めまして。
先日は、国分寺を訪れて初めてお会いし、しばらくお話をさせていただいた者です。
覚えていらっしゃいますか?
その節は、お忙しいのに、お時間をとっていただき、ありがとうございました。

こちらのブログ何度か訪ねたこともありますが、今日は、じっくりと過去の記事を読ませてもらいました。

色んな方からご相談もあるんですね。
それに、一つずつお応えしている住職の姿勢に感心いたしました。

また、時々寄らせていただきますので、よろしくお願いします。
今日は、ごあいさつまで。

<安頓>
ちなみに、安頓(anton)はアントニオ猪木の愛称です。googleで安頓を検索すると最初に私のブログが出てきます。
そうです、私はアントニオ猪木に共鳴する猪木信者です。(笑)
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ようこそ (全雄)
2009-03-05 06:49:22
先日は、ようこそお越し下さいました。立ち話で恐縮でした。

またゆっくりお話しいたしましょう。

ここでの質問は、なかなか先方の姿が見えにくいところもあり、的確な返答になっているのか迷いながらも、その時思ったことを簡潔に書いています。ある程度のプロフィールを書いてくださると助かるのですが。笑


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