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チャリンコで安平古堡へ行ってみた。
先日訪れた安平地区の対岸にあたり、Wikipediaによると、以下だそうだ。
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【 安平古堡(あんぴん こほう)は旧称を奧倫治城(Fort Orange、オラニエ城)、熱蘭遮城(Fort Zeelandia、ゼーランディア城)、安平城、台湾城ともいう、1624年に建設された台湾で最も古い城堡。建城以来、オランダ統治時代にはオランダ東インド会社による台湾統治の中心地として、また鄭氏政権時代には3代にわたる王城として使用されていた。 】
オランダ統治以前は国としてまとまっていなかったため、この地が台湾の歴史上初めての首都ということになる。日本統治時代に城址はほとんど失われたらしいが、僅かに残された城址や日本統治時代の建物と共に観光スポットになっていた。
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チャリを適当に降りて街中にはいると、細道に沿って屋台街が続く。
エビせんべいが名産らしく、試供品を食っていけとニーチャンやオバチャンが差し出してくれた。
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やがて熱蘭遮城が見えてくる。17世紀の城としてこんなにあっさりしていて良いのか?と思うが、元々東インド会社の出先機関に過ぎない。国を統治するというより、貿易拠点を確保するには十分だったのだろう。
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鄭成功は台湾の国民的ヒーローなので、ここの銅像も立派なモノだ。
歴史博物館にはこの時代にアジア人が西洋人から降伏文書を受け取った唯一の例だと紹介されていた。どの街にもある成功路という通りの由縁は鄭成功の名前から来ている。
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他にも通りや公園の名前で多い、”中正”は蒋介石の字、”中山”は孫文の字、”民権”、”民族”、”民生”は孫文の三民主義から得られたものだ。
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屋台は?仔煎(台湾風牡蠣オムレツ)や棺材板の店が多く出ていた。
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ここで我慢できずに食ってしまうから痩せない と言うことが判っているので、こんな可愛い棺材板で我慢しておいた。
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