活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

校正のこと、出張校正のこと2

2011-02-10 09:28:18 | 活版印刷のふるさと紀行
 出張校正室の話を続けましょう。私がいちばんよく知っていた大日本印刷の市ヶ谷の出張校正室はこんなでした。
 
 ホテルで廊下を挟んでルームが並んでいるあのスタイルで、廊下の左右に校正室がいくつも並んでいました。たいてい、ルームナンバーの下に「月刊○○」とか「××出版社」とか、その室の主人公の誌名や社名のネームプレートが掲出されております。
 
 室内に入ると、横長の机に椅子が並んでいて、8人ぐらいから12,3人は楽に校正が出来るようになっていました。それにコート掛けや珈琲茶碗やコップのおいてある机があったりして、かなりのスペースでした。校正机の上にはペン皿によく削った赤鉛筆やペン、消しゴムなどが整然と並べられていてちょっとした「編集室」といった空間でした。

 辞典とか年鑑とか長期にわたって校正作業のある社の出張校正室は午前中から使われていることもありましたが、ふつう多くの室が混み合うのは夕方からでした。
 印刷工場から校正刷があがってくるまでは編集部員同士あるいは校正マンの談話室で
賑やかですが、校了時点には殺気だって戦場に早変わりです。編集長の怒号さえ飛び交うことがありました。

 神楽坂あたりの旅館まで著者の先生をお迎えにいって、この校正室で原稿を書いていただいて、ひったくるようにして「組み」に回す綱渡りがおこなわれることも日常で、時代小説の某作家など、新米部員がトイレまで同行することがありました。脱出防止です。

 出張校正室では食事どきになると、弁当が出ました。学校給食などとちがい、どうやら
社によってグレードがちがったようです。なかにはビールや酒を持ち込んでチビリチビリ
とやりながら校正を進めているつわものもいました。
 校了になった日など、大日本が呼んでくれるハイヤーで銀座に飲みに向うのが通例の
編集者もいました。これは、アナログ時代の話。校正は大きく変わらざるを得なくなりました。出張校正室も、いつも親切だった係の老嬢も消えて行きました。
 
 

コメント
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