校正のしかたも時代とともにずいぶん変わってきたものです。
「ゲタをはいている」といいましたが、初校でむずかしい字で活字がないとき、あるいは、同じページに同じ文字がたくさんあって、植字現場の活字が足りないときなど、「二の字、二の字の下駄のあと」ならぬ〓が活字変わりに入っていました。〓の多い校正刷りは汚くていやなものでした。再校には〓が消えて、ちゃんと活字が入っているのが普通でしたから、その間にいそいで「作字」をしてくれていたのでしょう。
校正には「読み合わせ」といって二人がかりで、読み手と確認して、赤字を入れる人の二人で組んで進めることがあります。
しかし、それよりも二人で別々に同じゲラを校正した方が確実でした。校正は一人よりも二人、二人よりも三人と、できるだけ「違う目」で見た方がより確実でした。
それに活版の場合、ふつう校正刷は二通、多くても三通しか出ませんので、手わけするといっても限度がありました。コピー機が出てから、校正刷のコピーを何通もとってばらまいて短時間でみんなで校正する手法もありましたが、最後に一通にまとめなくてはなりませんし、そのとき、転記ミスが出て苦い思いをしたこともあります。
その点、印刷所のコンピュータと結ばれているパソコンのディスプレ上で直接、訂正を
入れる昨今のデジタル校正は機能的です。
しかし、校正紙のやりとりで編集者と印刷現場の人ががつながっていたアナログ時代の校正には捨てがたい味がありました。
「ゲタをはいている」といいましたが、初校でむずかしい字で活字がないとき、あるいは、同じページに同じ文字がたくさんあって、植字現場の活字が足りないときなど、「二の字、二の字の下駄のあと」ならぬ〓が活字変わりに入っていました。〓の多い校正刷りは汚くていやなものでした。再校には〓が消えて、ちゃんと活字が入っているのが普通でしたから、その間にいそいで「作字」をしてくれていたのでしょう。
校正には「読み合わせ」といって二人がかりで、読み手と確認して、赤字を入れる人の二人で組んで進めることがあります。
しかし、それよりも二人で別々に同じゲラを校正した方が確実でした。校正は一人よりも二人、二人よりも三人と、できるだけ「違う目」で見た方がより確実でした。
それに活版の場合、ふつう校正刷は二通、多くても三通しか出ませんので、手わけするといっても限度がありました。コピー機が出てから、校正刷のコピーを何通もとってばらまいて短時間でみんなで校正する手法もありましたが、最後に一通にまとめなくてはなりませんし、そのとき、転記ミスが出て苦い思いをしたこともあります。
その点、印刷所のコンピュータと結ばれているパソコンのディスプレ上で直接、訂正を
入れる昨今のデジタル校正は機能的です。
しかし、校正紙のやりとりで編集者と印刷現場の人ががつながっていたアナログ時代の校正には捨てがたい味がありました。