活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

紙幣の印刷と銅版画

2011-02-18 10:41:29 | 活版印刷のふるさと紀行
キヨッソーネが浮世絵を蒐集した話を書きました。彼は明治新政府がうしろについていますからちゃんとした筋から入手したにちがいありませんが、そのころはまだ、絵草子屋があって店頭に浮世絵をつみあげたり、吊るしたりしていましたから、そういうところでも出物を探したかもしれません。
 
 江戸時代、京都には京名所を題材にした銅版画がありました。司馬江漢の江戸の銅版画よりもサイズが小さく質も良くありませんでしたがよく売れたといいます。そのせいか、上方には銅版画彫刻師が明治になってもいました。

 キヨッソーネの来日以前の明治初年に「太政官札」という「藩札」とちがって日本で初めて全国で通用する政府発行の紙幣が出ました。それは十両・5両・一両・一分・一朱と、まだ円ではありませんでした。両が円になったのは1871年、明治7年、明治通宝からでした。太政官札のデザインや印刷が上方でされたのは、上方に銅版の彫刻や印刷技術者が多かったせいでしょうか。

 紙幣の印刷史に詳しくないので調べる必要がありますが、太政官札は5種類だけで少額紙幣がなく不便なのでその後「民部省札」が出されたり、銅版だと贋札が多くなり、偽造が防げてもっと高級な印刷を求めてドイツに発注したのがゲルマン紙幣と呼ばれた「明治通宝」でした。しかし、この明治通宝も額面が違っても札のサイズが同じだったり、洋紙で傷みやすいという欠陥が出て、それがキヨッソーネ招聘と紙幣印刷の技術向上へつながったといえましょう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする